スクリャービン「ピアノソナタ全集」。アムランさんの演奏も良いけど、CDジャケットの絵が最高! [絵画]

2019年2月。

なんとな~く今月はクラシック音楽の気分(←妙な表現ですな)。2月11日に、クルレンティスさん指揮ムジカエテルナの来日コンサートを聴いた影響でしょうか・・・。などと、軽い前置きをしつつ、今日のお題です。またぞろロシアの作曲家、スクリャービン(1872~1915)であります。

1月22日に交響曲について取り上げました(記事は→ここ)。本日は大看板の「ピアノソナタ」です。某日、CD棚から引っ張り出したのは、1995年録音のこの2枚組CD。

カナダ人ピアニスト、マルク=アンドレ・アムランさんが弾く、スクリャービン「ピアノソナタ全集」です。

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アムランさんといえば思い浮かぶタームは「超絶技巧」。どんな難曲でも軽々と弾きこなす(ゆえに難しさがリスナーには分からない)という屈指のヴィルトゥオーゾであります。

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そういえば、いま旬の超絶技巧ピアニスト「ピアノ・モンスター」と称される中国出身ユジャ・ワンさんも、リサイタルでスクリャービンのソナタを取り上げてましたっけ。

アムランさんの弾く全集は、番号付きピアノソナタ10曲のほか、幻想曲、幻想ソナタを含む全12曲が収録されています。曲は、律儀に番号順に並んでるので、スクリャービンさんの作風変化を感じ取ることができます。演奏はさすがアムランさんで、技巧完璧は当然として、変に「幻想味」に溺れないスカッ!としたテイストがたまりません。陰影、メリハリがあるので曲自体が茫洋としていても(失礼)、良い意味ですーっと聴きとおせます。久しぶりに聴いたディスクですけど、ああ、オレって、昔、いい買い物してたんだあ、と自分を誉めちゃう。はは、自画自賛。

ところで、ソナタ7番には「白ミサ」、ソナタ9番には「黒ミサ」という、エコエコアザラク的な副題がついてます。このCD、海外盤で裏の曲目表記がフランス語なんです。購入当時、ワタクシ「Messe Blanche」を「黒ミサ」だと思いっきり勘違いしてました。Blanche、は、英語のBlackではなく、白(White)のほうでした。空白のことをブランクというから分かりそうなもんですが、はは、情けないわ。Messe Blanche=白ミサ、で、ちなみに、黒ミサは「Messe Noire」。暗黒街の二人。黒猫ノワール。あ、ハナシが逸れた。

さてさてアムランさんの演奏を堪能したところで、違う方向へと話を進めます。今度は「絵画」について。

CDジャケットの絵を観て、ああ!あれか!と気づいた方、アナタはワタクシの友です(迷惑か)。

1900年前後に活動したイタリア人画家、ガエターノ・プレヴィアーティーの名作「Day awakens the Night」(夜を目覚めさせる光)であります。

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正直、ワタクシが20年前、このCDを買った理由は、内容以前にこの「絵」なのでした。この絵をジャケにしてるなら、演奏もスゴイに違いない!という確信ゆえの、いわゆるジャケ買いCD。

日本人はなにかにつけ、モネだ、ルノワールだ、セザンヌだ、ゴッホだ、と印象派中心にさえずるが、ワタクシ、まったく興味無し。「光」を画布に描こうと苦戦したのは、なにも印象派画家の専売ではない。

スーラやシニャックの作品の凍りついたような点描画法とは異なり、プレヴィアーティーさんの「線描」画法(美術史的には「分割主義」)には生命が宿っております。この流麗な表現、素晴らしいじゃないか!

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あと、日本人は主題がファンタジック系(神話、宗教)になると、とたんに、フン、と鼻でせせら笑い、それらを一段低く見る傾向があるが、本当に、自分の目で観て、自分の頭で考え、「オレはこれが好きだ!」と言っているのか?とツッコミたくなる場面が多々あります。(まあ、ルネサンスと印象派くらいしか絵を知らない、という「無知」ゆえかもしれないが・・・)。

私が思うに印象派画家は「はかない、今、という一瞬をとらえる」ことを主眼におき、象徴主義(とそれに類する)画家は「一枚の絵に、思想、永遠、を閉じ込めようとした」と考えている由。私は、後者の思想を愛する者ですので、プレヴィアーティーさんの作品にはゾッコンなのであります。

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うーん、今日は絵画マニアックなハナシになってしまった。

まあ、いいかあ。毎日、自宅トイレで「ジョン・マーティン画集」「モンス・デジデリオ画集」「クービン版画集」「ウイリアム・ブレイク画集」を眺め、幸せ気分に浸るワタクシ。天邪鬼を気取るわけじゃないけど、60年近くも生きていれば、自分の好きなもの、好きなことのベクトルは、世間評価とは関係なく、しっかりと固まっているのであります。これが立派なオトナ(老人?)ってもんですぜ。おっと自慢が入った。

ハナシの蒸し返しですが、プレヴィアーティーさんの冒頭の絵、よくよく見ると、目覚めつつある「夜」(裸身の女性)の羽のてっぺんに、山菜の「わらび」みたいなもんが出っ張っております。

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ん?これは?もしかして、わらびではなく、

ゼンマイ、でしょうか・・・って、あくまで山菜かよ。ここでボケてどうする。本日は以上。

パカー!(←ロシア語の「じゃあね」が出ました)

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上野で「ムンク展」を拝見。大盛況はけっこうなことですが・・・ [絵画]

