札幌で「ゴッホ展」を拝見。しかし、展覧会より大通公園のバラに感動した日。 [絵画]

札幌の北海道立近代美術館で「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」が開催されています(会期:2017年8月26日~10月15日)。今週前半が札幌出張だったワタクシは、昼食時の空き時間に拝見しました。ポスターには、皆様も見覚えあるでしょう、ゴッホさんの部屋の絵が使われております。

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という前書きではありますが、この日、「おおッ」と感激したのは、ゴッホ作品よりも、札幌大通り公園に咲くバラでした。大通り西12丁目、正面建物(札幌市資料館)の手前がバラ園なんですね。

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ピークを迎えたバラの花の美しいこと!写真左上の黄色いバラは「ユリイカ」という名前だそう。真理を発見し、「そうか!」「分かった!」といったココロの叫びをあらわすクールなお言葉。良いネーミングです。

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なんとな~く、これで話が終わった感じになりました。いや、ここで気を取り直して「ゴッホ展」について書きます。

エラソーに聞こえそうですけど、展覧会を観た率直な感想は、

ゴッホの作品の、何が良いのかサッパリ分からない。

であります。今回、初めて気づいたわけでなく、私がゴッホの絵(画集)に出会った45年前から、この感想は不変ですね。

もちろん、ゴッホの絵が悪いとか、私の審美眼が優れているとか言ってるんじゃありません。版画家の棟方志功さんをはじめ多くの芸術家が、ゴッホから刺激を受けて作風を確立した美術史からみても、ゴッホ=スゴイ方なのは歴然です。シロウトの私が偉大な画業を否定するつもりはありません。

ただ、私個人はゴッホの絵をみても、まったく心が動かないというハナシです。

極端な仮定ですが、ゴッホの真筆油彩画を10万円で買わないか?と打診されても、私は「要りません」と答えるでしょう。好きでもない絵を飾りたくないし、第一、かさばって邪魔だもん。市場価格が5億円だとしても、私にとっての価値は限りなくゼロです。好みでもない有名なモノ(あるいは高価なモノ)を保有して悦にいるほどワタクシの虚栄心は肥大していませんし、投資目的に不要物を抱え込むほど金銭欲はない(と、自分では思っています)。

ちなみに19世紀~20世紀初頭の画家でワタクシの絶対的フェイバリット(アイドルと言っても良いです)は、モロー、シスレー、ピサロ、ヴラマンク、キスリング、スーティン、これで決まり!ヴラマンクの風景画なら1000万円なら、なんとか手を打ちたいなあ・・・って自宅に絵を飾るスペースがないか。とほほ・・・。

まあ、ゴッホが好きじゃないならゴッホ展に行くなよ!ブログに書くなよ!つうツッコミはありますけど、本イベントにも素晴らしい食いつきどころはありました。ゴッホに影響を与えた「日本の浮世絵」です。見応えありましたね~。世界に誇る日本の芸術、日本人として誇らしいです。

ほかにはゴッホが描いて有名になった「オーヴェールの教会」を、佐伯祐三さんが描いた作品。佐伯さんは自作をヴラマンクに見せて酷評された経緯があります。佐伯さんはフォービズム(野獣派)に傾倒していたので、ゴッホさんの描く教会より、佐伯さんのほうが筆に勢いを感じます。そこに私のココロは震えるのであります。この絵は良かったなあ。

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ということで、ゴッホ展で、ゴッホ作品以外を堪能する皮肉な結果でしたが、これが「極私的な美術の楽しみ方」というものでしょう・・・と、無理やり話をまとめてみましたぜ。

おまけみたいでナンですが、北海道立近代美術館の入口へ向かう道がこれ。

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その道に面して、ゴッホ展の看板が置かれています。ゴッホの愛した夾竹桃(きょうちくとう)の絵を中央に、両脇には本物の夾竹桃を配する演出、なかなか良かったです。

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本日は以上。次回は東京六本木で開催中の「ジャコメッティ展」について書きます(・・・の予定です)。チャオーー。

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ゾンネンシュターンとセラフィーヌ・ルイ。作品をまじかで観たいとワタクシが切望するふたりのアーチスト [絵画]

前回の記事(2017年2月2日)でアウトサイダーアートの代表格アドルフ・ヴェルフリさんの展開会について書きました。今回はその続きです。ワタクシがぜひとも作品の「実物」を観たいと切望するアウトサイダーアート画家2名について書きます。

ところで、アウトサイダーアート(アールブリュット)とは何か?知ったかぶりして記しますね。ゲージュツ界というのは諸事情からアーチスト(作品)を分類せねばならないようです。たとえば「印象派」「野獣派」「立体派」「ラファエル前派」など。これらは作品に共通の思想や傾向があるので良いですが、個々の作風があまりに独創的だと分類自体が困難ですよね。そこで同時期にパリにいた異邦人を「エコール・ド・パリ」とくくってみたり、分類側の能力を超えてしまうと「ポスト・モダン」なんつう無茶苦茶なネーミングさえ登場します。

