ウイリアム・ブレイクの、詩集と画集にはまっているハナシ。 [本]
2019年4月。
このところ、はまっている物件が、ウイリアム・ブレイクの作品であります。
ウイリアム・ブレイク(1757~1827)はイギリスの詩人であり、画家、版画家でもあるマルチ才人。ひとりの人物の詩集と画集が、フツーに日本の書店で売られているその事実だけで、スゴイじゃん、と感心しちゃいます。
自宅に積みあがっていた「開かずの段ボール箱」を昨年、整理したさい、詩集と画集(版画と水彩)が発掘されて、我が家のトイレに置かれたのであります。便座に座って詩を読み、版画をじーっと眺めると、時間がどんどん過ぎるんです、おお、寒い寒い・・・じゃあ部屋で読めよ、つうツッコミもありますけど、これが微妙な気分的問題でしてね(←しどろもどろ)。
さて、ブレイクの詩のある一節を読み、ワタクシ昨今ニュースで観た、悲惨な事件を連想しました。
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ひとが涙をこぼすのを見て いっしょに悲しく感じないのか
父親が子供の泣くを見て 胸がいっぱいにならぬだろうか
母親がおさなごのうめきや恐れを聞き じっとすわっていられようか
いやいや そんなこと あり得ない
決して決して あり得ない
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この詩を読むと、親による子供の虐待事件、が頭をよぎります。頼るものは親しかいない子供の弱みにつけこんで、殴る蹴るの暴行や、食事を与えなかったり、冷水をかけたりするとは、親でもなく、人間でもなく、鬼畜です。他者の活殺を握った優越感と、ゆがんだ支配欲にまみれたサディスト、要するに人間のクズです。彼らはブレイクの、さきほどの詩をどう思うでしょうか。ま、なんにも感じないんだろうなあ。
ブレイクの詩といえば、文学者の中野孝次さんが、生き方を決した言葉のひとつとして、これを紹介していました。
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The Angel that presided o'er my birth
Said, "Little creature, form'd of Joy & Mirth,
Go love without the help of any Thing on Earth"
わたしの誕生をつかさどる天使が、こう言った
「よころびによって創られた、ちいさき生きものよ、
行きよ、そして愛せ、この地球に、助けるものが何一つないとしても」
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どうですか。「助けるものが何もなくても」とはなんと残忍、だが、なんと核心を突いた条件でしょう。きれいごとではない真実がセンテンスをカーッと光らせています。虐待親の元に生まれたとしても、子供たちは、生きてさえいれば、いつか世界を愛すことが出来たかもしれない・・・うーーん、ブレイクにかぶれると、トイレが長くなる。。
詩のハナシは以上ですが、もう一冊「ブレイク 版画と水彩」も素晴らしい内容なんであります。
ブレイクさんの創作の根底にあるのは、神の存在であり、画業は宗教色が強く、それゆえ、イマジネーションあふれる幻視的な世界観と、美意識が、眩暈のような感覚をひき起こします。
人食い殺人鬼ハンニバル・レクター博士を主人公とするトマス・ハリスの小説「レッド・ドラゴン」、そのタイトルはブレイクのこの作品「巨大なる赤き竜」から採られております。レッド・ドラゴンは映画化もされましたね。
ちょっと見ただけでは、というか、しっかり目を凝らしても、何だか訳分からん絵だけど、迫力と訴求力が尋常ではありませんな。頁を開くたび、見入ってしまう大好きな作品であります。
というわけで、ウイリアム・ブレイクのマイ・ブーム、まだまだ続きそうです。ブレイクだけあって、ワタクシの脳内で完全ブレイクだぜえ!とダジャレで締めるのもナンですが、本日は以上です。チャオー。