2018年12月。

先月半ばから、ほぼ毎日出張という、年末バタバタ状態に入っております。前記事で紹介した熊本県水俣・八代出張から戻ると、神戸(日帰り)、そのあと熊本市(1泊)、翌週は札幌(1泊)、いったん戻って宮崎県→鹿児島県、次は福島県、三重県、宮城県仙台・・・と日本全国サイコロ旅であります。50代も半ばを過ぎると、北と南の温度差に体がついていけるか心配。。。ま、いいか。

などと、忙しさ自慢をしたいわけではなかった。

東京都美術館(上野)で開催中の、ムンク展、に行ったハナシです。展覧会ポスターには、当たり前のように、あの方がフュチャアされております。

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きゃーーー、というよりは、あちゃーーー、と叫んでいる「叫び」でございます。やっぱり、この絵なのかね。でも、ムンク=叫び、という紋切り発想もそろそろやめてはどうか。

といいますのは展覧会を拝見して、ワタクシ、つくづく思いました。ムンク作品の白眉は油彩よりむしろリトグラフや木版などの版画や、線描の作品だ、と。

定番ながら、たとえば「病める子」の繊細な線は素晴らしいですよね。油彩の雑な仕上げ(失礼)とは異なり、ナーバスな線が重ね合わされた光と影の世界には静かな悲しみが立ち上っています。ここがワタクシのツボなんです。

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単色線は、水が流れるかのよう。魅力的だなあと思ってしまう。

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さて、上野の会場には、老若男女どえらい数の客が来ておりました。会場に入るまでの待ち時間20分。これら観客のなかには修学旅行か学校行事か、中学生、高校生がたくさんいました。で、分かった顔してエラソーに言わせていただくと、10代の子供にムンクの絵画を見せてもしょうがねえ、と私は思う。もちろん、彼らが自発的にムンクを観たいなら意味がありましょうが、「学校行事」として、つまり「有名な絵や、有名な画家だから」という理由でムンクを鑑賞させる、という指導的発想なら、そんなくだらん行事はやめたほうが良い。

そりゃそうでしょう。

彼の描く絵は「美しい」とか「上手い」という類ではありません。描かれているのは、不安、であり、恐怖であり、絶望、という負の感情であり、それをとおりいっぺんの技法ではなく、彼独特の「象徴」として描いたところにツボがあるわけです。だから、表現は「叫び」のようにキテレツで、色も奇妙(微妙)、タッチは荒々しかったりするのです。

何を言っているかというと、ムンクの絵画はダ・ヴィンチや、フェルメールのそれのように、絵自体として素晴らしいのではなく、そこに描かれた情念が見る側のココロに呼応しないと、なんの価値もないということ。

たとえばベットで泣く娼婦を描いたこの作品。わんわん泣くしかないほどの悲しみの経験がない人間にとって、この絵は、ああ泣いてる女の人だ、服着ないと風邪ひくよね、程度の感想しか出ようがありません。

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同様に「叫び」のヴァリアントでもある、人物が橋にたたずむこの絵はどうか。やり場のない絶望感や不安を感じた経験のない人間には「これなら俺でも描けそう」くらいの感想しか出てこんでしょう。

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要するに、見る側に、ムンクの描く精神世界に感応できる実体験や感覚、あるいは想像力がなければ、ムンク作品(とくに油彩)は、ただのヘタッピの絵、つう評価になっちゃいます。

10代の子供たちにも苦労人はいるでしょうけどねえ、一般的にそうした奥底感情や機微がまだ分からない(経験がない)子供たちですよ。経験のないところに、ムンクを見せたところで、むしろ作品が戯画化されて脳内に刷り込まれるだけで、良い効果は何もないと思う。有名ゲージュツ作品なので、誰にとっても絶対的に価値がある、のではなく、やっぱりモノゴトには順序つうもんがあり、ある程度の年齢と経験を重ねないと、対象の良さや凄さが分からん、そんな世界があるもんですよ。それが、クラシック音楽であったり、ムンク、アンソール、エミール・ノルデやフランシス・ベーコンの絵画だと思うのですね。

おっと、ハナシが上から目線になったので、最後に、ワタクシがこの展覧会で、あちゃ、と思った作品を取り上げます。

どうですか、これ。ワタクシ、こんなイメージを持ちました。

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左下の頭を抱える男性は、たぶん、こう言っております、「あちゃあ~、酔った勢いで、女房の女友達と寝ちゃったわ~、やっべーーー」。ほうら、10代の子供たちよ、この絵をしっかりみて、今後の人生に役立ててくれたまえ。要するに、

酒と女には気を付けろ!

ってことだわね~。おいおい、最後はそんな俗なハナシかよ。ちゃんちゃん。

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映画「MEG ザ・モンスター」。映画ポスターに備えるべき条件を勘違いしているのはだれだ? [絵画]

2018年10月。

地元市川市のシネコンで、映画「MEG ザ・モンスター」を拝見しました。

MEG、ときくと、北海道出身者のワタクシは「メグミルクかあ?」とライトなボケをかましますが、もちろん映画のMEGは違います。メグと読むけど、本来はメガ。100万年前に存在し、すでに絶滅した巨大モンスター鮫「メガロドン」でしたね。体長はホオジロザメの数倍(20~30m)、獲物はクジラ、つう、まさに化け物です。

