オーネット・コールマンのフリージャズが、初めて琴線に触れた日。 [ジャズ、ロック、ポップス]

2021年9月。

本日のお題はサックスの名手、オーネット・コールマンであります。彼を取り上げといて言うものなんですが、ワタクシ、フリージャズが苦手なのであります。

そりゃそうです。私がジャズを聴き始めた10代後半(40年以上前ですなあ)、好きな管楽器奏者といえばアート・ペッパー、ジャッキー・マクリーン、チェット・ベーカー、ジョン・コルトレーンですぜ。メロディがあって心地よく聴ける類のジャズですよ。

そんな耳にフリージャズの先駆者たる、オーネット・コールマンがどう聞こえるか。仰天・マイナス感動ってやつです。好き勝手、思いつくままにブヒー、ズギャー、バブーーと野放図に吹き放つサックスを、到底、肯定なんぞできず「なんじゃあ、こりゃ!やめてけれっ、ゲバゲバ!(古っ)」と叫ぶのは当然でしょう。

モーツアルト大好き!という女子が、スティーブ・ライヒを初めて聴いてどう思うか?

乃木坂46大好き!という男子が、人間椅子を聴いてどう感じるか?・・・ワタクシのフリージャズ体験を例える言葉は、枚挙にいとまなしであります。ちゃんちゃん。

おっと余計な前置きが長くなった。本題のオーネット・コールマン、今回は、カルテット名義のアルバム、

This is Our Music (1960年)に話を絞りましょう。

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アルバムタイトル「これが俺たちの音楽だ!」に彼らの決意がビシビシ感じられます。ジャケ写真はインパクト十分、こいつらならジョン・ウイックを始末できるかも?とさえ思わせます。

肝心の中身は、といえば、そりゃフリージャズ、絶好調!であります。なんたって、フリー、自由ですよ自由、なんでもアリつうことです。

オーネットさんのサックスには、メロディらしいメロディはなく、無調音楽のごとく鳴り響きます。そこに相方のドン・チェリーさんのコルネットが「合いの手」を入れる。合いの手といっても、錆びたドアを無理に開けたときみたいな、キーッ、とか、ギ~、ビュー、と擬音っぽい音をぶち込む、かと思えばサックス&コルネットの見事なユニゾンシーンもあったりで、え?即興じゃないの?ちゃんと「事前打合せ」してるのか、と妙な感心をしたりする。

で、えーーと、オレ、今日は何を言いたかったんだっけ。

そう、This is Our Music、を何年いや何十年かぶりに聴き、ああ、こうゆう聴き方もアリか、と新発見と感動があったつう話です。以下はあくまで、「私」の主観であって、フリージャスの議論じゃないですよ。

オーネット・コールマンさんのサックス・プレイを俯瞰的に「音楽」として把握しようとすると、私は全然ダメなんですね。エキセントリックすぎ、どう頑張っても、入り込めないのです。ところが。今回の再聴で、ツボにはまった、琴線に触れたポイントがあったのです。

彼のサックスの「音」そのものです。音楽ではなく「音」ですよ。たとえばオーネットさんが、ブゥーーーーー、と同音程を長伸ばししたさい、その音には、なんともいえぬ陰影や奥行きがあるんです。グルーヴとは違う、揺れ、と言えばよいのか。それはメロディ、フレージング、アーティキュレーションといった「型」を補って余りある美点なのであります(お、カッコいい事言った、オレ)。

そのツボを聞き取ったとたん、私の脳は向かうべきベクトルを見定めたようで、オーネット・コールマンさんに心酔・・・とはいきませんが、納得・腑に落ちた感じ、がしたわけです。

いくつになっても人間、新発見ができるのじゃ!とプチ感心した次第。では、この良い勢いをサックスだけでなく、ピアノ方面にも広げるべく、セシル・テイラーを聴くぞ!と意気込んだものの、CDプレーヤーにセットしたディスクは、マッコイ・ターナーでしたとさ。嗚呼、しょせんは保守中道の私・・・本日は以上です。ちゃんちゃん。

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