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アリーナ・イブラギモヴァさんの弾く、パガニーニ「24のカプリス」のCDが素晴らしい。 [クラシック音楽]

2021年12月。

本年も残すところ、10日ほどとなり「今年一番の〇〇は・・・」的に1年を総括する時期ですな。スポーツだと野球の大谷翔平さん、将棋だと藤井聡太さん。そして政治では、豊田真由子元・議員の「このハゲ~!」発言でしょうね・・・って、4年も前の話ですか、失礼。

本日はマニアックという批判などお構いなしに、ワタクシが、2021年もっともツボにはまったクラシック音楽CDについて書きます。

などと、えらそーに始めたものの、ワタクシ、かつてのように1年間に数百枚ものCDを購入するアンポンタンではありません。せいぜいが20枚。ゆえに、もともと好きなアーチスト、プレイヤーへココロが傾く点は、お許しを。「もう若くないさとぉ~♪、君に言いわけしたね~~♪ 」、名曲「いちご白書をもう一度」が出ました・・・って、なんのこっちゃ。

さて本題。2021年、もっとも感動したクラシック音楽ディスクは、じゃーん!

アリーナ・イブラギモヴァさん(1985年ロシア生まれ)が弾く、パガニーニ「24のカプリス」(CD2枚組)であります。

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無伴奏(ピアノ伴奏なし)の超絶技巧曲で、バッハやイザイの無伴奏と並んで、ヴァイオリニストならキャリアのなかで一度は弾きたい、そして演奏を残したいと願う名曲中の名曲でありますなあ。

私が保有する同曲CDは、パールマンさん、五嶋みどりさん、神尾真由子さん、ユリア・フィッシャーさんのものですが、新たにイブラギモヴァさんのユニークで強烈な1枚が加わったことは、実に、実に、喜ばしいのであります。

イブラギモヴァさんについては、ワタクシ、当ブログで何度も取り上げており、2012年のベストCDに「ベートーヴェン、ヴァイオリン・ソナタ全集」を挙げ、同曲リサイタル(実演)を拝見し、その後も、モーツアルトのソナタ(東京でのリサイタル)、シューベストのソナタ(名古屋でのリサイタル)、ブラームスのソナタ(CD)とベタ褒めしてきました。彼女の大ファンであることを、臆面もなく声を大にして申し上げるのでした。わははは。

Brahms_ARINA_03.jpgで、今回の「24のカプリス」。コロナ感染拡大で彼女の住むロンドンがロック・ダウン、ステージがすべてキャンセルとなり使える時間ができたため、満を持して本曲に取り組んだ、という、ことわざで言う「怪我の功名」いや「瓢箪から駒」いや「塞翁が馬」・・・まあ、そうゆう経緯だそうです。

とにかく、本演奏の何が素晴らしいかというと「陰影」「深さ」ですよ。

決して腕自慢に走らず、ゴージャスな方向に向かわず、彼女のヴァイオリンの特質である「木綿のようなザラッとした味わい」と独特のグルーヴを武器に、大胆かつ繊細に展開する24曲。もう、ただただ聴き惚れちゃうのですなあ。

音楽を絵画に例えるのは乱暴だし、誤解を生みそうですが、「24のカプリス」の過去の演奏の多くは、ルネサンス絵画でいえば、イタリア系、ミケランジェロやラファエロと思えます。人間技とは思えぬ技巧を駆使し、均衡がとれ、圧倒的で、美しく、天国的であります。

それに対し、イブラギモヴァさんの「24のカプリス」は北方系のデューラーです。そこには明と暗、光と陰の対比があり、深い精神性と親密さがあり、まさに人間ドラマそのものです。力強いアタックのあとの、消え入るような細い音には、真っ黒な闇の背景に、光が一筋さす、そんな景色まで感じてしまいます。

つうことで、ひいきの引き倒しと言われようと、繰り返し、こう申し上げたいです、

アリーナ・イブラギモヴァさんの弾く「24のカプリス」は、同曲ベストといえる驚異的な名盤である!と。

とにもかくにも、はやく彼女の実演を観たいです。まったく憎たらしいのは、コロナウイルスですね。早くこの世から消えてくださいよ。本日は以上。

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指揮者ベルナルト・ハイティンクさんが逝去。CD再聴でしみじみした日。 [クラシック音楽]

2021年11月23日(火)

勤労感謝の日、祝日であります。ふだんは土日でも早朝に社用メールをチェックしちゃうワタクシですが、本日は勤労感謝だから、メールなぞ無視じゃ!・・・いや無視ではなく、読まないだけである(同じことか)。

早朝、私の寝ている布団のなかで丸くなっている飼い猫そらを撫でつつ、本日やるべき事を脳内で整理します。

10月21日に、92歳で亡くなった指揮者ベルナルト・ハイティンクさんの演奏をCDで聴こうという計画ですが、さあて何から聴こうか、とプチ悩んだわけです。話が先走りましたが、ハイティンクさんとは長きにわたって名門オーケストラ、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席を勤めておられたマエストロ(ちなみに現名称は、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)。

ワタクシよりも年配のクラシック音楽ファンなら、コンセルトヘボウ管といえばメンゲルベルク、ベイヌムといった指揮者の名が挙がるでしょうし、ワタクシより若い方はリッカルド・シャイー、ヤンソンスがしっくりするでしょう。

だが!ワタクシはフィリップス・レーベルからリリースされた膨大なハイティンクさん録音に、どっぷり浸かった世代ゆえ、コンセルトヘボウ管=ハイティンクさん、しか連想できない体(&脳)になっているのです。ワタクシがクラシック音楽を聴き始めた45年ほど前、すでに彼は大御所で、温厚なお顔、薄めの頭髪、高校の国語の先生って雰囲気が実に良かったわけです・・・って音楽家に対して容貌かよ。

果たしてその音楽は安定、実直、誠実であり、派手さのないあくまでジェントルな点が、瑕にさえ思えたものでした。しかし聴く側のワタクシも歳をとり、いまやハイティンクさんの「中庸」こそ、楽曲の素晴らしさを浮き上がらせる妙技だと知っているのである(ちょいと自慢)。

能書きは良いとして、本日聴いたCDをご紹介しましょう。のっけからワタクシの大絶賛演奏でございます。

ブルックナー交響曲3番「ワーグナー」、1988年録音、オケはウィーン・フィル。

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高々とそびえる大伽藍を思わせる彫琢された立体的な音楽に、これぞまさにブルックナーじゃ!と叫びたくなります。隙がない、それでいて息苦しくない。作為のない自然な音の流れが、ワタクシを至福の時へ誘ってくれるのであります。