そう、映画「MEG ザ・モンスター」は絶滅したはずの巨大ザメが海水浴場に突如現れ大暴れする動物パニック映画だっ!まいったかあ!・・・と全身に力が入ったのは、ワタクシが想像するに、日本のプロモーション会社だったと思う。

なぜそう思うか。

ポスターですよ。映画のポスター。日本バージョンはこんなデザインです。

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お分かりいただけますか。

完全に「サメ」が主役。でっかい口をあけたメガロドンが、ノーテンキに海水浴を楽しむ女性客を、海の底から狙っている・・・なんとなくスティーヴン・スピルバーグ監督の名作「JAWS(ジョーズ)」のポスターの焼き直しですね。

しかしワタクシを含め、映画を観た方はお分かりのはず。この作品の主役は巨大サメではなく、

ジェイソン・ステイサムさん

なのであります。いまやアクション映画界で、もっとも信頼できるブランド俳優=ステイサムさん。多くの薄毛男性に勇気を与えたステイサムさん。言うなれば、メガロドンはステイサムさんを引き立てる道具に過ぎない、のであります。共演者の美人中国人女優リー・ビンビンさんさえ、引き立て役であります。ちなみにビンビンさんは失踪・脱税騒ぎの女優と、苗字が同じなだけで別人ですね(血縁関係がないので、W浅野、みたいなもん?)。

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何を言いたいかつうと、先に掲げた日本の映画ポスターは、完全にコンセプトを間違っている、てえこと。

大口開けたサメのアップじゃ、テレビ東京が平日午後に放映しているB級パニック映画(たとえば「キングコブラ」とか)と変わらんじゃん。つうか、このポスターを観た人が、B級映画と「誤認」することが問題です。ネット時代ゆえ、観客は、ポスターなんぞより、予告編やインタヴューを観て行くか行かないかを判断するだろう・・・とは言うモノの、ポスターにも、なんらかの宣伝効果はあり、ゆえに「精度」と「訴求力」がなければ意味ないと思う。

じゃあどうするのよ、と問われれば、海外ポスター(以下)が良いお手本になると言おう。まずはこれ。

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正しい。少なくとも、映画のテイストと一致している。主役は「人間」であり、コワモテのステイサムさんと美人のビンビンさんが並ぶことで、ビンビン良い感じが伝わってきますねえ・・・とダジャレをかましてどうする。

あるいはこちら。サメがメインですが「人間との闘い」をちゃんと打ち出している。少なくとも日本版ポスターのノホホン海水浴客バージョンとは違ったダイナミックな迫力があります。

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欧米バージョンも「メガロドンと人間との闘い」を主題にしたポスター作りになっていますね。

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結局のところ、日本は、動物が暴れる映画とくれば、内容など関係なく動物を前面にPRする。そんな「B級パニック映画のプロモーション」手法を、無思想に踏襲してるのでしょうねえ。なんだか情けないねえ。

いまだったら「ハリーとトント」のポスターは、画面いっぱい猫の顔でしょうかね・・・って、あれはパニック映画じゃねえよ(分かりづらいノリツッコミで失礼)。

ワタシは、素直に「MEG ザ・モンスター」は面白いな、1800円を出して観る価値があるな、と思いました。そこで知り合いに勧めたところ、映画好きほど「ああ、ポスターがB級ぽいよねえ」と冷めた印象(=私と同様)を持っているわけです。

日本のプロモーション会社とてそれなりリサーチやディスカッションはしたのでしょう。しかし、何をポイントに商品を売るのか、という肝心の点が、今回ばかりはズレた、と私は思う。良質な作品が、ダサい(?)ポスターの巻き添えになって、メガロドンとともに海底に沈まぬよう祈るばかりです。ちゃんちゃん。

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札幌で「ブリューゲル展」を拝見。ブリューゲル一族(息子以降)は画家というより職人さんですな。 [絵画]

2018年9月。前回記事の続きです。18日の午後、札幌市郊外にある「札幌芸術の森」を訪れました。9月24日まで開催されている、

ブリューゲル展、を拝見するためです。

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ブリューゲルさんといえば、名作「バベルの塔」で有名な16世紀フランドル(現在のオランダ、ベルギー方面)の画家ですね。ブリューゲル一族は、このペーテル・ブリューゲルさんを初代に、息子、孫、曾孫、と150年続いた画家一族だそうです。彼らの作品が今回、どどーんと展示されているとのこと。

ところでワタクシ、ペーテル・ブリューゲルさんの絵画を、深~く愛しているのであります。フェイヴァリットは「バベルの塔」ではなく、「雪中の狩人(Hunters in the snow)」です。幅1.6メートルの大作。

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狩りを終え疲労困憊した狩人たちが、村へと戻る様を前景とした雪の景色。明晰な筆致で俯瞰的に描かれ風景はリアルでありながら、どこか幻想的で、見るほど目が離せなくなります。ワタクシ、この作品の実物を観るため、20年前にオーストリアの首都ウイーンにある美術史美術館へ行きました。いやあ、この絵の前に立ったときの感動は、今でも忘れません。圧倒的な迫力にぐうの音も出ませんでした。ココロが震える、というのはああゆう瞬間を言うのですな。

ちなみに中野孝次さんのエッセイ「ブリューゲルへの旅」の文庫版の表紙は、この絵でした。「ハラスのいた日々」は・・・読んで泣きました、って違う話を混ぜると混乱しますね、失礼。

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というわけでブリューゲルさん(初代=「父」と呼ばれる)を愛するワタクシは、ワクワク気分で地下鉄真駒内駅からバスに乗って、札幌芸術の森へと向かったのであります。森に囲まれた美術館は雰囲気満点でございますな。