では、アウトサイダーアートとはいったい何でしょう?これまた無茶ネーミングの一例といえましょう。

もともとはアール・ブリュットというフランス語で、「生(き)のままの芸術」という意味だそう。それを英語に移し替えるときにアウトサイダーアートなる語をを当てたようです。一般には、正規の美術教育を受けていない、あるいは教育を放棄した「シロウト」の手になる作品です。作風に共通性はないわけですね。時代も国も関係なく、突拍子もないものをシロウトが描いちゃったので、とりあえずアウトサイダーの芸術に押し込めちゃお、てなノリですね。

ただ、不思議な共通点として、美術史に名を残すアウトサイダーアートの作家(画家)は、精神病院や施設に収監されたことをきっかけに、そこから絵画に目覚めています。こうした例が「アウトサイダーアート=精神に障害のある人の絵画」という刷り込みにつながった面がありますね。

正確な定義は別として、ワタクシの考えるアウトサイダーアーチストとは、精神の障害とは無関係に「絵画教育を受けなかったがゆえ、周囲の動向に頓着せず、ひたすら無為かつ独自に内面世界を掘り下げた画家」と考えています。

うわ、例によって前置きが長くなったぞ。本題「ワタクシが愛するふたりのアウトサイダーアーチスト」を書くこととしましょう。

まずひとりめ。ドイツの画家フリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターン(1892~1982)であります。この方、若い頃はずいぶん素行が悪かったようです。1915年(23歳)で精神病院に収監。退院後に犯罪に手を染めたりで、精神病院へ逆戻り・・・。あれ、やっぱり精神病院がからむのね。アウトサイダーアート=精神障害者の絵画、という刷り込みは前回記事のヴェルフリさんと、このゾンネンシュターンさんに因るところ大ではないか?

彼の作品です。一言で言えば、幻想的でエロティック。奇妙で独創的なアイディアはどこから降ってきたのか?

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でっぷりした裸体の女、不気味な笑顔、奇妙な動物(極端にデフォルメされ生物とも言いがたいが・・・)、渦巻き、鞭のようにしなる曲線、涙型のしたたり、など彼独自のモチーフが繰り返して描かれます。

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私が初めてゾンネンシュターンという名を知ったのは、30年くらい前でしょうか、澁澤龍彦御大の著書「幻想の画廊から」でした。その本に、スエーデンのスワンベルクさんなどと並んで、ゾンネンシュターンさんが御大の絶賛を浴びているのでした。澁澤センセイに迎合するわけではないが、あまりにヘンテコ、だけど、すごい吸引力があるこんな画家もいるのかあ~と驚いた次第です。

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色鉛筆で描かれている点も、なんとなく親近感がわきますね(と、あまりにもシロウトな発言で失礼)。

ファンタジックというより気色悪さが目立つこうした作品は、日本人好みと思えませんが、ぜひとも日本でゾンネンシュターン展は開催してほしいもの。関係者の皆さま、よろしくです!

さてふたりめのアーチストです。フランスのセラフィーヌ・ルイ(1864~1942)であります。美術教育どころか、ふつうの教育もまともに受けておらず、下宿の使用人として掃除、洗濯、家事を行っていた女性。趣味というより日常からの逃避行動でこっそり描いていた花の絵が、下宿人である画商の目にとまり「作品」が世に出た・・・と、こうゆうわけです。

悲しいことに、絵が認められ称賛を得つつあった彼女、個展開催の計画が進んでいたタイミングで、第一次世界大戦が勃発します。応援していた画商は国外へと去り、個展も頓挫。セラフィーヌさんは精神を病み、精神病院へ収監。・・・と、ここでも病院が出ました(ただし、セラフィーヌさんの絵画は、入院前に描かれたものだそうです)。

彼女の作品です。鮮烈な色。圧倒的な量感。内側から湧き出るエネルギー。この迫力はなんだ。絵画教育を受けた画家の静物画にあり得ない「デッサンなんぞをぶっ飛ばした生命感」がみなぎっているんですね。

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セラフィーヌさんの絵には遠近法や、(美術教育でいうところの)構図という概念は希薄です。心から湧き出すままに自由奔放に花を描いた印象です。

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作為のない、描き手の世界感まんまのイノセンスが観る者の心を打つのでしょう。こうなると、「美とは、そもそも何か」というギリシャ哲学の命題に行きつくかのよう。うーん、今日のオレ、ちょっと背伸びしてムズカシイことを言ってみたぜ。

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セラフィーヌさんの作品、ヨーロッパの評価はわかりませんが、日本では評価以前の無名状態と思います。ゾンネンシュターンさんよりも展覧会開催ははるかに難しいと思いますが、美術館の学芸員の皆さま、ぜひとも展覧会開催の検討をお願いいたします!お願いっ!