褒め殺しになっちゃいますけどウィーン・フィルの数ある録音のなかでも、これはトップレベルの出来栄えなのではないでしょうか。いや、ホントですよ。ウィーン・フィルのブルックナー演奏といえばジュリーニ指揮の後期(7,8,9番)も良し、ベーム指揮の3、4番も、カラヤンの7番もすごいけど、ハイティンクさんの演奏はホントに素直に心にしみるんです。ああ、なんて良い曲なんだろう、と思えるんですよね。

おっと、ブルックナーの話が長くなった。次、いってみよう。

ハイティンクさんがアムステルダム・コンセルトヘボウ管を指揮し、アシュケナージさんがソリストをつとめるラフマニノフのピアノ協奏曲2番・4番のカップリング、1984年録音です。

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ワタクシがこのCDを買ったのは30年以上も前ですけど、お値段、3,500円ですか。レーベル表記が、DECCAではなく、LONDONなのも懐かしいなあ。「CDはロンドン」という小さなアピール文言も泣かせます・・・って、その話はどうでもいいわっ。

メインプレーヤーのアシュケナージさんには申し訳ないですが、この録音は、ハイティンクさんとコンセルトヘボウ管の演奏に耳が向かってしまいます。ロシアの大河のような(←じっさいに観たことないけど)悠々、堂々たる懐の深いオケの音に痺れます。

そうなんですよ、ハイティンクさんの協奏曲サポートは、出しゃばりはしないけど、縁の下の力持ちを超えた貢献をしちゃうんですよね。たとえば、ブレンデルさんとのピアノ協奏曲、ブラームスの2番しかり、リストの1番、2番しかり浮ついたところのない低重心の心地よさ。ベース・プレーヤーがしっかりしたロックバンドの体。フュージョンでいえば、ジャコ・パストリアスの、ウエザー・リポートへの貢献と言ってよいでしょう・・・と、話がややこしくなってきたので、この辺でいったん終わり。

次のCDは渋い。ヴォーン・ウイリムズの南極交響曲(交響曲第7番)。共演はロンドン・フィル。1984年録音であります。

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スコット探検隊の南極での悲劇を描いた映画音楽をもとに発展させた曲ゆえ、交響曲というよりは、表題音楽の色がつよく、ちょいと食いつきづらい面はあります。ハイティンクさんの演奏は、起伏にとんでいながら、安っぽくならない点がヨロシイですね。オケは変わっても、ハイティンクさんの安心印は揺るがないのであります。

というわけで、本日ワタクシは、先月逝去されたベルナルト・ハイティンクさんのCDを拝聴したわけですが、まだまだ手元にはCDがありますので、日をかえてじっくりと彼の芸術を楽しむことにします。

とりあえずは、2017年に購入したブレンデルさんのCDボックス(114枚組)に、ハイティンクさん指揮の協奏曲の録音がありますので、それを総なめしちゃいます。

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マニアックなクラシック音楽ネタではありますが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。そして、ベルナルト・ハイティンクさん、素晴らしい音楽を残してくださって、ありがとうございます!本日は以上。

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ロイ・グッドマン指揮、ハノーヴァーバンドによる「シューベルト交響曲全集」を楽しんだ日。 [クラシック音楽]

2021年11月。

月並みな言いぐさですが、ほんと時がたつのは速いですね。あ、こーゆーときの漢字は「速い」ではなく「早い」かな?ま、通じるからいいや。

先月(10月)はほぼ毎日が出張でした。日本国内あっちこっちと移動しているうちに、あっという間に1か月が終わってしまいました。人生は短いというのに、こんなことで良いのだろうか。

さて本日。11月3日は文化の日。久しぶりに全くシゴトのない「完全休日」です。天気が良いので散歩でもするかあ、と思いつつ、体にたまった疲れゆえか出かける気力がわきません。無理をせず自宅オーディオ部屋でまったりと音楽でも聴くことにしましょう。

CD棚をまえに何を聴くかをプチ黙考。ヘヴィメタル、ハードロックはないだろうし、ジャズもなあ、てなことでクラシック音楽としましょう。本日つぼにはまったCDはこちらです。

ロイ・グッドマン指揮、ハノーヴァー・バンドによるシューベルト交響曲全集(CD4枚組)であります。1988年~1990年の録音。ニンバス・レーベルからリリースされていたものを、ブリリアントがライセンスを買い取りお安く販売したものですね。

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シューベルトの交響曲は全8曲。古典的な1番、2番からはじまり、シューベルトらしい美メロの5番へ、悲哀がにじむ第7番(旧・8番)「未完成」、そして最後を飾るのが長大・堂々たる第8番(旧・9番)「グレート」・・・とベートーヴェンにも劣らぬ大河ドラマの様相を呈しております。

本作には巨匠指揮者たちによる多くの演奏が残されており、膨大なディスコグラフィーを形成しております。それらに比して、ロイ・グッドマンさんの全集は、それほど評価がされていないでしょう。音楽雑誌にありがちな名演奏ランキングでは、圏内にも入らないと思います。

しかしこの全集には多くの優れた点があります。メジャーオケによる低重心でもったいぶった、言い方は悪いですが水膨れした演奏にはない、軽やかさ、輝かしさ、見通しの良さ、があるのですな。ピリオド楽器(昔は「古楽器」と言ってたね)を用いるハノーヴァーバンドの音色により、フレーズが新鮮に響きます。楽曲は、整理・整頓され強い推進力でサクサク突き進みます。なんと心地よいことよ!CD4枚を一気に聴きとおして、大満足でございました。

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並みいる名盤のなかで、当ディスクがベスト・オブ・ベストとは申しませんが、こうした選択肢があることはクラシック音楽のリスナーの幸せであります。久しぶりの自宅での完全休日、ロイ・グッドマンさんとハノーヴァーバンドの演奏で、よい精神休養が出来ました。ありがとうございました~。本日は以上!