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この展覧会、やるなあ、と思った点は、全作品「写真撮影OK」ということ。ふつう展覧会といえば一部作品を除いて「撮影禁止」が当たり前です。しかしSNSが普及し人を動かす力を持った現在、撮影NGなどとケチなことを言わず、どんどん写真を撮っていただき、SNSにアップしてもらったほうが集客できるというもんです。正しい見識ですね。

さて、展覧会の「中身」についてです。偉大なる父ペーテル・ブリューゲルの作品は、それほど多くはなく、油彩と版画数点でしたがやはり筆力がありますね。

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息子、孫には申し訳ないが、お父さんは芸術家、それより後は職業画家=職人といった印象でした。

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いや、けっして職人が悪いわけではなく、ルーベンスは超優秀な職人(親方というべきか)として工房からあれだけの作品を生み出したわけですね。ブリューゲル一族の場合、ルーベンスと違うのは、人気のあった父ペーテルの名画を息子(長男)がコピー量産したのでオリジナリティという点では、ちょっとビミョーかなあ・・・ってね。

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初代の次男(ヤン)、孫(ヤン2世)は素晴らしい花の絵を生み出していきます。父にはなかったオリジナリティが出てきてますね。

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まあ、父ペーテルさんの渋い作品を基準にしちゃうと、この華やかさが「ブリューゲルらしくない」と思えますが、それは時代が絵画に求めるモノが違っているので当然の差異といえましょう。

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それにしても16~18世紀の西洋絵画は素晴らしいですね。キッチリと描かれた、これぞまさに「ザ・アート」と私は思う。日本人はモネをはじめとする「印象派」(19世紀後半以降)が大好きだけど、あんなもの、いったいどこが良いのだろう。輪郭がボンヤリした睡蓮の花よりも、ブリューゲル一族の描いた草木、花のほうが、よっぽど生気に満ちていると私は思うのです。

などと、ケチをつけると、印象派好きの方々に叱られるのでやめておきましょう。ははは。

最後に、展覧会出口に掲げられた、父ペーテル・ブリューゲルさんの代表的モチーフ「農民の踊り」を背景に、ワタクシの自撮りであります。

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秋の晴天に、札幌芸術の森は最高でした。展覧会にも満足であります。次回来る機会があれば、森をゆっくり散歩したいものです。ふふふのふ。

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上野で「プーシキン美術館展」を拝見。好きなものは好き、苦手なものは苦手という、当たり前のコトを悟る日。 [絵画]

2018年6月。上野の東京都美術館へ、展覧会を観に行ってきました。

プーシキン美術館展(7月8日まで開催)であります。サブタイトルは「旅するフランス風景画」。

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絵のハナシの前に、美術館名「プーシキン」についてです。こりゃ調べるまでもなく(←自慢が入った)ロシアの文豪のお名前ですな。ところで「プーシキンさんは、どんな小説を書いたっけ?」と疑問が頭をよぎり、うむむ、と私は唸った。幸先よく「スペードの女王」が思い浮かんだものの、その後が続かない。「スペードの女王」「スペードの・・・」、結局、思いつくのはそれだけか!?チャイコフスキーつながりで「くるみ割り人形」「眠れる森の美女」・・・って、そりゃ違うだろ、と思ったら、「エフゲニー・オネーギン」は、なんとプーシキンさんの作品でした。犬も歩けば棒にあたる。ロシア文学好きと自慢するわりにワタクシの知識はこの程度でした、自虐。

という、余計な前置きはおえて、上野の「プーシキン美術館展」であります。10万点を誇るロシアの有名美術館の所蔵品から、フランス人画家またはフランスで活躍した画家による風景画を中心に展示されておりました。

さてさて、モノの価値とくに「ゲージツ」と称される物品の価値は、ワタクシには永遠の謎なんであります。なんで、この絵が世界的に評価されているのだ?とか、どうしてこの作品にウン億円の値が付くの?と疑問ばかり頭に浮かびます。しかし、そんなこたあどうでも良い!と展覧会の会場でつくづく思いましたね。

「自分の目」で見て、素晴らしいと思え、感動できる作品こそが私にとって唯一の名作なのだ、と。

他人の(世間の)高評価や、美術解説書での褒め言葉が何だというのだ。ましてや取引された価格で、その対象に感動できるわけもない。要は作品に対峙したとき、ココロの琴線に触れるかどうかだよ!と、珍しく真面目に考えた次第。

こんなことを言うのも、「プーシキン美術館展」で名作(?)として並べられているモネ、セザンヌ、ルノワール、ピカソ、ゴーギャン、ゴッホ、の絵画に、ワタクシ、なーーんにも心が動かなかったから。

作品を前にしてブルブルと震え、感動した逸品はたったの2点だったのです。

それは、シスレーさんの描いた田舎の風景画であります。

陽光に照らされた木々と草原が、柔らかく暖かく描かれて、じっと見ているうち、画のなかに吸い込まれそうです。絵画全体から幸福感がむんむんと放たれているのであります。

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筆の向きを巧みに変えながら描かれた、明るい空には、自然を愛し風景を愛するシスレーさんの至福の感情が、湯気のように立ちのぼっています。実物でなければ、その感覚は分からないと思いますね。ワタクシ、10分間以上も、この絵をジーッと見つめてしまった。うーん、幸せだあ。。。