最後にセラフィーヌ・ルイさんの生涯を描いた2008年の映画「セラフィーヌの庭」の予告編を貼り付けておきますね。予告編を観ただけでジーンときちゃうのは、ワタクシの思い入れが過剰なせいでしょうか。はい。


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「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」展を、兵庫県立美術館で拝見したハナシ。 [絵画]

兵庫県立美術館で、2017年1月11日~2月26日に開催している展覧会、

「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」

に行ってきました。数か月も待てば東京でも開催されますが、ワタクシ、兵庫県立美術館(神戸)が大好きなので関西出張ついでに寄った次第。ちなみにこの美術館、立地や建物も素晴らしいけど、比較的、客が少ないのが最大の魅力ですね(失礼)。

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さて、アドルフ・ヴェルフリなる名前を聞いて「あ、あの画家ね」とピンとくる方は、かなりの美術ツウ、それもマニアックと申せましょう。ヴェルフリ(1864年~1930年)はスイスの方。正規の美術教育を受けていない全くのシロウトです。31歳で精神病院に入院して、以降、66歳で亡くなるまでを、そこで過ごしたのです。

彼の「作品」はすべてその精神病院で描かれました。要するに治療の一環として、医者から鉛筆や紙を与えられたのをきっかけに、独創性と絵画への熱意が開花したわけです。似たケースとして、ユトリロ、山下清さんやゾンネンシュターンを連想しますが、ヴェルフリさんの場合、際立って凄まじいのは「物量」なのであります。

その作品数は、な、なんと、全45冊、25000頁という圧倒的な量を誇ります。

ちなみに彼が精神病院で創作したのは単なる「絵」ではなく「物語」なんですね。主人公(自分自身?)が世界中を旅し、さまざまな人物や事件に遭遇する奇想天外なドラマ。それは想像(妄想)の域をこえた幻視ですらあります。まあ、晩年になるとストーリー性は失われ、類似単語の延々たる羅列になり、それはそれで怖いわけですが・・・。

今回の展覧会で70点を超える作品が展示されています。それらを観て、ワタクシは背筋がザワ~ッとしましたね。画面を覆いつくすほどに、文様とも記号ともつかぬパターンが詳細かつ綿密にビッチリ描きこまれているからです。作品発表の意図もなく、自らの欲求のまま、新聞紙サイズの質の悪い用紙に、似ているようで似ていない膨大な絵(記号)を描きこんでいく無為の作業。彼には、徒労感など無かったのでしょうか。

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飽くことなき執念の産物は、底知れぬ「創作欲」の賜物か、あるいは狂気を通じて到達できる「ヴィジョン」なのか・・・ううむ、これは奥が深いテーマですなあ。

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ぼやけた印象派絵画なんぞをノホホーーンと眺めても、こうした眩暈(めまい)のようなトリップ感には、絶対に到達できないでしょう。

この凄みこそがヴェルフリさんをアウトサイダー・アート(アール・ブリュット)の雄、と言わしめるゆえんでしょう。

作品を売る戦略だの、他との差別化だのに汲々とする「狙って作るアーチスト」たちが世間にはあふれております。彼らは、恣意そのものがスッポリ抜けきったヴェルフリ作品をどう思うのか?興味がありますね。ダミアン・ハーストさん、シンディ・シャーマンさん、村上隆さんなど偉大なアーチストですけど、言い方を変えれば、彼らの作品は「けれん味たっぷり」ですもんねえ(だから良い悪いというハナシではないが・・・)。

「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」展、良かったなあ~。東京に巡回で来たら、もう一度行っちゃおうかな~。以上でお終いっ!と、言いたいところですが、蛇足的に次回の記事の予告です。

アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)の話題が出たので、次回は、展覧会を開催してほしいお二人の画家(シロウトさん)について書きます。

ひとりは、当ブログでも取り上げたセラフィーヌさん(ブログ記事は→ここ)。フランスの家政婦で、強烈な花の画を描きます。彼女の生涯は映画「セラフィーヌの庭」にもなりました。そして、もう一人はヘタウマ幻想系(言い過ぎかな)のゾンネンシュターンさんであります。記事を書くのが、今から楽しみだなあ。ふふふのふ。


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津田信夫(つだ しのぶ)さんのメタルアート作品に目がくぎ付けになる展覧会。 [絵画]

2017年1月。千葉県立美術館(千葉市中央区)で、展覧会を拝見いたしました。

津田信夫(つだ しのぶ)メタルアートの巨人展であります。大げさでなく、この企画には心底、感動しましたね。

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津田信夫というお名前をきいてピンとくる方は少ないでしょう。以下、展覧会のパンフレットから紹介個所を転記します。

千葉県佐倉市に生まれた津田信夫【明治8年(1875)~昭和21年(1946)】は、工芸家、教育者、工房の親方として多方面に優れた業績を残した、メタルアートの巨人です。

明治、大正、昭和と日本の近代芸術黎明期に活躍された津田さんは、型に金属を流し込む「鋳造」という技法を駆使して、日本橋橋上の麒麟(きりん)像や獅子像など多くの名作を残された方。ごっつい国会議事堂の正面扉も津田さん指揮のもとで造られたそうです。

これら「モニュメント」は日本美の極致を極めた精緻かつ大規模な物件ですけど、私のお気に入りは、むしろ比較的小さい(といっても30センチ~50センチ)工芸作品なんであります。

モチーフは動物、人物、器など。とくに動物像は無駄な装飾を排したシンプル表現でありながら、写実的でもあり、デザイン性にも富んでいます。具象と抽象の良いとこ取り、とでも言いましょうか。

日本の工芸名品といえば、たとえば宮川香山のリアルな生物、高瀬好山の超絶技巧の自在置物など思い浮かべますが、それらは技術(技巧)が立ちすぎて、対象本来の生命力が減じている、と思うのです。

それに比べて、津田信夫さんの生み出す動物たち、なんと活き活きとしていることよ!