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ラルキブデッリによるベートーヴェン室内楽曲CD。マニアックな2枚にしびれる。 [クラシック音楽]

2021年8月1日。

コロナ感染拡大は第4波か第5波かよく分かりませんが、ワタクシは、大人しく自宅で、飼い猫そらを撫で、そして30年以上に亘り溜めに溜めた音楽CDを再聴する地味な毎日です。おっと、早朝散歩を忘れてはいけませんね。

さて、音楽CDではまっておるのがラルキブデッリによる室内楽曲であります・・・と言っても「なんのこっちゃ」の方が多いでしょう。ラルキブデッリ(L’archibudelli)とは、チェリストのアンナ―・ビルスマさん(2019年没)を中心とした弦楽四重奏団です。18世紀以前の古楽器で、作曲当時の演奏スタイルを用いるHIP(歴史的情報に基づく演奏解釈:Historically Informed Performance)の先駆け的な存在であります。

彼らはSONY傘下のVIVARTEレーベルに膨大な録音(CD)を残しております。レパートリーは、ハイドン、ボッケリーニ、モーツアルト、シューベルト、そしてベートーヴェン、といったところ。ガット弦をノンヴィヴラートで奏でるラルキブデッリの音色は、木綿のごとくザラリとした滋味あふれるもので、好みは分かれるかもしれませんね。

彼らのディスクがバンバン発売されたのは1990年代、いまから20年~30年前です。当時は「古楽器演奏」が本格的ブームになりつつあり、無思想になんでも聴いてた30代のワタクシ、ブームに乗っかってCD購入したものの、当時はピンときませんでした。古楽演奏だと、オワゾリール・レーベルのホグウッドさん率いるエンシェント管や、モザイク・カルテットのハイドンやシューベルトにはまっていて、ラルキブデッリはどうもイマイチねえ、てな半端な距離感でした。音の入りのアタックが強い、と感じたのかもしれません。「もうちょいマッタリしてほしい」と思ったのか。。。ま、今となっては分かりませんが。

それは良いとして、ここ1か月ほど、ラルキブデッリのCDを、まとめて集中的に再聴しているのです。驚いたことに耳とアタマが変容したのか、イマイチどころか、なんと素晴らしいのだ!と感動に浸っている次第。

なかでも、ツボにはまったのは、ベートーヴェンであります。

まずは「弦楽三重奏曲集 Op.9」1990年録音。第2番、第3番、第4番の3曲が収録されています。クラシック音楽好きの方でも「ベートーヴェンって、弦楽三重奏曲を作ってたの?」と思うかもしれません。圧倒的に有名なのは、音楽史の金字塔たる弦楽四重奏曲でしょうから。弦楽三重奏は、ベートーヴェンさんが10代に作曲した作品で、若書きゆえか評価は低く、録音も少ないのです。私が持っている録音はムター(Vn)、ジュランナ(Va)、ロストロポーヴィチ(Vc)による1988年録音(ドイツ・グラムフォン)で、フツウに入手できるCDは、これくらいじゃないか。ちなみにこのCDは、申し訳ないが演奏がイマイチです。

だが!ラルキブデッリの演奏は、なんと素晴らしいことでしょう。「のちに多くの名曲を生み出した、あのベートーヴェンさんが、10代の頃、こんな(彼らしからぬ)曲を書いていた」という、負のパースペクティブに囚われると、ハイドンまがいの二番煎じ作品に聞こえてしまうわけです。それは、演奏者にとっても、聴衆にとっても、危険をはらんだスタンスだと思う。

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映画でいえばスティーブン・スピルバーグ監督「激突」や、デビッド・リンチ監督「イレーザーヘッド」みたいなもので、これらを、のちの有名作につながる「初期の習作」と位置付けると、本質を見誤るわけですな。スピルバーグ監督が「ジョーズ」「ET」「シンドラーのリスト」を撮らなかったとしても「激突」には固有の訴求力があり、リンチ監督が「エレファントマン」「ブルー・ベルベット」「マルホランド・ドライブ」を撮らなくても、「イレーザーヘッド」には完結したエグイ魅力があるわけです。つまり、のちの作品群を含めた全体から、初期作を評価する、パースペクティブは諸刃の剣、ってことですね。

ベートーヴェンの弦楽三重奏曲に関して言えば、音楽学者が何を言うか知らんし、ベートーヴェンらしくなかろうと、若々しく美しい魅力的な楽曲であり、それを教えてくれたのがラルキブデッリ、ということです。おっと、話が迷走してきたので、次のCDにいきましょう。

同じくベートーヴェンの「ホルン六重奏曲」「クロイツエル・ソナタ」であります。

ホルン六重奏曲は、それこそ「え?ベートーヴェンにそんな曲、あったっけ?」と私もびっくり。しかし、このCDの目玉は後半の「クロイツエル・ソナタ」なので、そちらの話をしましょう。ラルキブデッリが演奏しているのは、有名なヴァイオリン・ソナタ第9番の、弦楽五重奏曲アレンジ版なのです。編曲したのはベートーヴェンさんではなく、謎の誰かさんだそう。ところが原曲もビックリ、オリジナルはむしろこっちじゃね?くらいの迫力とダイナミズムにあふれた名編曲なのです。こりゃあスゴイ!と驚いた次第。もちろん、このアレンジ版に命を吹き込んだラルキブデッリの功績は、言うまでもないでしょう。

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企画勝ちともいえますが、あっぱれ!と申し上げたい。

書き始めるとキリがないクラシック音楽ネタ、そろそろ終わりますが、最後に、もう1枚だけ、CDをご紹介します。ラルキブデッリの演奏ではありません。ベートーヴェン楽曲の編曲つながりで、思い出したのです。

ARTE NOVAレーベルから1997年頃にリリースされた、ヴァイオリンソナタ第5番「春」のクラリネット・ソナタへのアレンジ版と、さきほど出た「クロイツエル・ソナタ」のチェロ・ソナタへのアレンジ版が収録されています。これがもう、違和感ない、というレベルを超え、たいへん良い出来栄えなんですなあ~。

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ここで気づいたのですが、ベートーヴェンの原曲が確固たる構造と精神性をもっているからこそ、楽器をかえようと異なる編成にアレンジしようと、聴き手を納得させる仕上がりになる、つうことなんでしょう。

さあて、話が長くなったところで本日のクラシック音楽ハナシはお終い!では寝る前に「セックス・マシンガンズのベストアルバム」を聴くことにしましょうか、みかん・みかん・みかん!・・・って、突然そっちに行くのかよ!コラッ!

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20年ぶりに聴く、バーンスタイン指揮マーラー交響曲2番「復活」(1963年録音)がすごい。 [クラシック音楽]

2021年6月。

当ブログ、音楽ネタがご無沙汰状態でした。反省、ほどではないですが、たまには音楽も取り上げないとイカンなあ、と、本日は、このCDについて語ります。

マーラー作曲、交響曲第2番「復活」。指揮者はたぎる熱血・あふれる情熱の、故レナード・バーンスタイン御大、オケはニューヨーク・フィル、でございます。

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ここから、話はマニアック世界に入っていきます。興味のない方には、なんのこっちゃ?のラビリンスでしょうが、そんなこた構うもんか!うわっはっは!(開き直り?)