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なんという絵画の力でしょうか。極論、ワタクシ、2点のシスレー作品を観るためだけに、展覧会に来たようなもの。しかし入館料を払った価値は十分にあった、と強く思いましたね。

ちなみに、私が溺愛するヴラマンクの作品も2点ありましたが、展示品はイマイチ。ピサロさんも同様にイマイチ・・・。意外にも、それほど好みではないマルケさんの作品がツボにはまりました。これは良いなあ、と絵の前で、しばし見惚れてしまいました。

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そのほかには、独特の世界観という点で、アンリ・ルソーさんのジャングル画は面白いですね。動物の、とぼけた味わいがなんともいえない。ルソーさんのジャングル画のなかでは、ヘビ使いの女が横笛を吹いている作品が好きで、いつか実物を観たいなあと思います。

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以上、長々と駄文を連ねましたが、要するに「シスレーさんの絵が最高だったわあ!」という単純な感想の、プーシキン美術館展でございました。チャオーーー。

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「ルドン展」を拝見して感激しつつ、香川県やるなあ、と妙な感心をした日。 [絵画]

2018年4月某日。ワタクシのつとめている会社から、徒歩10分というご近所に「三菱一号館美術館」があり、現在、そこで、

ルドン展、「秘密の花園」

が開催されているのです(会期2月8日~5月20日)。おお、ルドン!うわ、ルドン!すわ、ルドン!・・・と画家の名を連呼してもしょうがないのですが、大好きですなのです、ルドンさんを。

当ブログで何度も書いていますが、ワタクシ、いわゆる「印象派」絵画が苦手で、セザンヌ、ルノワール、モネなど、何がどう良いのかサッパリわからない。たんにボヤけた絵じゃん、と思ってしまう。印象派嫌いの反作用でしょう、どうせボヤけた絵ならば、現実に存在しないもの、幻想的なモノ、を描いてほしいと思う。

というわけで、「見えないものを描く」名匠として、モローさん、ルドンさん、クービンさん、にベタ惚れのワタクシなのであります。

などと能書きを書いている場合ではない。そう、ルドン展、であります。ポスター、どーん。

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今回の展覧会の目玉作品はなんといっても、ルドンさんが、お金持ち貴族に依頼され、館の食堂を飾るために描いた巨大なパステル画でしょう。その作品のテーマが「植物」であり、ゆえに松田聖子さんの曲タイトルのような「秘密の花園」が展覧会名に付されたのでしょうね。それらは家の装飾であり、絵画作品ではないので、めったに観れないよ~ん、という主催者の人寄せ作戦(?)が功を奏し、会場は盛況であります。その壁絵は、たしかにルドンさんの美点がいかんなく発揮された名品でございました。

しかし。

ベタなルドンさんファンのワタクシは、そんな大作よりも(否定しているわけではない)、黒を活かしたリトグラフ等に、むしろココロ惹かれるのであります。この、じくじくした沼に生える人の顔をもつ植物、その、もの悲しさを観よ。

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原初の生物は、悪夢的な様相を呈し、上目遣いの目玉で何を見ているのか。

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モノクロ版画なので画集と同じじゃん・・・のはずなのに、この吸引力、訴求力はなんなのだ。

油彩画にも良い作品(というか私好みの作品)がありました。蝶々が舞う、カラフルながら明るさだけでなく奥深さを漂わせる力作。画面下の岩肌のリアル筆致が、舞う蝶たちを引き立たせています。世間に「幻想画」は数あれど、ルドンさんは、唯一、ルドンさんでありますなあ。

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そして、これはどうだあ。ルドンさんと言えば「花の絵」を連想する方も多いでしょう。しかし、この絵を「ルドンらしい」と思う方はいるだろうか。ぽわんとしたパステル調ではなく、ガッチリ造形構築された(とくに花瓶の安定感!)、この迫力。

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展覧会に来て何が楽しいかと言えば、このような「その画家らしくない」作品に出会えることですねえ。いやあ、楽しいなあ・・・と、約1時間、ルドンさん作品を満喫したワタクシでした。で、突然、ハナシが変わるけど、この展覧会。香川県とコラボしているようで、こんなコピーを掲げておりました。

うどんKEN LOVES るどんTEN

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・・・(絶句)。要するに「うどん」と「ルドン」の語感がそっくり(つうか一文字違い)に目をつけた強引コラボですな。いや、ワタクシ、こうゆう発想は嫌いではない。むしろ好き。なぜかといえば会場入り口で、グッズをもらったから。うどん、をもらったわけではありません。ボールペン、であります。

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丁寧なラッピングで、うどんKENの帯まで巻いてあり、中をあけると四国地図に香川県がマーキングされ、認知度アップに貢献。香川県ご出身の俳優、要潤さんが、香川県=うどん県、の副知事として地元PRであります。

やるじゃん、うどん県!