羽ばたこうとする猛禽類の広げた羽の絶妙なカーブ。対する岩の直線的エッジ。がっちり岩をつかむ肢の力強さ。鳥の顔つきは迫力満点です。

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こちらは高級車の車体を思わせる滑らかで艶っぽい曲面の美しさが特徴。豹のしなやかな動きがビンビン伝わってきますね。一分の隙も無い、とは、まさにこれでしょう。

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キツネや鳥の親子には、作者の愛情あふれるユーモラスな視線が感じられます。

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なんとも可愛らしいですね~。見ているだけで顔がほころんでしまいます。生きる意味、その神秘と喜びを作品にこめたと言えましょう。

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一方、明治の工芸家らしく、中国故事にのっとった重厚な作品もあります。獅子が手で支えているのは歯車。なんとも斬新ではありませんか!

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この展覧会、2017年1月15日まで千葉県立美術館で開催されています。上野あたりの美術館で、舶来(死語?)の有名絵画を眺めて、悦に入るのもアリでしょうけど、われらの国、日本の生んだ偉大な名匠、津田信夫さんの作品をじっくり鑑賞すれば、目からウロコは間違いありませんぞお。

千葉県民としてのPRポイントは、なんたって会場が空いていること。休日でも来客はパラパラ、平日なら確実にガラガラでしょう。ゆえに、ひとおおり拝見したあとで、改めてじっくりと好みの作品に対峙できるのです。どうですか!・・・って、妙な自慢をしちゃったところで今日はお終いっ。ちゃおー。


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ダリ展 (東京 国立新美術館) を拝見し、作品だけでなく、客層に驚いたハナシ。 [絵画]

六本木にある国立新美術館へ「ダリ展」を観に行きました。開催期間は2016年9月14日~12月12日であります。ポスター、どどーん。

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展覧会WEBページでは旬の女優、高畑充希さんが例の「ダリひげ」を付けて集客PRをしております。「高畑充希って、どこのダリ(誰)?」と林家木久扇さん的ダジャレをかましてはいけません。もう書いちゃったけど。

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スペインの画家ダルバドール・ダリさんがお亡くなりになったのは1980年代。没後30年が経ってます。しかし、いまだに人気は衰え知らずのよう。凄まじい描写力もさることながら着想・発想がユニークです。さらにはトレードマークのヒゲや「オレ様発言」でパフォーマーとしても一流でしたから、いまやシュールレアリズムの画家といったら、真っ先にダリさんのお名前が挙がることでしょう。

私がダリさんの画集を買ったのは1977年(約40年前)、存命中からビックネームでしたね。ちなみに展覧会を初めて見たのは1980年か1981年。ずいぶん昔だわあ、と感慨深いです。

さて国立新美術館の「ダリ展」。その感想を一言でいえば

ダリさんは、やはりダリさんだった・・・であります。

画風確立前の20代に描かれた、平易な風景画、ピカソばりの立体派風など「彼らしくない」作品を個人的に興味深く拝見しましたが、

多くの観客が集まるのは、やはり独特のシュールな油彩画ですね。超絶技巧で細部を描きこんだ超現実な風景や人物の作品群。シロートのワタクシ、これらの絵画のインパクトに、単純に「すげえなあ」と驚嘆するのでした。壁一面を覆うほどの巨大な絵だと、物理的な大きさにも圧倒されますし。

ダリ夫人でもあるガラさんを中央に配したこの作品。いやあ、デカかったなあ。40年ちかく昔に買った前述の画集にも載っていた作品。懐しかった。まさかこうして本物が見れるとはねえ。

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そうです。ダリ絵画の楽しみツボは「すげえ」という素直な驚き、であって、専門家風のムズカシイ小理屈を語りだすと、とたんに、つまらなくなるのですね。

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1920代にダリさんが親友(?)ルイス・ブニュエル(のちに世界的な映画監督)を描いた肖像画がありました。威厳が漂っています。ダリらしい作品とは言えませんが、今回の展示作の中で一番好きです。エラソーに言わせていただくと、強い描線、どこか冷めた空気、無人の背景は、1920年代ドイツの、ノイエ・ザハリヒカイト(新リアリズム)一派の作風を思い起こさせます。

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案の定、ダリさんとブニュエルさんによる「アンダルシアの犬」が会場の一角で上映されてました。あまりにも有名なシュールレアリズム映画の金字塔。ワタクシ、高田馬場で内容を丸暗記するくらい観たのでこれはパス!しかし敵もさるもの、別エリアでは、なんとブニュエル監督「黄金時代」が上映されていました。うわあ、企画者のマニアック度が怖いよ~。

ところで映画「黄金時代」を観ながら、笑ってたのは、どうやら私だけでした。よくもまあ、みなさん、真面目に観てるもんですな。だってそうでしょう。泥だらけになって女と抱き合った紳士が、群衆に殴られ蹴られ、どこかへ連行されるシーン。紳士が、吠えてきた小犬を蹴ると、キャイーン、と犬が吹っ飛ぶ、あの演出って絶対に笑いツボですよ。ほかにも、村の女たちを城に幽閉し下劣の限りを尽くした領主の風貌が、まるでイエス・キリスト、という逆説。苦笑いは必至でしょう。