クラシック音楽好きの方の多くは、たぶん、バーンスタイン御大&ニューヨーク・フィルの「マラ2」といえば1987年録音のドイツ・グラムフォン盤を思い起こすことでせう。それは80年代を代表する刮目すべきマーラー交響曲全集の1枚であり、エキセントリックなテンポ設定、振れ幅でかっ!の「レニー節」炸裂の名盤でございました。

だが!

ワタクシは、1987年録音ではなく、あえて1963年録音の旧盤を取り上げます。さて、ここで自慢です。当方、マーラー「復活」のマニアでして保有CDは約30セット。いならぶ名盤のなかにあって、1963年録音の本ディスクに食指が動かず、約20年前に聴いたきりCD棚の片隅にじっと鎮座していたのであります。

なぜまた、いま、聴こうと思ったか?すいません、自分でもよう分かりません。なんとなく、か、天の声か、どなたかのお導きか。ま、そんなこたあどうでもヨロシイ。

6月某日、このCDを聴いたワタクシは仰天したのです。耳に、心に、ビンビン刺さるエナジー、エモーションに、ぶっとんだのであります。最終楽章(第5楽章)で、お約束のように泣きました。いや泣く、これは泣く・・・などと感覚的駄言を並べてもしょうがないですな。

いまから57年前の、本盤の録音当日。会場の様子を、私は勝手に推測するのであります。バーンスタイン御大(当時45歳)のニューヨーク・フィルへの演奏指示に対し、コンサートマスターは批判気味にこう言ったに違いない「バーンスタインさん(あるいは親しみをこめて、レニー、と呼んだか?)、いくらなんでも、あなたの指揮のテンポやリズム、そしてアゴーギク(変化)が激しすぎて、演奏が破綻しそうです。こんなんで良いのでしょうか?」と。。。

それに対し、御大はこう答えたのであろう(もちろん勝手な推測です)、「おまはん、何、言うてんねん。音楽は爆発じゃ!エモ・マックスじゃ!ここで攻めずに、どこで攻めるちゅうねん!」と、なぜか関西弁風であった。

そうです、この演奏は、第一楽章を聴いただけでも、目が点、なんであります。感情ダイレクト噴出し、攻めに攻めているのです。昨今のマーラー演奏は良くも悪くも、精緻・正確・重厚に、かんでふくめるようにマーラーの屈折感情を炙りだす、頭でっかち方向に流れている(ように思える)のに対し、1963年のバーンスタインさんは、そうゆう「あざとい狙い」がなくって、実に自然、フリーダムに、湧き上がる感情に素直に身を任せ、一気呵成に突き進むわけです。そこで生まれた音楽は、他の指揮者とは明らかに一線を画して、潔い、つうか、心地良い、のですねえ。

オケの大音響がゼネラルパウゼ(全休止)する場面は、第一楽章、第五楽章のハイライトですけど、無音から次の音に入るまでの「間」の独特なこと!うっ、と、つんのめりそうになります。が、それすらに必然が感じられ、こりゃすげえ、と感心しきり。

いっぽう、爆走の第一楽章のあとの第二楽章は、芸風が一転、ドヴォルザーク9番「新世界より」の第2楽章か?つう抒情あふれる表現です。ここでは、前楽章とは逆に「かんでふくめるように」、午後5時になったので良い子は家路につきましょう、てな非マーラー的(?)とさえ思える優しい味わい。呑みすぎた翌日は、おかゆ+梅干しの優しさが体にしみるのであります。こう来るか!と脱帽です。

さて、同じ指揮者(バーンスタイン)、同じオケ(ニューヨーク・フィル)のコンビによる2種の録音、1963年、1987年を、どう位置付けるか?というテーマ。前者は「覇気、勢い」が魅力、後者は「成熟・完成した表現」が魅力、とか評論家なら言うでしょうけど(よく知らんけど)、私は、以下のたとえを使いたい。

日本が生んだ唯一無二の名優、三船敏郎さんであります。三船さんを、バーンスタインさんにたとえるのは、どちらの方にも失礼かと恐縮しますが、どうも、これ以上にしっくりするアナロジーが思いつかんのですな。

バーンスタインさんの1963年の指揮は、三船さんでいえば「羅生門」「七人の侍」の演技であります。生々しいリアル感、あふれ出るエネルギー、ストレートな感情表出がツボかと。

いっぽう、バーンスタインさんの1987年の指揮は、三船さんでいえば「椿三十郎」「用心棒」の演技、つまりは、独特ではあるが、熟練を重ねて、良い意味でパターン化したお約束パフォーマンス。そんな「三船節」が良い、というわけです。うーん、勝手なワタクシの思い込みですけどね。

以上で、本日のテーマはおしまい。ところで、昨日、札幌のタワーレコードで、ワタクシ、またしてもマーラーの「復活」のCDを買ってしまいました。ただし、オーケストラ演奏ではなく、2台ピアノ版(ヘルマン・ベーン編曲)。うはあ、キワモノだ、マニアックだ!そう、マニアというやつは、こうして枝葉末節の泥沼へと、はまりこんでいくんです。私も懲りないすなあ。あははは。。。

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アンジェラ・ヒューイットさんの弾くバッハ「平均律クラヴィーア曲集(全曲)」がココロにしみる。 [クラシック音楽]

2021年3月21日。

ブログの更新を1か月ほどサボっていたら、一都三県の緊急事態宣言が解除されました。ワタクシが住む千葉県と、職場のある東京都に希望の光が・・・と書きつつ、来年の今頃も、日本のコロナ状況は、今とたいして変わらんかも、とシニカルな気分になったりもします。

私事ですが、2月前半から今月(3月)と、札幌の実家でいろいろなデキゴトがあり、回収作業のため、関東と北海道を行ったりきたりだったワタクシ。先週は札幌のビジネスホテルで6泊7日。やっと一段落して、今は、久しぶりに自宅のオーディオ部屋で、まったり音楽を聴いているのであります。ああ、落ち着くなあ。。。

さて、多少の精神的混乱などがあったあと、聴きたい演奏(CD)というとこれ、であります。

バッハ「平均律クラヴィーア曲集」全曲(1巻第1~24番、2巻第1~24番)、堂々のCD4枚組であります。あまたの著名ピアニストが、鍵盤音楽の金字塔たるこの楽曲を録音しておりますが、ワタクシが愛する演奏は、これで決まり!なのです。

カナダのピアニスト、アンジェラ・ヒューイットさんによる同曲二度目の録音(2008年)であります。

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芸能人の食レポっぽくてすいませんが、もう絶品としか言いようがないです。脳天がしびれます。たまりません!

