面識のある方々の自殺が重なった件。そこで思った事。 [雑感]

2024年3月。

日本はいよいよ春です。あちこちでソメイヨシノが咲きはじめ、4月からの新生活にワクワクする学生さんや社会人も多い時期に、暗~い話題で恐縮ですが本日は「自殺」についてであります。

このテーマを取り上げた背景を申し上げます。先般、北海道と関東で昔からの知り合い数名と、久しぶりに会う機会がありました。お約束どおり「ところで、あの人、どうしてる?」と共通知人の話題になったわけです。

私の質問に対し、「あ、〇〇さんは亡くなったよ」と答える者がいる。私が「あれ、〇〇さんってオレより若いよねえ?病気だったの?」と問うと、いわく「いや、自殺だよ」。えっ、そうなの?と驚いたワタクシです。

自殺者は一人ではありませんでした。ここ2年間で、面識あったひと3名が自殺してたんです(1名は7時間の手術を経て一命をとりとめ、2名は亡くなった)。それぞれの自殺には相互関連はなく、つまりは偶然です。

私が素朴に思ったことは、自殺ってそんなに多いんだ・・・ということ。人生の重大事を件数で語るのは失礼かつ乱暴ですが、思ったもんは仕方ない。

人間だれしも生きていれば、いろんな出来事に遭遇します。良いこともあれば悪いこともある。にっちもさっちもいかない(と本人が思う)ような崖っぷちもあるだろうし、精神的にも肉体的にも限界!というクライシスがありうる。自殺を考えたこともないノーテンキな私が言うのもナンですが、そんな状況に、死という「決着」を選択する方がいてもおかしくはないでしょう。

ケイ・ジャミソンさんの1999年の著作「Night falls fast」(早く訪れた夜、邦題「生きるための自殺学」)を、ワタクシたまに読み返すんですが、躁鬱などの心因性による自殺念慮が、原因として強調されています。どんな人間でも環境や状況によっては、自殺をするほどの精神状態に陥る可能性がある、ということですね。

たしかに、前出の自殺(未遂を含む)した3人の方は、自殺をするタイプとは思えませんでした。とはいえ、私は彼らにずーっと付き添ってたわけじゃないし、私は専門家でもないし、きっと私の知らない彼らの深い苦悩があったんだろうなあ、と想像するばかりです。

しかしなあ・・・自死って、やっぱり凄まじいことだと思うんです。還暦も過ぎて死ぬこと自体にそれほど怖さを感じなくなった私でも、自ら死を選択するのは怖い。外的要因(老齢、病気、事故)による死にはない、真っ暗な井戸の底を、ずーっとのぞき続けるような精神の閉塞、絶望、煩悶を想像してしまう。その、死に至るまでの過程が怖い。

考えて答えが出るテーマではないので、あんのじょう話が支離滅裂になりました。最後に哲学者カミュさんの「シーシュポスの神話」より抜粋します。ちなみにカミュさんは、自殺を肯定されてるわけではないので、念のため・・・。本日は以上です。

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真に重大な哲学的問題はただひとつしかない、

それは自殺ということである。

人生が生きるに値するか否かを判断すること、

それこそが哲学の根本問題に答えることなのである。

アルベール・カミュ(1913~1960)

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