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ボールペンには、しっかりと、「香川県は、うどんだけじゃないよ」というフォローのコメントまで刻まれております。

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うどん県、ルドン展の語呂合わせ的な発想に、小さく苦笑しつつ、良いコラボである、と思った次第。ちゃんちゃん。

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「根付(ねつけ)展」を観に、佐倉市立美術館へ行ってきました [絵画]

2018年2月の日曜日。ワタクシは千葉県市川市の自宅から、県内の佐倉市立美術館へ愛車ダイハツ・ムーヴを1時間ほど走らせたのであります。

ここで開催中の「根付(ねつけ)展」を拝見するためです。

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こう書いたとたん、「根付(ねつけ)って、なんだ?」という疑問の声が聞こえるようです。シロートの私が書くのもナンですが一応、説明します。

江戸時代に、煙草入れや巾着(きんちゃく)を、着物の腰からぶらさげるとき、落ちないよう帯にかける留め具・・・と、文章で説明するより、図が手っ取り早いですね。「黄金の国ジパング」というサイトから下の図をお借りしました。おお、分かりやすいぞ。スカッとしたでしょう(私が自慢してどうする)。

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この根付、大きさはせいぜい3、4センチ程度です。しかし、日本人の美意識&職人気質と結びつき、そこに凝った意匠と装飾が施され、やがては超絶技巧の品物まで登場するんですね。明治時代にはいり、日本人が和服を着なくなると急速にすたれますが、ご多聞に漏れず、海外から注目されるようになり、逆輸入的に日本でも存在が見直されたらしい。いまでは実用品としてではなく、芸術品という扱いで、根付専門の作家さんもいるようです。

前置きは以上で、佐倉市での展覧会であります。

ゼンブで200点以上はあったでしょう。古典根付(19世紀以前の作)もありますが、20世紀以降の作品の数がおおく、技巧的にも近代品が圧巻です。一点一点の根付に、オリジナリティと遊び心があふれ、ポスターの「てのひらの小宇宙」という表現に納得しきり。

たとえば下写真の作品は、3センチ程度の象牙の全面に、たくさんの能面が細密・精緻に彫り込まれています。デザイン性と優れた技巧もさることながら、ワタクシ、職人さんの根気に圧倒されましたね。

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食い入るように見入ってしまいます。他作品でも、共通するのは、丁寧な細部へのこだわりでしょう。加えてユーモアあふれるセンスに、日本人の粋(いき)が感じられます。動物を題材にした作品など、仕草が可愛らしく、つい笑みがこぼれます。

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いっぽう凛とした風格ただよう作品もあります。この鳥の、活き活きとしたリアリズム!ずっしりした安定感、表面の彫り込み、色使い、そして鳥の目の鋭さ・・・うーん、感動だ・・・。

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楽しい展覧会でした。目からウロコ、観る価値ありのナイス企画でしたね。無理とは分かっていながら、「根付作りにチャレンジしてみようかな~」なんて思っちゃいました。

ちなみに、会場である佐倉市立美術館の建物がヨロシイ。地方にありがちな無駄な豪華造りではなく、味気ないビルでもなく、レンガと石を組み合わせた渋い外観は節度があって大好き。地味ながら、良い味を醸し出す「根付」の展示にふさわしい場と言えましょう。

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本日は以上です。チャオー。

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「ヴラマンク展」の2回目は広島で拝見。そして東京葛飾区柴又でヴラマンク風(?)のアートを発見。 [絵画]

2017年12月。今回は絵のハナシであります。グダグダ必至のテーマですねえ。

以前から思うのですが多くの日本人は、セザンヌ、ゴッホ、モネ、ルノワール、シャガールあたりの19世紀末~20世紀の絵画がめちゃ好きですよね。なぜでしょう。ヒトの好みは千差万別、何を好こうと勝手だけど、世間はその手の画家をあまりに持ち上げすぎだと思う。正直、ワタシには彼らの絵の良さがサッパリ分からない。いや偉大な芸術だと理屈(頭)では分かりますよ、でも感覚というのかなあ、要するにココロに響かないです。たとえ1000円でも彼らの絵は買わないでしょう(好みじゃないし、狭い家なので邪魔になるし)。

たとえば、です。印象派絵画を徹底否定し「アカデミズムの権化」として絵画史に悪名を残すジャン=レオン・ジェローム(1824~1909)の絵画を観てみましょう。作品がすべて名品とは言わないけど、少なくとも「ピグマリオンとガラテア」を観るたびワタクシの心はブルッと震えます。一枚の絵にこめられた雄弁なドラマに感動してしまう。彫刻家が、自ら作った彫像を愛する物語のハイライト。まさに、今、象牙の女性像に命が吹き込まれんとする瞬間を超絶技巧で描ききっています。すごい一作だと思う。

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こうした神話・伝説を題材にした写実的な古典絵画を褒めると、それだけで「時代錯誤だ!」と分かったよーな難癖をつける輩がいます。私に言わせれば、そんなヤツらこそが「他人(ひと)の頭を借りてモノゴトを考える無思想野郎」ですぜ。彼らには確固たる「芯」(信念)はない。世間評価と流行りのなかでプラプラと価値観が揺れる。そうした「流行りに乗る」人たちをターゲットに展覧会は企画されるから、経済貢献の観点からはアリなんでしょう。ま、ヒトのことだから、どうでもいいけど。

さて話は変わります。大好きな絵画との再会報告です。

先日、広島へ出張したさい、新幹線乗車時刻まで、1.5時間ほど時間があったので、即座に、ひろしま美術館へ向かったのです。そう、ヴラマンク展(2017年11月3日~12月24日)を拝見するために。

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同じ展覧会は、2か月ほど前、山梨県立美術館(甲府)で拝見しました。今回が2回目。ヴラマンク作品とくに雪の風景画を愛するワタクシは出張の空き時間に深く感謝して、うへへへ、と笑いが漏れます。

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語彙貧困ですいませんが、やはり感動しました~。前回(の山梨)では「影の黒」の奥深さを堪能しましたが、今回は「雪の白」と「雲のグレー」を凝視します。閃光がきらめく様にサッと塗られた(盛られた)白絵具の「雪」が、画布からオーラを発しています。怖いくらいですね。