一音一音の活き活きとした息遣い、音色にこもった楽曲への愛情、フレージングの自然さ、優しさ・・・音階が上昇するときは天国へ昇るような心地よさであり、いったいゼンタイ、どうしてこんな演奏が出来たのか?なんかの魔法ですか?と言いたくなるワタクシです。

そして、ヒューイットさんといえば、なんたって彼女の愛機、イタリアのピアノ・メーカ、ファツィオリ製の特注ピアノでしょう。シロウトのワタクシの耳をしても、繊細なニュアンスと音色にはウットリします。世界の老舗ピアノメーカが創業後かるく100年を超えるのに対し、ファツィオリは、1981年の創業、たった40年ですからね。後発メーカながら、ステージピアノの帝王スタインウエイを脅かす大躍進を重ねております。

ちなみに、ファツィオリのHPに、ヒューイットさんがファツィオリに送った感謝のメッセージが掲載されております(以下)。

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すいません、ピアノのメーカのハナシは、どーでも良いのでした。

ワタクシが言いたいのは、昨今、バッハ作品は器楽曲、管弦楽曲に関わらず「バッハが生きた時代の楽器や様式で演奏する」いわゆる古楽器(ピリオド楽器)演奏が業界を席巻しており、あたかも、それが唯一の正しい演奏、という誤解をする方々もいるわけです。鍵盤楽器なら、ピアノではなく、チェンバロ(ハプシコード)で弾こうよね、つう話です。

いっぽう、ヒューイットさんは、チェンバロではなく、もちろんバリバリのモダン・ピアノで演奏します。それゆえ、バッハの時代に不可能だった、音の強弱をつけることが出来るわけで、その意味で、演奏はまさしく現代風であります。

しかし、それが良いのです!音楽はチェンバロだから正しく、モダンピアノだから間違っているという楽器の論議ではありません。かっこよくいえば演奏にこめられた精神や音楽性が、どれだけ具現化されているかが重要なのですよ。ヒューイットさんの弾くファツィオリには、それらが満ち溢れているのであり、聴き手(の私)のココロをわしづかみ、なのであります。

ひいきの引き倒しと言われようと、ヒューイットさんの「平均律クラヴィーア」には、後の時代の作曲家であるメンデルスゾーン、ショパン、シューベルトさえ聞こえてくるんですね。これこそ、21世紀におけるクラシック演奏の醍醐味ではないでしょうか?妄信的に「当時(過去)に戻る」のではなく、モーツアルトを知り、ベートーヴェンを知り、マーラーを知った「今」の頭で演奏家はバッハを弾き、「今」の耳でわれわれはバッハを聴く。大河ドラマのような、そうした喜びを与えてくれる、ヒューイットさんのバッハ演奏なのであります。

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ここで、哀しいお知らせであります。ご存じの方も多いと思いますが、たしか昨年だったと思いますが、ヒューイットさんが、ほぼすべての録音で使用していたファツィオリ製のピアノが、輸送中、業者のミスで、落下し破損してしまったのですね。修復は不可能。2000万円超の特注の愛機は、天国へと旅立ったのです。

ヒューイットさんの悲しみ、無念は察するに余りありますね。それにしても、ピアノの輸送業者といえば特殊職でしょう、ピアニストにとって楽器がどれほど重要かは重々分かっていたはず。状況は分かりませんけど、ピアノを落下させる、なんて、一番やっちゃいけないミスですよね、サイテーですね。と、そこに憤ってもしょうがないのですが。

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外野の無責任発言かもしれませんが、ヒューイットさんが、新たなファツィオリの名機に出会い、その楽器とともに、今後も素晴らしい演奏を聴かせてくださることに期待しております。本日は以上!

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極私的ブルックナー祭り。どっしりと腹に溜まる満足感、最高じゃーー。 [クラシック音楽]

2020年7月。

23日~26日は4連休。しかし東京都のウイルス感染者急増を受け、小池知事殿より「外出は控えてねッ」との要望があり、従順なワタクシは千葉県民ながら4日間の自宅隠居生活を決め込みました。つうか、もともと外出する用事がなかったので、流れで家にいただけですけど。あははは。

さて、自宅にこもって何をしようかなあ、と考えると真っ先に「音楽でも聴くか」となり、では何を聴こうか?と話が深堀りされます。ここで、桜田淳子ベストヒット、のCDをプレイヤーにセット、「夏にご用心」「わたしの青い鳥」「はじめての出来事」等々のヒット曲を熱唱するのも悪くはない。が、それは次回、酒呑んでグダグダの時にしましょう。では、スラッシュ・メタル、デス・メタルというマニアック方面に走るか、と言えば、それも気が乗らない。

やはり、行きつく先は、定番の、クラシック音楽ですなあ。

クラシック音楽にもジャンルがあり、最近、もっぱら室内楽曲や器楽曲ばかり聴いていたワタクシ。自らにカツを入れる(?)ため今日は、交響曲でいくぞ!と、膝にのっていた飼い猫そらを脇に降ろし、CD棚からこの作曲家のディスクを取り出したのであります。

オーストリアの巨匠、ブルックナー(1824~1896)であります。

彼が残した9曲の交響曲は、地味ながら、重厚な構築美を有し、あたかもゴシック期の大聖堂のようです。天上へ抜ける壮大なハーモニーは、独特のエクスタシーへといざなってくれます。慣れないうちは、曲が長いことばかり気になるが、大丈夫、そのうち、この程度の長さは、どうってこたあ無い、と思えます(とはいえ、第8番は長いな~)。

てなわけで本日の「極私的ブルックナー祭り」で聴いたCDを、勝手に紹介しちゃいますね。

ブルックナー交響曲第3番「ワーグナー」(1877年版)。ベルナルト・ハイティンク指揮ウィーン・フィル、であります。

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有名度でいえば、第4番「ロマンティック」が上だろうけど、こちら「第3番」のCDは、ハイティンクさんの重心の低い、威風堂々、安定・安心の芸風により高評価しちゃいます。ホントに素晴らしい。自動車保険でいえば「対人・対物、無制限の安心」と言ったところでしょうか(分かりにくい比喩ですいません)。よーするに、演奏に、ただ身を委ねておれば幸せじゃ・・・という名演なんであります。

日本人的表現でいえば、横綱相撲!。・・・ハイティンクさんは相撲はよく知らないでしょうけど。

次のCDにいこう。オーケストラはこちらもウィーン・フィル。奇しくもハイティンクさんの「第3番」と同じ1988年録音です。

ブルックナー交響曲第9番。カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン・フィル。嗚呼、ワタクシが最も愛する第9番!

