ゾンネンシュターンとセラフィーヌ・ルイ。作品をまじかで観たいとワタクシが切望するふたりのアーチスト [絵画]

前回の記事(2017年2月2日)でアウトサイダーアートの代表格アドルフ・ヴェルフリさんの展開会について書きました。今回はその続きです。ワタクシがぜひとも作品の「実物」を観たいと切望するアウトサイダーアート画家2名について書きます。

ところで、アウトサイダーアート(アールブリュット)とは何か?知ったかぶりして記しますね。ゲージュツ界というのは諸事情からアーチスト(作品)を分類せねばならないようです。たとえば「印象派」「野獣派」「立体派」「ラファエル前派」など。これらは作品に共通の思想や傾向があるので良いですが、個々の作風があまりに独創的だと分類自体が困難ですよね。そこで同時期にパリにいた異邦人を「エコール・ド・パリ」とくくってみたり、分類側の能力を超えてしまうと「ポスト・モダン」なんつう無茶苦茶なネーミングさえ登場します。

では、アウトサイダーアートとはいったい何でしょう?これまた無茶ネーミングの一例といえましょう。

もともとはアール・ブリュットというフランス語で、「生(き)のままの芸術」という意味だそう。それを英語に移し替えるときにアウトサイダーアートなる語をを当てたようです。一般には、正規の美術教育を受けていない、あるいは教育を放棄した「シロウト」の手になる作品です。作風に共通性はないわけですね。時代も国も関係なく、突拍子もないものをシロウトが描いちゃったので、とりあえずアウトサイダーの芸術に押し込めちゃお、てなノリですね。

ただ、不思議な共通点として、美術史に名を残すアウトサイダーアートの作家(画家)は、精神病院や施設に収監されたことをきっかけに、そこから絵画に目覚めています。こうした例が「アウトサイダーアート=精神に障害のある人の絵画」という刷り込みにつながった面がありますね。

正確な定義は別として、ワタクシの考えるアウトサイダーアーチストとは、精神の障害とは無関係に「絵画教育を受けなかったがゆえ、周囲の動向に頓着せず、ひたすら無為かつ独自に内面世界を掘り下げた画家」と考えています。

うわ、例によって前置きが長くなったぞ。本題「ワタクシが愛するふたりのアウトサイダーアーチスト」を書くこととしましょう。

まずひとりめ。ドイツの画家フリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターン(1892~1982)であります。この方、若い頃はずいぶん素行が悪かったようです。1915年(23歳)で精神病院に収監。退院後に犯罪に手を染めたりで、精神病院へ逆戻り・・・。あれ、やっぱり精神病院がからむのね。アウトサイダーアート=精神障害者の絵画、という刷り込みは前回記事のヴェルフリさんと、このゾンネンシュターンさんに因るところ大ではないか?

彼の作品です。一言で言えば、幻想的でエロティック。奇妙で独創的なアイディアはどこから降ってきたのか?

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でっぷりした裸体の女、不気味な笑顔、奇妙な動物(極端にデフォルメされ生物とも言いがたいが・・・)、渦巻き、鞭のようにしなる曲線、涙型のしたたり、など彼独自のモチーフが繰り返して描かれます。

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私が初めてゾンネンシュターンという名を知ったのは、30年くらい前でしょうか、澁澤龍彦御大の著書「幻想の画廊から」でした。その本に、スエーデンのスワンベルクさんなどと並んで、ゾンネンシュターンさんが御大の絶賛を浴びているのでした。澁澤センセイに迎合するわけではないが、あまりにヘンテコ、だけど、すごい吸引力があるこんな画家もいるのかあ~と驚いた次第です。

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色鉛筆で描かれている点も、なんとなく親近感がわきますね(と、あまりにもシロウトな発言で失礼)。

ファンタジックというより気色悪さが目立つこうした作品は、日本人好みと思えませんが、ぜひとも日本でゾンネンシュターン展は開催してほしいもの。関係者の皆さま、よろしくです!

さてふたりめのアーチストです。フランスのセラフィーヌ・ルイ(1864~1942)であります。美術教育どころか、ふつうの教育もまともに受けておらず、下宿の使用人として掃除、洗濯、家事を行っていた女性。趣味というより日常からの逃避行動でこっそり描いていた花の絵が、下宿人である画商の目にとまり「作品」が世に出た・・・と、こうゆうわけです。

悲しいことに、絵が認められ称賛を得つつあった彼女、個展開催の計画が進んでいたタイミングで、第一次世界大戦が勃発します。応援していた画商は国外へと去り、個展も頓挫。セラフィーヌさんは精神を病み、精神病院へ収監。・・・と、ここでも病院が出ました(ただし、セラフィーヌさんの絵画は、入院前に描かれたものだそうです)。

彼女の作品です。鮮烈な色。圧倒的な量感。内側から湧き出るエネルギー。この迫力はなんだ。絵画教育を受けた画家の静物画にあり得ない「デッサンなんぞをぶっ飛ばした生命感」がみなぎっているんですね。

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セラフィーヌさんの絵には遠近法や、(美術教育でいうところの)構図という概念は希薄です。心から湧き出すままに自由奔放に花を描いた印象です。

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作為のない、描き手の世界感まんまのイノセンスが観る者の心を打つのでしょう。こうなると、「美とは、そもそも何か」というギリシャ哲学の命題に行きつくかのよう。うーん、今日のオレ、ちょっと背伸びしてムズカシイことを言ってみたぜ。

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セラフィーヌさんの作品、ヨーロッパの評価はわかりませんが、日本では評価以前の無名状態と思います。ゾンネンシュターンさんよりも展覧会開催ははるかに難しいと思いますが、美術館の学芸員の皆さま、ぜひとも展覧会開催の検討をお願いいたします!お願いっ!

最後にセラフィーヌ・ルイさんの生涯を描いた2008年の映画「セラフィーヌの庭」の予告編を貼り付けておきますね。予告編を観ただけでジーンときちゃうのは、ワタクシの思い入れが過剰なせいでしょうか。はい。


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