こりゃあ、たまらんなあ。

山梨、広島の勢いで最終巡回先である北九州市立美術館(開催期間2018年1月4日~2月25日)にも行かざるをえまい!とココロに決めた次第。我ながら自分のヴラマンク愛に感心してしまう。

いっぽうで、この素晴らしい展覧会が、東京や横浜で開催されなかった点は痛快です。首都圏のヒトたちは、長蛇の列をつくってゴッホでも有難がって観てれば良いのだよ~へっへっへ(妙な優越感だなあ)。以上で、広島のヴラマンク展のお話はおしまいっ。

すいません。今日はまだ話が続きます。長々と申し訳ないです。

先日、隣町の葛飾区柴又の帝釈天参道へ蕎麦を食べに行きました。江戸川を「矢切の渡し」という舟で渡ります。うーん蕎麦を食うのに「舟」ってのは渋いですなあ。

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葛飾区の船着き場で下船すると、得体のしれないアート(?)を発見。これです。

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公園用の簡易トイレのようです。四方の壁に描かれた絵に注目です。

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ちょっとビックリです。「矢切の渡し」をテーマにしたペインティング、なんつう突き抜けた表現でしょう。原初的といいましょうか、ドラン風あり、マティス風あり、ゴーギャン風あり、ルソー風あり、シャガール風あり、さらにはヴラマンクのフレーバーさえ漂っております(褒め過ぎ?)。画面の下部(風景)と上部(舟)の遠近感などどこ吹く風の眩惑感。

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裏側には一味違った渡し舟が描かれています。エミール・ノルデばりの大胆な黄色もたまりません。

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魚には味以上の「コク」があります。フランシス・ベーコンの魂が注入されています。

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どうですか!地元の小学生が描いたのか、絵心のある葛飾区民が描いたのかは分かりませんが、こんな力作を観ちゃうと、ゴッホだ、ルノワールだ、ジェロームだのとエラソーに書き綴った自分がアホに思えます。失礼いたしました~。

以上、本日の長文・駄文はお終い。もともと何を書きたかったか、自分で分からなくなった理由は、今の私が酒でベロベロだからでしょう(さきほど、ワインをフルボトルで1本、日本酒4合を呑み終えたところ)・・・とチョット言い訳。

ちなみに(とまた話は戻る)柴又の帝釈天参道の蕎麦処「やぶ忠」さんは、やっぱり美味かった!土曜のお店の前は、大賑わいです。

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いただいた、天せいろは1200円也!ああ美味いなあ、そしてリーズナブルなお値段だ。最高!と盛り上がって、本日は以上です。ちゃんちゃん。

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山梨県立美術館で「ヴラマンク展」を拝見して、ぶっとんでしまった日。 [絵画]

もうすぐ終了となる展覧会ネタで恐縮ですが、山梨県立美術館(甲府市)で、

ヴラマンク展 (会期:2017年9月2日~10月22日)

を拝見した件について書きます。

千葉県市川市の自宅から一般道→首都高→中央道と愛車ムーヴを走らせ約3時間。初訪問の山梨県立美術館は、広い敷地に建つビックリするくらい立派なミュージアムなのでした。

さて、もしアナタが少しでもヴラマンク(1907年~1958年)の絵画に心が動くなら、今回の展覧会には絶対行ってほしい。山梨まで旅費がかかろうと、宿泊費がかかろうと、これほど素晴らしいヴラマンク作品が、どーんと一堂に会する機会は今後30年は無いと思います。いや、ほんと。このチャンスを逃してはいけません。

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今回のヴラマンク展の個人的感激ツボは、ワタクシが偏愛する「雪の村の風景」を描いた作品がどっさり揃っていること。うおおお~と雄たけびをあげそうです。鉛色の空、雪に覆われた道、脇に立つ古い家々・・・そんな寒々しい景色を、迷いのない筆致と、大胆な白黒メリハリで描いた名作群ですね。

実はワタクシ、会場に着くまでは、その画題の作品は、せいぜい3枚でしょ?どうせセザンヌ傾倒期や、フォーヴィスム期の絵ばっかりなんでしょ?と冷ややかだったのです。

しかし!

冬の村景色は、油彩だけで、なんと24枚も揃っていたのですよ!

画面から発散される強烈オーラの前に、恐れ入りました、好きにしてください!とワタクシのココロが叫んだのであります。

ところで、世の中には(とエラソーに言わせてもらいますが)、画集で観れば十分、と感じる作品があります。私にとって、クールベ、ゴッホ、ルノワール、モネ、ルーベンス、シャガールの作品がそれに当たります。本物をみても「あ、こんな感じね・・・」という薄い感想しか出ません。スーラやシニャックに至っては、本物をみて、「うは、点が細かいわ」と作業努力をチェックする体です。

そんな「画集で観ればOK」の画家と正反対に、ぜったいに実物を観るべきだ!と確信できる画家もいるのです。実物の絵でしか感じえない感動を与えてくれるアーチストたちです。私にとって、その筆頭がヴラマンクさんなのであります。

その意を強くした出来事は、こうです。山梨のヴラマンク展での感動を、帰宅後にトレースすべく、ワタクシ、ミュージアムショップで展示作品の目録画集を買ったのです。さて、自宅に帰り、目録を開き、数時間前に実物を目の当たりにした作品を、写真印刷で観た時、うええ~とマイナス感動して、ガックリしちゃったのです。