こうなったら、スピンオフ企画でブニュエル映画祭を開催してはどうかな?「砂漠のシモン」や「小間使いの日記」の靴フェチ・シーン、「昼顔」のカトリーヌ・ドヌーヴの鞭打ち、「忘れられた人々」の絶望的ラスト等を、メドレー的に上映して、いや~な空気にしちゃいましょう。よおし、ミシェル・ピコリ、万歳!・・・あ、本題から逸れたね。すいません。

と言いながら映画「小間使いの日記」の、肢(靴)ネタのシーン。

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さらに、映画「昼顔」の、変態妄想シーン。

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しつこかったかな。。。

話は戻って、最後にひとつ。

国立新美術館の観客についてです。私が行った日が、たまたまかもしれませんけど、かなりの人数のおじいさん、おばあさんが押し寄せてました。美術鑑賞と年齢は無関係とは思うものの、なんか違和感。80歳をゆうに超えていると思われる小柄なおばあさんは、まるでダリ作品なんか見ちゃいませんでした。これぞ、シュールな情景。いったい何なんだろう。。。悩んだところで今日はお終いっ。


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ポール・デルヴォー版画展を拝見。ビミョーな気持ちでウムムム。。。 [絵画]

2016年11月某日。ワタクシの住む千葉県市川市にある芳澤(よしざわ)ガーデンギャラリーへ行きました。こじんまりとした造りながら、ネーミングどおり緑あふれたステキな庭を持つホッとする場所であります。

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目的は11月27日まで開催している「ポール・デルヴォー版画展」を拝見するため。お、良い企画を持ってきましたね。

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ポール・デルヴォー(1897年~1994年)はベルギーの画家。美術史ではシュルレアリズム画家にカテゴライズされてますが、ワタクシのなかでは、もっと広く「幻想絵画」のヒトという位置付けです。

デルヴォー作品の実物は油彩でしか見たことがなく、今回、はじめて版画を拝見しました。

で、展示会場を一巡したワタクシ、うわ・・・ほどは驚きませんが、ちとビミョーな気持ちになったのです。理由は作品がストレートに「デルヴォーさんらしかった」から。そりゃあデルヴォー版画展だから当たり前だろ!とツッコまれそうですが、なんといいましょうかね、あまりにも「予想どおり」で、一昔前の言い方だと、想定内なのであります。

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描かれるのは女性の姿がほとんど。着衣もありますがメインは裸像。裸一貫!ではなく飾り(髪飾り、帽子、アクセサリー)をつけてエロテイストを増幅。こうした世界観が、まるで油彩画と同じなんですね。

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デルヴォー美学の象徴でもある「表情」もしかり。感情の抜け落ちた、ココロここにあらず的な顔つきに、今どき使わない言葉だけど、「痴呆美」を連想しちゃいましたね。

デルヴォーさんは長寿(96歳で没)なんですねえ。長年にわたり、徹底的にユメセカイを極めたかったか、あるいは、ほかの題材を描けなくなったか。いずれにしても、芸風のブレ無さにストイックでスゴイ、と思う一方で、ウムム、なんたる偉大なるマンネリ・・・と気分がビミョーです。

同じくベルギーの画家マグリッドさんは、視覚効果満点の「マグリッドらしい」作品を多く残しましたが、題材(モチーフ)には、かなりのヴァリエーションがありました。デルヴォーさんの、裸女たちによる幻想風景、の一貫性は、モネの「水連」、シャガールの心象風景、モランディの「静物」と同じ匂いがします。意味悪な見方をすれば、自らが確立し世界に認められた鉄板モチーフを、手を変え品を変えて、なぞり続ける自己複製っぽさを感じなくもない。話を広げますが、画家キリコさんが避けたかったパターンが、まさにコレだったんでしょう。

おっと、いかん、つい批判的な言い方になってしまった。

ようするに、ワタクシはそれほどデルヴォー作品を好きではない、という単純明快な答えに行きつくようです。おお、スッキリしたなあ。

そうですよ。絵画鑑賞なんてのは、結局は「好み」が大切。思い入れもない作品に、世界的に有名、という外野の理由を持ち込んで感動する(ふり)なぞ意味がない。そんなこた、できっこないしね・・・。うわあ、勢いがついて無茶を言ってしまった。デルヴォー版画展を企画された皆様、すいません。

というわけで口直し(?)にもう一度、芳澤ガーデンギャラリーの庭をひとまわりし、心穏やか~ぁ、になったところで今日はお終いっ!