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シューベルトの交響曲第7番「未完成」や、マーラーの交響曲第10番と同様、未完成でありながら録音が多く、いまや実演も多い人気曲。最終楽章(第4楽章)が欠落していても、3楽章までで曲の完結感があり、個人的にはまったく違和感がないです。たまに「テ・デウム」(合唱曲)を最終楽章として補填する演奏がありますが、そりゃあ強引、あまりに乱暴ですわなあ。そういえばサイモン・ラトルさんがベルリン・フィルと、補筆完成版を録音されたCD(EMI)を持ってますが、実に説得力のある内容でした。

おっと話が逸れた。ジュリーニさん指揮の「第9番」ですね。彼の指揮するブルックナー(とくにウィーンフィルとの7番、8番、9番)は批評家や音楽ファンにひじょうに評価が高い、と認識しております。ワタク、その評価を否定するつもりはありませんが、少々、「老成」感があるように感じます。

悠々たる大河を思わせる懐の深~い演奏で、ブルックナーの広大な宇宙を表現しきった名録音。素直に脱帽はするものの、惜しむらくは「攻め」の感じはなく、巨匠作曲家の作品を、巨匠指揮者が、世界一のオーケストラで演奏したらこうなるよね、つう予定調和的な雰囲気があります。まあ、ブルックナーの魅力とは、まさにその予定調和、偉大なるマンネリだもんね・・・と言う反論もありましょうが。。。

最後に紹介するCD。前述2枚とは違った意味で、スゴイ演奏なんです。

ブルックナー交響曲第6番。ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団による1990年録音。

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目からウロコ。前に紹介した2枚が「いかにもブルックナー」、音が「もわあっと分厚い」のに比べ、この第6番のCDは、音色はクール、音質はクリア、演奏は筋肉質でメリハリがあって、なにより推進力がハンパなく、音楽がグングン進むので、聴き始めると一気に最後まで聴けちゃうのですね。巨匠風の威風堂々・・・ではなく、重たいコートを脱いで身軽になったブルックナーさん、といった、良い意味で「軽快」な演奏です。これはツボにはまりましたね~。

で、ハナシをまとめると、いやあ、楽しいなあ。

今日は、上記CDのほか、ヨッフム指揮ドレスデン・シュタツカーペレ、バレンボイム指揮ベルリン・フィル、アーノンクール指揮コンセルトヘボウ、カール・シュリーヒト指揮ウィーンフィルなどの録音を堪能しました。曲が似かよっていて「金太郎飴」と評されるブルックナーの交響曲ですが、とんでもない。演奏家(指揮者)の個性で、同じ曲でも、演奏はかなり変わってきます。むしろベートーヴェン、ブラームス、マーラーのほうが、どの指揮者でも演奏に大差ないのでは?と思った次第。

さて本日の「極私的ブルックナー祭り」に味をしめたワタクシ、今後は「極私的チャイコフスキー祭り」あるいは「極私的AC/DC祭り」「極私的ブラック・サバス祭り」はどうだ!?・・・って、いつの間にか音楽ジャンルが変わっとる。ま、いいか。

本日は、以上。ご安全に!

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ヴァイオリニスト、ヤープ・シュレーダーさんが95歳で逝去。古雅でありながらアグレッシヴな名手。 [クラシック音楽]

2020年2月。

早いもので今年も1か月半が過ぎますね。年始に、「ヒマな1年」を目指したワタクシですが、日を追うごと予想外の事案が次々と勃発、そんな呑気は言っとられん状況になりました。ブログ更新が滞るのも、うべなるかな。しかしなあ・・・ワタシには何の関係もない事案まで持ち込まれるコラテラル・ダメージ状態つうのが、イマイチ気に入らんなあ。。。

と小さくグチったところで、本題です。

かつて心をときめかせた偉大なアーチストの訃報に接すると、世界からひとつ灯が消えたようで、なんとも寂しい気持ちになるものです。クラシック音楽界では、ここ1年、ワタクシが愛する巨星が次々に鬼籍に入りました。

ピアニストのパウル・バドゥラ=スコダさんが昨年9月、来日直前にお亡くなりになったのは衝撃でした。享年91。

そして今(2020年2月)、多くのクラシック音楽ファンは指揮者マリス・ヤンソンスさん、歌手で指揮者のペーター・シュライアーさんを悼んでいることでしょう。それほどバッハ好きとは言えないワタクシでさえも、シュライヤーさんのエヴァンゲリストには惚れ惚れしましたから・・・。

さて、個人的に思い入れが強い名ヴァイオリニストのことを書きます。昨年12月31日に逝去されました。

ワタクシが「古楽器スタイルの演奏」を始めて知り、衝撃を受けたのが、この方のヴァイオリンから。1925年生まれのオランダの名手、

ヤープ・シュレーダーさん(享年95)です。

クリストファー・ホグウッドさん(故人)率いるエンシェント室内管のコンサートマスターとして、主に18世紀以前の楽曲に対し、作曲当時の楽器と調律、演奏法をつかってオーセンティック演奏を展開されていました。いっぽう、ソリスト、室内楽奏者としても大活躍されオワゾリール・レーベルに膨大な録音を残しております。私が保有するCDだけでも、実に70枚以上にシュレーダーさんが登場していますから、そりゃあ、私の思い入れも強くなるってもんですよ。

心に深く刻まれた名演奏といえば、まずはモーツアルトの室内楽曲ですね。

弦楽四重奏曲第17番K458「狩」、と、第19番K465「不協和音」のカップリングCD(1979年~1980年録音)は、いまだワタクシにとっての同曲ベストであります。ノン・ヴィブラート奏法でありながら、シュレーダーさんのヴァイオリンは、無機質とか素っ気なさ、といったネガティヴ要素はなく、全編、愉悦感、歌心、ニュアンスの奥深さに満ちており、たまらんのであります。いやあ30年間聴き続けても、これを聴くと震える。

ちなみに、自分のブログでも、過去、シュレーダーさんに関する記述がいくつかありました。自分でもよく覚えてなかったけど、やっぱりモーツアルトを挙げていますね(過去記事→ここ2019年9月15日)。

さて、数日前からシュレーダーさんのCDをいろいろ聴きかえしてみたところ、じーーんと心に染み入ったのは、モーツアルトよりも、こちらでした。

シューベルト ヴァイオリン・ソナタ集(1978年~1979年録音)、です。

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フォルテピアノで伴奏するのは、盟友クリストファー・ホグウッドさん。昨今のヴァイオリン・ソナタ演奏というと、ヴァイオリンと鍵盤がガチンコ・丁々発止のせめぎあいを展開するスリリング系が多いですが、このCDはオーソドックスに、鍵盤は控えめで、主役はやっぱりヴァイオリンだよね~という大前提が「安心感」につながります。