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それはなぜか?実物と画集では絵の寸法が異なるのは許容するとしても、ヴラマンクさんの実物油彩画の「色の深み」が印刷でまったく表現されていないからです。

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たとえば上記の風景画。ふたつの建物の間に黒い影がありますが、印刷だとベターっと抑揚のない平坦な感じになっています。

ところが美術館で拝見した本物では、この影部分は、単なる黒でなく、濃い緑など複数色が配合されていることが分かります。そこに微妙に光がまじりあい、絵を見ていると吸い込まれそうな、ものすごい深さをたたえた影になってるんです。

レンガの門、積もった雪、家の屋根もしかり。勢いよく描きなぐっただけに思えても、その絶妙な質感が組み合わされ、全体として、輝く様な「絵の深さ」が生まれてるんです。

こればっかりは、どんなに写真印刷技術が向上しても、再現は不可能(と思う)。実物を観ないと体験ができません。だから、美術館へ足を運ばねばなりませんぞっ!と、強引かつ独善的アピールをしちゃうわけです。

ここで朗報です。

ヴラマンク展は、10月22日に山梨県立美術館での開催を終えたあと、別都市へと巡回するんです。ひろしま美術館(広島県)で11月3日~12月24日、そのあと、北九州市立美術館分館(福岡県)で来年(2018年)1月4日~2月25日と二都市で開催されます。しつこく言いますが、今回のチャンスを逃すと、この規模のヴラマンク作品展は今後30年間、国内で出会えないと思いますよ~。

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最後にヴラマンクさんが死の1年前(1957年)に発表した「遺言」と題する文章の、最後の3センテンスを転記します。彼の墓碑銘にも刻まれている文言だそう。美術館で、数々のヴラマンク作品を観たあとに、この言葉は心にしみます。


私は、決して何も求めてこなかった。


人生が、私にすべてのものを与えてくれた。


私は、私ができることをやってきたし、私が見たものを描いてきた。


モーリス・ド・ヴラマンク

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東京六本木の新国立美術館で「ジャコメッティ展」を拝見したハナシ。 [絵画]

終了した展覧会のハナシで恐縮ですが、先週、六本木にある新国立美術館で、

「ジャコメッティ展」(2017年6月14日~9月4日)を拝見したので、そのことを書きます。

スイス出身の、アルベルト・ジャコメッティさん(1901年~1966年)といえば、異様にぴよーーーんとヒョロ長い造形の人物彫刻で有名ですね。

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今回の展覧会、彫刻だけでなく、絵画(デッサン、油彩)などジャコメッティさんの多彩な作品に接することができ有意義でした。とはいえ、どうしたって目が向くのは「ぴよーーーん」な彫刻であります。

この「犬」などは、デフォルメが行き過ぎて、哀愁というか悲哀が漂うのですが、ジャコメッティさんにすれば、これこそが見たままの犬なのでしょうね。

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19世紀のロダンやブールデルを典型とする「物語の彫刻」を超越し、対象そのものの「本質」「実存」に迫ろうと苦戦苦闘した結果、余計な部分がそぎ落とされ、こんなガリガリ君になっちゃったってことでしょう。

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すごいな、と思うのは、どの作品にも時代を超える斬新さがあること。彫刻と空間がコラボした見事な表現!安易な完結(完成)を否定するゆえ、どの文脈どの派閥にも組み込まれない超然たる独自性がありますもんねえ。展示室の壁にジャコメッティさんのお言葉:「Trying is everything」(試みることが全てである)が掲げられていますが、実に意味深い。このお言葉と作品を観比べれば、有言実行のストイックな芸術家だと深く納得するのであります。

ところで今回の展覧会で評価したい点は、(初の試みではないものの)「自由に写真を撮ってよいエリア」を設けていることです。「作品の写真撮影はいっさいダメ」を金科玉条に掲げるのが、これまでの美術展でした。しかし今どきのスマホやデジカメはマグネシウム・フラッシュのような大光線を発するわけではないので、作品の劣化や、周囲への迷惑もほとんどない。つうか、インターネットで作品写真などいくらでも入手できるこの時代に、撮影全面禁止でもないわな、と私は思う。むしろ、来観者が写真をSNSにアップしてくれれば、それを呼び水に来場者の増加も期待でき、撮影解禁は企画側にとってもメリットあり、ですもんね。

というわけで私も持参のデジカメで、ぴよーーんとヒョロ長い女性像を撮影であります。長っ!細っ!

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ポスターに使われている「歩く男」も、もれなく、ぴよーーーんで長身でございます。

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小学生レベルの感想ですが、いやあ、ほんとに細いわあ。像を正面から写すと「棒」です。安部公房さんの短編小説「棒になった男」を思い出しましたね。

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下写真をみると、ジャコメッティさん本人も、この作品はお気に入りだったのか?

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ジャコメッティ展を30分ほど単能したワタクシ。満足気分で美術館を出たところで、そういえば、あの「歩く男」はどこかで見たなあ・・・と気になったのです。その数日後に謎が解けました。自宅界隈の町内会掲示板。そこに貼られた「空き巣に注意」のポスターです。描かれているドロボーが見てのとおり「細っ!」と声が出る、ジャコメッティ的な手足の持ち主であります。これで頭部と体が細ければ完璧なのに・・・。

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と、世界的彫刻家の作品と、ご近所ポスターのイラストが、ワタクシの脳内でガッチリ結びついたところで、今日の記事はお終いっ!チャオーー。

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