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蛇足です。隣町、東京都葛飾区の立石駅ホームに、ポール・デルヴォー版画展のポスターが貼ってありました。となりには「寅さんサミット」のポスターが・・・。寅さんが葛飾区(柴又)のヒーローなのはわかりますが、これを並べるか?渥美清さんの圧倒的存在感の前に、デルヴォー版画展、めちゃ影が薄くなっておりましたね。とほほほ。

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北海道立旭川美術館 「フランス 近代美術をめぐる旅」展を拝見しました [絵画]

先週、身内の不幸があり、急遽、地元北海道へと飛びました。通夜と葬儀を終えた2日後の土曜、宿泊先ホテルからほど近い旭川美術館へ行ってきました。

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こちらで、2016年8月17日まで開催している「フランス 近代美術をめぐる旅」展を拝見したのでした。

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ひろしま美術館が所蔵する19世紀から20世紀にかけて絵画・彫刻作品、約60点を借用・展示しています。つい最近、同時代作品を、札幌(の道立近代美術館)で拝見したので流れを感じましたね。

率直に言うと、札幌で拝見した作品(ポーラ美術館所蔵)より、旭川のほうがツボにはまりました。

開催者の掲げる目玉は(お約束どおり)モネ、セザンヌ、ルノワール、ゴーギャン、マティス、そしてピカソといったところでしょう。しかし天邪鬼なワタクシが、うわっ、と感激した一品は、なんたって、これです。

シャイム・スーティン「椅子によれる女」(1919年頃)です。

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スーティンの実物を観るのは今回でやっと4作目ですが、どの作品にも気迫というか怨念が画面から放出されております。一見、雑に塗ったかのようで(実際そうなんでしょうけど)、息が詰まるような圧力があります。ぐにゃっとねじ曲がった形状の、曲がり具合にスーティンならではの絶妙を感じます。なんという素晴らしい画家なのだろう!

どこかの美術館で「スーティン展」やってくれないかなあ。絶対に行くのにな。

ちなみに作品脇プレートに書かれた画家名が「ハイム・スーティン」となっとりましたけど、ファーストネームは、ハイムではなくシャイムではないか?いつのまにハイムに変わったのか。積水ハイムみたいじゃん。スペル最初の「C」は発音しないのが正解?・・・と、どーでも良いことがむしょうに気になりました、はい。

話を展覧会に戻しましょう。

札幌のポーラ術館所蔵作品展でイマイチだったヴラマンク作品が、今回はやってくれましたね!ワタクシの大好きな「雪景色」が堂々と登場。このモチーフこそ、ヴラマンクさんの真骨頂、圧巻であります。勢いある筆致と、黒と白のメリハリの妙に、じ~っと見とれてしまいました。

さらには、キスリングの見事な少女画。感動であります。ここに至って前半に観た印象派作品など、どーでもいいわい、という気になりましたな。

そうそう、蒐集者のセンスに拍手を送りたいのは、ルドン、キスリング、ヴラマンクのそれぞれの「花の絵」が揃っていることです。三者三様の「花」が、彼らの美学を的確にうつしだしており実に興味深かったです。

今回の展覧会、良い絵を観たなあ!という満足感が腹の底からわき上がりました(←むちゃくちゃな表現ですいません)。

旭川美術館さん、ありがとうございました。この勢いで「スーティン展」、ぜひよろしくお願いします!

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札幌市の道立近代美術館で、ヴラマンクの風景画にうなったハナシ。 [絵画]

2016年8月。

数日前の札幌出張でのこと。午前と午後の打合せの間に1時間半ほどの空き時間ができました。昼飯はコンビニパンでササッと済ませて、私は道立近代美術館へ向かったのであります。

開催中のポーラ美術館コレクション展を拝見するためです。

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箱根にあるポーラ美術館の所蔵絵画のうち約70点を展示する企画。日本人が愛するモネ、ルノワール、セザンヌ、シスレーといった印象派から、ゴッホ、ゴーギャン、シャガール、ルドン、マティス、ピカソ、さらにはムンクまでと有名どころがドドーンと壁を飾っております。見応えは十分ですねえ。

ブリジストン美術館(東京)といい、倉敷の大原美術館といい、日本の美術館の蒐集力もそれなりスゴイなあ、と感心した次第。ただし。私が、今回、展覧会に足を運んだ理由は、ある画家の絵を観るためであって彼以外は(私にとっては)添え物と言ってよいのです。ワタクシが惚れ込んでいるその画家とは、

ヴラマンクさん、であります。フォービズム(野獣派)に近づきつつも、独自の画風を確立したヴラマンクさん。ワタクシの好みは赤やら黄色をド派手に塗った絵ではなく、モノトーンを基調にした風景画であります。一気呵成に黒と白で流れるように描かれた、木の枝、雪の道、建物、そして空や川。その大胆さ。筆の勢いが生み出す迫力と訴求力。尋常ではありません。

ヴラマンクに比べたら、モネやセザンヌの作品などは、輪郭がぼやけ微温的にさえ見えてしまいます。強いてヴラマンク表現に匹敵できるものを挙げるとすれば、シャイム・スーティンの強烈な風景画。または国も時代も違いますが日本の古武雄の壺(弓野焼き)に描かれた木。

・・・おっと、ここでワタクシのヴラマンク愛を語ってもしょうがないですね。

展覧会へ話を戻しましょう。ヴラマンクは2点が展示されていました。感動ツボにドーンとストライク・・・とまではいかない作品でしたが、ヴラマンクさん独特の勢いみなぎる画面に、たっぷり10分は見入ってしまいましたね。やっぱり良いなあ、ヴラマンクさん。