ここでのシュレーダーさんの音色は、ラーメンでいえば、魚出汁ベースのスッキリ系透明スープ、麺は細麺、昭和35年創業の名店の味わい・・・と、訳の分からん比喩を使いましたが、つまりは古雅、しかし!昔ながらのスープの味にあぐらをかかず、攻めるところは攻める、そんなアグレッシヴなラーメン屋ご主人の心意気も感じられます(この比喩、ややこしいので、もうやめよう)。

さて今週末は、ヤープ・シュレーダーさんがインマゼールさんと組んだベートーヴェン、ヴァイオリン・ソナタ全集(1988年録音、CD3枚)を、じっくり聴くことにしましょう。今から土曜日が楽しみだなあ。

改めて偉大なるヴァイオリニスト、ヤープ・シュレーダーさんのご冥福をお祈りいたします。

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どのコンサートに行こうかな~と情報誌を眺めてる、この時間が大好き、つうハナシ。 [クラシック音楽]

2020年1月19日(日)。

みぞれが降った寒~い昨日から一転、関東は快晴・無風の散歩日和ですなあ。しかし、痛めた右ひざ(十字じん帯損傷)の快復が進まぬワタクシ、自宅オーディオ部屋にこもってテレマン作曲「ターフェル・ムジーク(食卓の音楽)」CD4枚組を聴きながら、身もココロもとろりん、としちょります。

手元にひろげて眺めるのは、クラシック音楽情報誌「ぶらあぼ」2月号でございます。

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毎月18日発行の無料情報誌です。1年に3000円を払うと、定期購読扱いで自宅に郵送されてくるようですが、ワタクシはCDショップやコンサートホールに出向いて無料ゲットします。職場近くだと東京駅大丸(ちけっとぴあステーション)、銀座の山野楽器、などに平積みしてりますけどね、昨日(1月18日)は、自宅からクルマで30分ほどの浦安音楽ホール(JR新浦安駅近く)で入手いたしました。フフフ。。。

それにしても首都圏を中心に、関東はクラシック音楽のコンサートの開催数が多いですねえ。

情報誌の「2月の公演情報」のページを眺めると、あるわ、あるわ、目移りするというのはこの状態です。1頁に22公演が掲載され、それが25頁です。つうことは、22×25=550公演(!)。今年の2月は29日間なので、単純平均で、1日に20ものコンサート、リサイタルが開かれている、ということ。

うはあ、そんなに多くのクラシック音楽ファンがいるものなのかねえ・・・と、冷ややかに見てはいけませんな。

さて、ワタクシは、といえば情報誌「ぶらあぼ」を眺めながら、お、こりゃいいコンサートだ、あ、この曲は実演で聴きたい、あれえ出張とかぶってるわ(涙)、などと一人興奮する時間が大好きなんであります。

以下、極私的なハナシですいません。

情報誌を眺めて、おっ!と食いついたのは、2月3日(月)、東京都交響楽団の定期公演(上野の東京文化会館にて)。プログラムにルベルのバレエ音楽「四大元素」が入っている!おお、聴きてえ~と思ったら、この日は出張で熊本でした、ガクッ。。。

群馬県の新しいホール、高崎芸術劇場のイーヴォ・ポゴレリッチさんのピアノ・リサイタル(2月7日)はどうじゃ、と思ったら予想どおりチケットは完売でした(当然か)。じゃあ同日の、札幌交響楽団の東京公演(サントリーホール)でベートーヴェンの交響曲7番はどうかな、いやまてよ、2月9日(日)ミューザ川崎、ハイドンとドヴォルザークのチェロ協奏曲もいいなあ~~などと、選択肢が多いゆえの迷い道であります。

アタマを切替え、2月にこだわらず、行きたい公演のチケットを確保だ、と、ぶらあぼ、の頁をめくっておると、この紙面に遭遇です。

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ピアニストのペーター・レーゼルさんのフェアウエル・リサイタル!クラシックであまり使われない単語ですが、フェアウエルは「さよなら」の意味、キャンディーズでいえば「卒業」ですな。つまり5月15日の公演が、レーゼルさんの、日本における最後の「実演」ってこと。おお、こりゃあ行かねば。

曲目は、ピアノ・ソナタ3曲で、ハイドン52番、ベートーヴェン32番、そして私の愛するシューベルトの21番です。チケット発売開始日は昨日(1月18日)ですので、ジャストつぼに、はまったぜ、てなわけでネットでチケットを購入しました。パチパチ。。。

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さあて、ほかに何かないか~と情報誌「ぶらあぼ」をさらに眺めると、九州交響楽団の東京公演(3月14日、サントリーホール)に遭遇。今年はベートーヴェンの生誕250年記念イヤーで、多くの楽団がベートーヴェン(の交響曲)をプログラムに組み込んできます。しかし、「4番」つうのは渋いなあ。

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そう、ベートーヴェンの交響曲でコンサートにかかるのは3番(英雄)、5番(運命)、6番(田園)、7番、9番(合唱)のどれか、が定番です。1番、2番は初期作ゆえ敬遠、も分かりますが、4番や8番は他に負けない素晴らしい曲であり、不人気なのが残念でなりません・・・てなわけで、ベト4をチョイスした九州交響楽団さんの勇気?に敬意を表し、チケット購入しました。ちなみに、リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」もワタクシのお気に入りで、一石二鳥だわ、フフフ。

さあて、他の大注目コンサートといえば、これです。昨年すみだトリフォニーホールで、痛快・爽快な気分を味わわせてくれた、

テオドール・クルレンティス指揮ムジカ・エテルナ、の公演です。4月10日が京都、13日と14日は東京(サントリーホール)。帯同するソリストは、去年と同じ、美人ヴァイオリニストの、パトリツィア・コパチンスカヤさん、とくれば、

こりゃ、もう、行くしかないでしょう!

