上野で「プーシキン美術館展」を拝見。好きなものは好き、苦手なものは苦手という、当たり前のコトを悟る日。 [絵画]
2018年6月。上野の東京都美術館へ、展覧会を観に行ってきました。
プーシキン美術館展(7月8日まで開催)であります。サブタイトルは「旅するフランス風景画」。
絵のハナシの前に、美術館名「プーシキン」についてです。こりゃ調べるまでもなく(←自慢が入った)ロシアの文豪のお名前ですな。ところで「プーシキンさんは、どんな小説を書いたっけ?」と疑問が頭をよぎり、うむむ、と私は唸った。幸先よく「スペードの女王」が思い浮かんだものの、その後が続かない。「スペードの女王」「スペードの・・・」、結局、思いつくのはそれだけか!?チャイコフスキーつながりで「くるみ割り人形」「眠れる森の美女」・・・って、そりゃ違うだろ、と思ったら、「エフゲニー・オネーギン」は、なんとプーシキンさんの作品でした。犬も歩けば棒にあたる。ロシア文学好きと自慢するわりにワタクシの知識はこの程度でした、自虐。
という、余計な前置きはおえて、上野の「プーシキン美術館展」であります。10万点を誇るロシアの有名美術館の所蔵品から、フランス人画家またはフランスで活躍した画家による風景画を中心に展示されておりました。
さてさて、モノの価値とくに「ゲージツ」と称される物品の価値は、ワタクシには永遠の謎なんであります。なんで、この絵が世界的に評価されているのだ?とか、どうしてこの作品にウン億円の値が付くの?と疑問ばかり頭に浮かびます。しかし、そんなこたあどうでも良い!と展覧会の会場でつくづく思いましたね。
「自分の目」で見て、素晴らしいと思え、感動できる作品こそが私にとって唯一の名作なのだ、と。
他人の(世間の)高評価や、美術解説書での褒め言葉が何だというのだ。ましてや取引された価格で、その対象に感動できるわけもない。要は作品に対峙したとき、ココロの琴線に触れるかどうかだよ!と、珍しく真面目に考えた次第。
こんなことを言うのも、「プーシキン美術館展」で名作(?)として並べられているモネ、セザンヌ、ルノワール、ピカソ、ゴーギャン、ゴッホ、の絵画に、ワタクシ、なーーんにも心が動かなかったから。
作品を前にしてブルブルと震え、感動した逸品はたったの2点だったのです。
それは、シスレーさんの描いた田舎の風景画であります。
陽光に照らされた木々と草原が、柔らかく暖かく描かれて、じっと見ているうち、画のなかに吸い込まれそうです。絵画全体から幸福感がむんむんと放たれているのであります。
筆の向きを巧みに変えながら描かれた、明るい空には、自然を愛し風景を愛するシスレーさんの至福の感情が、湯気のように立ちのぼっています。実物でなければ、その感覚は分からないと思いますね。ワタクシ、10分間以上も、この絵をジーッと見つめてしまった。うーん、幸せだあ。。。
なんという絵画の力でしょうか。極論、ワタクシ、2点のシスレー作品を観るためだけに、展覧会に来たようなもの。しかし入館料を払った価値は十分にあった、と強く思いましたね。
ちなみに、私が溺愛するヴラマンクの作品も2点ありましたが、展示品はイマイチ。ピサロさんも同様にイマイチ・・・。意外にも、それほど好みではないマルケさんの作品がツボにはまりました。これは良いなあ、と絵の前で、しばし見惚れてしまいました。
そのほかには、独特の世界観という点で、アンリ・ルソーさんのジャングル画は面白いですね。動物の、とぼけた味わいがなんともいえない。ルソーさんのジャングル画のなかでは、ヘビ使いの女が横笛を吹いている作品が好きで、いつか実物を観たいなあと思います。
以上、長々と駄文を連ねましたが、要するに「シスレーさんの絵が最高だったわあ!」という単純な感想の、プーシキン美術館展でございました。チャオーーー。
コメント 0