以下は、今回の展覧会の出展品ではありませんが、ヴラマンクさんの描く、ワタクシが好きなタイプの風景画でございます。はい。

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ところで、どうして日本人は(外国も同じかもしれないが)モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、シャガールが好きなんでしょうね。そんなにアレって良いですかね。今回の展覧会もご多聞にもれず、ポスターに使われているのはモネ。チラシで紹介されるのも「その手の路線」です。ヴラマンクさんなんぞ、「ヴ」の字も出てきやしません。絵画は人の好き好きですので、大きなお世話でしょうけど、世間やマスコミの評価ではなく「自分の目」で「自分の好み」を見極めてほしいもんですなあ・・・って、誰に対しての上から目線だよ。

さて、ヴラマンク作品以外ではシスレー、マルタン、ルドンに足を止めたくらいで、ほかは軽~く流し、30分程度で会場から撤収しました。道立近代美術館から札幌駅方面(北東)へと徒歩移動します。三岸好太郎美術館のある敷地を経由すると、こじんまりしてますが素晴らしい風景を楽しめますね。

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芸術作品の風景もよいけど、実際の風景って、やっぱり良いわなあ。

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と、当たり前といえば当たり前の感慨にひたったところで、今日はお終いっ。


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国立新美術館(乃木坂)で開催中。大原美術館のコレクション展「はじまり、美の饗宴展」を拝見したハナシ [絵画]

前々回の記事で書いた「ラファエル前派展」につづき、都内の美術展をとりあげます。六本木にある国立新美術館で開催中(2016年1月20日~4月4日)の、

はじまり、美の饗宴展 すばらしき大原美術館コレクション」であります。

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のっけから余談ですが、国立新美術館に行くたび、ワタクシ地下鉄駅を間違えます。ついつい、日比谷線「六本木駅」で下車しちゃう。おかげで冷たい雨に濡れてしまった・・・。なんのことはない千代田線「乃木坂(のぎざか)駅」で下車すれば、地下鉄の出口が美術館に直結しており、圧倒的に楽なんですね。ううっ、次回は間違えずに乃木坂から行くぞ。

さて、この美術展。

大原美術館(岡山県倉敷市、1930年創設)所有の、世界にほこる絵画・彫刻・陶芸のコレクション。その一級品の数々を六本木・・・じゃなく乃木坂でドドーンと披露する豪気企画です。明治時代の大実業家は、いまとはスケールが一桁も二桁も違っているようで、惜しげもなく大金をつぎこみ名作をバンバン買い集めたわけです。豪快と執念の成果が、大原美術館であり今回の展覧会なんですね。

「え?これって日本の美術館にあるの?」と驚く名画も会場に並びます。好き嫌いは別として必見でございましょう。

展示作品を世間の基準で眺めれば、見どころは、エル・グレコ、セザンヌ、ドガ、ルノワール、ロートレック、ゴーギャン、モディリアーニ、ピカソ、キリコ・・・そして、やっぱり登場するモネ「睡蓮」あたりかな。しかし、それらへの私の興味は限りなく低いのであります。

ワタクシにとっては以下4点だけで大満足。来た甲斐があるってもんです。

筆頭作品はギュスターヴ・モローの「雅歌」(1893年)。レース状の衣装をまとう女性から漂う幻想性、エロスが尋常ではありません。作品は小さく(幅20センチ、高さ40センチくらい)、水彩画ゆえか、絵の前に集まる人もまばらで、おかげで独占的にじっくり拝見できました。

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じっと観てると、頭がくらくらします。モロー作品はすべて好きですが、女性を描いたものは特に良い。夢の中のようなボンヤリ風情でありながら、確実なエクスタシーがあります。不思議な光で、画面が輝いて見えますね。ワタクシの気分は、もはやユイスマンス「さかしま」の主人公。残念ながら、ユイスマンスさんの審美眼も文章力も持ち合わせないワタクシには「雅歌」の美しさを伝えるコトバがありません。しかし、そんなこたあ、どうでもいい!モローの絵画が、この世界に「ある」というだけで、ワタクシは生きてて良かった!と思えるんですから、ハイ。

次はピサロさんの作品。「りんご採り」(1886年)です。印象派作品にほとんど食いつけないワタクシですけど、シスレーさんとピサロさんは例外つうか別格扱いで、愛している、のであります。本作のなんという見事なバランス。そして陽光の優しさ、でありましょうか。こちらまで体がポカポカしてきそうです。

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日本の作品にいきませう。関根正二(せきね しょうじ)さん作「信仰の悲しみ」(1918年)です。画集ではなく、絶対にホンモノを観る必要があります。なぜなら、重くくすんだ色合いと、独特の筆致は、印刷や写真では伝ええないものだから。いやあ、本物にはインパクトがありました。スゴイ!(語彙、貧困で失礼)。

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ワタクシのツボにはまる最後の作品。それは、夭逝の画家、松本竣介さんの「都会」(1940年)です。松本さんといえば、すっくと立った自画像が有名でして、私も、あの絵を観て以来の大ファン。ただし展示作「都会」は、その自画像とは異なり、全体に青が基調で、線描が鋭く、立体派テイストの表現も加わります。雰囲気はシャガールっぽいですが、切ない感情が良い意味で日本人、を感じさせます。いいなあ~。じーんと、してしまいます。

以上、個人的な食いつき作品は、たった4点ですが、

近代~現代の西洋・日本絵画、彫刻、陶芸と幅広く、一級品を1日で堪能できる超オトク展覧会なのは間違いありません。未見の方には、是非、お奨めしたい展覧会でありました。おおいに満足しました!