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ということで、4月13日(月)のベートーヴェン交響曲9番「合唱」、4月14日(火)のベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」、どちらも行くぞオオオオ~と気合がはいりますな。チケット発売開始は2月2日、ワタクシは先行予約で1月中にゲットしますがね・・・ほっほっほ。

そうそう、室内楽曲でも楽しみな公演がありました。

美人演奏家が揃う椿三重奏団の、メンデルゾーンとブラームス。少々先ですが、9月5日(土)の新潟でのコンサートを狙ってます。首都圏ではなく、わざわざ新潟まで出向くのには理由があります。そう、りゅーとぴあでの公演後、新潟の繁華街へ突入し、音楽の余韻とともに地酒を呑みまくるぞお!・・・って、メイン目的はそっちかいな。

あと。6月10日(水)、14日(日)、18日(木)の3回にわたってサントリーホール(小ホール)で奏される、葵トリオの「ベートーヴェン ピアノ三重奏曲、全曲演奏会」。この機を逃したら、全曲演奏なんて聴けませんから~~。

つうわけで、クラシック音楽情報誌「ぶらあぼ」とにらめっこ、あーでもない、こーでもない、と悩んでいる(楽しんでいる?)ひとときが、ワタクシにとってのハッピータイム、なのであります。

以上、ご安全に!

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ベートーヴェン交響曲第9番「合唱」・・・のワーグナーによるピアノ編曲版がスゴイ。 [クラシック音楽]

2019年12月30日。

いよいよ令和元年も残すところあと1日・・・と月並みセリフをさえずりつつ、キホン私は年末年始などどうでも良く、大晦日はたんなる365日のうちの1日に過ぎないのですわ。ちゃんちゃん。

・・・てな天邪鬼発言した口で、お前そのネタいくか!?と突っ込まれそうですが、本日は、

ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」について書きます。

年末になると日本人のクラシック音楽ファンの多くが(って具体的に誰かは知らんけど)「第九」「第九」と浮かれ騒ぎ、コンサートホールでは毎日「歓喜の歌」が響き渡る・・・ことになっておりますナ。同じ9番ならブルックナーの交響曲のほうが全然良いと思うんだけど、このあたりはヒトの好みですわな。

ベートーヴェンの交響曲第9番(通称=ベト九)に対するワタクシの素直な感想は「良し悪し以前に、なんとも面妖な曲だ」というもので、10年に1回聴くなら良いけど、毎年は要らん、と、根室の「花咲ガニ」的な扱いであります(分かりにくい比喩ですいません)。ちなみに、私の年末必聴曲はマーラー交響曲2番「復活」。昨日はパーヴォ・ヤルヴィさん指揮フランクフルト放送交響楽団のCDと、ピエール・ブーレーズさん指揮ウイーンフィルのCDの2セットを聴きとおし、うーーん、やはり良いねえ、と唸った次第。。。

・・・あれ、話が逸れました、失礼。

ベト九に話を戻します。大オーケストラと大合唱団による重厚長大・威風堂々たる演奏に辟易するワタクシながら、この録音は超フェイヴァリットなのです。

ピアノ編曲版のベートーヴェン交響曲第9番「合唱」(1998年録音、BIS)。

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シロウトの私が聴いても演奏至難のピアノ・スコア。それを弾きこなすのは超絶技巧の天才、小川典子さんであります。パチパチ。

ベートーヴェン交響曲のピアノ編曲といえば、鍵盤帝王のリストのバージョンが有名です。ステージにかかるピアノ版といえばほぼ100%がリスト編曲版でしょう。さすがは帝王、オーケストラ演奏をピアノに置き換える難題を見事に(悪くいえばリスト・テイストに)完遂しております。

いっぽう上に掲げた小川典子さんのCDは、リスト編曲版ではありません。なんとオペラ(楽劇というべきか)の雄、リヒャルト・ワーグナーさんが弱冠17歳でピアノに編曲したものです。修業時代のワーグナーさんは教師について勉強するほか、過去の名曲スコアを写譜する独自の勉強法をとっていたそうです。そのなかで、ベト九に感銘し誰から頼まれたわけでもなくピアノ版へのアレンジを始めた由。(ただし、さすが商売人のワーグナーさん、できれば銭に結び付けたかったようで・・・このあたりの顛末はCDブックレットに詳述されています)。

さてさて、のちにスゴイ作曲家に大成するワーグナーさんですが当時は17歳(日本ならまだ高校生)。ピアノ編曲にワーグナー「らしさ」はなく、良い意味でベートヴェンのオーケストラ・スコアを忠実にピアノ化しています。それゆえ、とんでもなく演奏が難しくなっちゃったわけですが・・・。

この「ワーグナー版」の良いところといえば、ピアノ1台演奏ゆえに、各音は明確に分離されて見通し(風通し?)がよくなり、暴言承知で言うとホンモノ(=オーケストラ版)の、だぶついた感じや大仰さが抜け、余計な重量感が無くなって聞きやすい!ともいえるのですネ。へえ、ベト九って、こうゆう音楽だったかあ、とワタクシなどポジティヴな印象をもったくらい。

さらに本CDが出色なのは最終楽章の合唱部分です。リスト編曲版は、歌唱・合唱すらもピアノに置き換えて(正確には「声楽あり」「声楽なし」を選択できるのだが)、完全器楽曲になっています。それに対しワーグナー編曲版だと歌唱・合唱部分はピアノにしていません。つまりワーグナー版は声楽がないと、歌部分はカラオケのようにぽっかり抜けてしまう、ゆえに歌唱ソリストと合唱団が必須というわけです。

この声楽が当該CDは素晴らしいんですね。スエーデンBISレーベルですから当然とも言えますが、「声」を受け持つのはバッハ・コレギウム・ジャパン。素晴らしい歌唱を披露しています。伴奏1台ピアノにあわせ、合唱は24名に縮小(この曲にしては超コンパクト)。歌い手はのどが裂けんばかりに声を張り上げる必要がないので、歌いだしのアタックは最小限で良い。その結果生まれた、優しく、温かく、聴き手を包み込む「歓喜の歌」に不覚にも涙を流したワタクシです(それだけベト九が秀逸な音楽である証なのでしょう)。

年末大騒ぎのオリジナル「第九」よりも、ワーグナー・ピアノ編曲版が優れているとは申しません。そうは言わないけど、音楽のツボとは聴き手それぞれ独自のもの。私は小川典子さんのピアノとバッハ・コレギウム・ジャパンの歌唱に、オリジナルで得られないエクスタシーを感じてしまう。そんなマニアックな自分を、ワタクシは褒めたいのだっ!

というわけで、自分へのご褒美として、これから「浜田省吾ベストアルバム」を購入します・・・って、そっちかよ!?

あ、そうそう。つい先日、バッハ・コギレウム・ジャパンによるベートーヴェン交響曲第9番「合唱」のCDがリリースされましたね。

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ピアノ編曲版ではなく、オリジナルのオーケストラ版です(って説明するもの変だけど)。この曲のCDを最後に買ったのはアーノンクールの全集か・・・くらい昔ハナシのワタクシ。でも、BCJの演奏となるとブルブルと食指が動きますなあ。本日は以上!

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