20年ぶりに聴く、バーンスタイン指揮マーラー交響曲2番「復活」(1963年録音)がすごい。 [クラシック音楽]

2021年6月。

当ブログ、音楽ネタがご無沙汰状態でした。反省、ほどではないですが、たまには音楽も取り上げないとイカンなあ、と、本日は、このCDについて語ります。

マーラー作曲、交響曲第2番「復活」。指揮者はたぎる熱血・あふれる情熱の、故レナード・バーンスタイン御大、オケはニューヨーク・フィル、でございます。

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ここから、話はマニアック世界に入っていきます。興味のない方には、なんのこっちゃ?のラビリンスでしょうが、そんなこた構うもんか!うわっはっは!(開き直り?)

クラシック音楽好きの方の多くは、たぶん、バーンスタイン御大&ニューヨーク・フィルの「マラ2」といえば1987年録音のドイツ・グラムフォン盤を思い起こすことでせう。それは80年代を代表する刮目すべきマーラー交響曲全集の1枚であり、エキセントリックなテンポ設定、振れ幅でかっ!の「レニー節」炸裂の名盤でございました。

だが!

ワタクシは、1987年録音ではなく、あえて1963年録音の旧盤を取り上げます。さて、ここで自慢です。当方、マーラー「復活」のマニアでして保有CDは約30セット。いならぶ名盤のなかにあって、1963年録音の本ディスクに食指が動かず、約20年前に聴いたきりCD棚の片隅にじっと鎮座していたのであります。

なぜまた、いま、聴こうと思ったか?すいません、自分でもよう分かりません。なんとなく、か、天の声か、どなたかのお導きか。ま、そんなこたあどうでもヨロシイ。

6月某日、このCDを聴いたワタクシは仰天したのです。耳に、心に、ビンビン刺さるエナジー、エモーションに、ぶっとんだのであります。最終楽章(第5楽章)で、お約束のように泣きました。いや泣く、これは泣く・・・などと感覚的駄言を並べてもしょうがないですな。

いまから57年前の、本盤の録音当日。会場の様子を、私は勝手に推測するのであります。バーンスタイン御大(当時45歳)のニューヨーク・フィルへの演奏指示に対し、コンサートマスターは批判気味にこう言ったに違いない「バーンスタインさん(あるいは親しみをこめて、レニー、と呼んだか?)、いくらなんでも、あなたの指揮のテンポやリズム、そしてアゴーギク(変化)が激しすぎて、演奏が破綻しそうです。こんなんで良いのでしょうか?」と。。。

それに対し、御大はこう答えたのであろう(もちろん勝手な推測です)、「おまはん、何、言うてんねん。音楽は爆発じゃ!エモ・マックスじゃ!ここで攻めずに、どこで攻めるちゅうねん!」と、なぜか関西弁風であった。

そうです、この演奏は、第一楽章を聴いただけでも、目が点、なんであります。感情ダイレクト噴出し、攻めに攻めているのです。昨今のマーラー演奏は良くも悪くも、精緻・正確・重厚に、かんでふくめるようにマーラーの屈折感情を炙りだす、頭でっかち方向に流れている(ように思える)のに対し、1963年のバーンスタインさんは、そうゆう「あざとい狙い」がなくって、実に自然、フリーダムに、湧き上がる感情に素直に身を任せ、一気呵成に突き進むわけです。そこで生まれた音楽は、他の指揮者とは明らかに一線を画して、潔い、つうか、心地良い、のですねえ。

オケの大音響がゼネラルパウゼ(全休止)する場面は、第一楽章、第五楽章のハイライトですけど、無音から次の音に入るまでの「間」の独特なこと!うっ、と、つんのめりそうになります。が、それすらに必然が感じられ、こりゃすげえ、と感心しきり。

いっぽう、爆走の第一楽章のあとの第二楽章は、芸風が一転、ドヴォルザーク9番「新世界より」の第2楽章か?つう抒情あふれる表現です。ここでは、前楽章とは逆に「かんでふくめるように」、午後5時になったので良い子は家路につきましょう、てな非マーラー的(?)とさえ思える優しい味わい。呑みすぎた翌日は、おかゆ+梅干しの優しさが体にしみるのであります。こう来るか!と脱帽です。

さて、同じ指揮者(バーンスタイン)、同じオケ(ニューヨーク・フィル)のコンビによる2種の録音、1963年、1987年を、どう位置付けるか?というテーマ。前者は「覇気、勢い」が魅力、後者は「成熟・完成した表現」が魅力、とか評論家なら言うでしょうけど(よく知らんけど)、私は、以下のたとえを使いたい。

日本が生んだ唯一無二の名優、三船敏郎さんであります。三船さんを、バーンスタインさんにたとえるのは、どちらの方にも失礼かと恐縮しますが、どうも、これ以上にしっくりするアナロジーが思いつかんのですな。

バーンスタインさんの1963年の指揮は、三船さんでいえば「羅生門」「七人の侍」の演技であります。生々しいリアル感、あふれ出るエネルギー、ストレートな感情表出がツボかと。

いっぽう、バーンスタインさんの1987年の指揮は、三船さんでいえば「椿三十郎」「用心棒」の演技、つまりは、独特ではあるが、熟練を重ねて、良い意味でパターン化したお約束パフォーマンス。そんな「三船節」が良い、というわけです。うーん、勝手なワタクシの思い込みですけどね。

以上で、本日のテーマはおしまい。ところで、昨日、札幌のタワーレコードで、ワタクシ、またしてもマーラーの「復活」のCDを買ってしまいました。ただし、オーケストラ演奏ではなく、2台ピアノ版(ヘルマン・ベーン編曲)。うはあ、キワモノだ、マニアックだ!そう、マニアというやつは、こうして枝葉末節の泥沼へと、はまりこんでいくんです。私も懲りないすなあ。あははは。。。

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