ではでは。


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渋谷で拝見した「英国の夢、ラファエル前派展」。久々にツボにはまった、というハナシ。 [絵画]

渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで「英国の夢、ラファエル前派展」を拝見し、めちゃ感動したので、その件を書きます。この展覧会、渋谷は3月6日に終わり、西へと巡回、現在(3月20日時点)は山口県立美術館で開催されております。

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さて、本題の前に、ちょっとエラソーですけど”美術好き”に関する話です。「趣味は美術鑑賞」だとか「学生時代に美術部でした」というヒトと、絵画の話をすると、ほぼ確実にガッカリしちゃうワタクシです。なぜか?理由は、彼らの多くが自分の目で見ず、自分のアタマで考えないから。要するに、世間が誉めそやす作品や画家を、盲信的に信奉してるからです。(もちろん、そうでない人もいますけど)。

相手の口から「印象派が好き」「ゴッホが好き」「シャガールが好き」と聞いただけで、私は、その人とは、絵画の話をやめます。そんな「ゲージツのお墨付き」がなんだっての?と思ってしまう。クラシック音楽でいえば、モーツアルトが好き、と言っとけばとりあえずOK、みたいな安易さを感じるのです。

念のため、相手に「なぜ、その画家が好きですか?」と質問すると、だいたいは体(てい)をなさない答えが返ってきます。何をどう好きだろうと個人の勝手だし、無理にマニアックに走る必要もないが、本心からその対象が好きなら、「なぜ自分が好きか」くらい言葉で言えるでしょ?と呆れてしまう。

自慢じゃないけど、私に、グリューネワルト「イーゼンハイム祭壇画」や、ブリューゲル「雪中の狩人」、デューラー「メレンコリア」の話をさせたら丸一日はしゃべり続けますよ。モノゴトを好き、ってのは、そうゆうものではないかしらん。

と、無駄な前置きが長くなり、スイマセン。

今回とりあげる「ラファエル前派」。まさに前述のエセ美術好き連中が、時代遅れとみなした一派、だと思うのであります。19世紀半ばから20世紀という、美術界に大変革が起きた時代にもかかわらず、神話や文学から材をとった「古臭いロマンチック」「映画の場面のような」作風は、頭デッカチの美術通から、嘲笑の的になるのも無理ありません。

ところがどっこい、です。「英国の夢、ラファエル前派展」を虚心に観てどう思うか。古臭い、どころか、これらの作品こそが「絵画にしかできない表現」の究極と感じます。たしかに、19世紀以降の絵画の本流は、過去の絵画ルールから脱却して、風景や人間をありのまま描く、とか、画家の心情吐露、あるいは、多様性への挑戦でしょうけど、ラファエル前派は、それらとは発想や思想が違うのです。ラファエル前派が目指すのは、1枚の絵画にドラマ性を与える、という試みです。

ですから、画家たちは圧倒的な絵画技巧を発揮します。確かな技術に支えられた人間あるいは神々のドラマ。このようなハッキリした意図を持つ絵画は大好きなんです。

それでは、展覧会で出会った作品をいくつかご紹介します。

ジョン・エヴァレット・ミレイ作「いにしえの夢-浅瀬を渡るイサンブラス卿」(1856年~1857年)

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幅2メートルちかい大きさにまず圧倒されましたね。次に画面をよくみると、甲冑や装飾の精緻さに魅了されます。そしてなにより3人の登場人物の表情が良い。様々な想像をかきたてるではありませんか。

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神話や伝説を扱った作品だと、たとえばフレデリック・レイトン作「ペルセウスとアンドロメダ」(1891年)。

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あるいは、ジョン・ウイリアム・ウォーターハウス作「エコーとナルキッソス」(1903年)。

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人物画ではダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ作「シビラ・パルミフェラ」(1865年~70年)。ロセッティは、ラファエル前派の創始者のひとりですね。

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私が気に入った作品は、エドワード・ジョン・ポインター作「テラスにて」(1889年出品)です。穏やかな雰囲気、柔らかな筆致。リアルに描かれた木の枝、大理石。女性の衣装の見事な表現!

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暇を持て余した女性の、ボンヤリした横顔の美しさがたまりません。

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ワタクシ、この絵の前で、しばらく、じーっとたたずんでしまいました。すごい吸引力がありますもんね。

おっとハナシが長くなってきました。そろそろ終わりましょう。「ウィーン美術史美術館展」「プラド美術館展」「モランディ展」と昨年より、展覧会でスベリを重ねてきたワタクシ。しかし今回の「ラファエル前派展」は、嫌な流れを吹き飛ばす久々の大ヒットとなりました。本当に良かった。こうなると、次に行く展覧会がちょっと心配です。有名画家の名前だけで感動できちゃう単純な人間に、いまさらなれないし・・・。うーーん。

と、無理にまとめたところで、今日はお終いっ!


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