コロナ禍のなか、ワイドショー番組のコメンテーターの、訳知り顔にウンザリ。 [雑感]

2020年5月3日(日)。

5月6日までの予定だった緊急事態宣言、首都圏では1ケ月ほど延長されるようですね。敵は目にみえないウイルスで、ワクチンがない現状、この判断は仕方ないでしょう。ウムム。。。

さて、家にこもっていると、ふだん観ないテレビ番組を、暇つぶしに眺めちゃうわけです。今に始まったことではないけど、こう思ってガックリのため息が出ますなあ。

ワイドショーに出てくるコメンテーターなる連中って、つくづくバカだなあ、と。

コロナウイルス問題には、医学の専門家がゲストで番組に登場する。この方々は(話の上手・下手はあるにしても)ご自身の専門分野について話すので、良し、としましょう。

問題はレギュラー・コメンテーターつうのかな、毎回、その番組に出て「流行りの話題」について勝手な持論を述べる手合いですな。肩書は芸能人、弁護士、作家、元・スポーツ選手、元・特派員、元・政治家、、、と、いろいろです。

この輩の基本性癖は「分かった風なことを言う」こと、そして「結果をみて批判する」ことですね(それなら誰でもできるんだよね)。いっぽうで、過去に自らが発したコメントについては再検討や反省はせず、ほとんど「言いっぱなし」なんですよねえ。彼らは、いかにも公平かつ弱者の立場に立ったかのような権力批判の熱弁をふるうが、しょせん、その時点で「世間受け」することを無思想に並べてるだけです。だって、彼らのエクスキューズ(というより隠れ蓑)は、「一般人(シロウト)の代弁者」で、視聴者はどうせバカなんだから、こっちも井戸端会議の延長でいいわ、と言わんばかりの迎合的割り切りをしているから、ですね。自分の落ち度は棚に上げ、どんな問題も、政治や政府や役人が悪い!と断じておけば、庶民を守る立派な知識人、というエラソーな顔ができるというわけ。

コロナ問題に関しては、日本政府が100%正しいとは私だって思いませんがね、「PCR検査数が少ないのは政府が悪い!」、医療現場切迫と聞くと「実情を把握しない政府が悪い!」、政府がマスク支給を決めると「世論とずれている!」、一律10万円配布ときけば「政府は方針転換した!」「10万円じゃ足りんわ!」とくるわけだ。前出のごとく、結果を観てケチをつけるんなら、俺にだって出来るよ、とツッコミ気分になるのはワタクシだけでしょうか。ちゃんちゃん。

つうか、そもそも、ですよ。

どんなに賢く事情通だろうが、ひとりの人物が、芸能人の不倫やドラッグ、安倍政権問題、北朝鮮のミサイル問題、イギリス皇室騒動、中近東の政情不安、大地震への備え、少子化問題、そして新型ウイルス問題など、千差万別の全く異なるテーマに対し、まともなコメントなんて出来るものかねえ?聖徳太子か、お前は!?

彼らの知る「内情」「真実」なんて、しょせんはメディアを通じて入手した陳腐なもので、それに乗っかって、専門知識もなく「その都度、もっともらしいこと」を言ってるだけですわなあ。照れを知る私からすると、

どれだけ面の皮が厚いのかね?この人たち。

と呆れてしまう。

彼らコメンテーターにぴったりの箴言は、皮肉屋カール・クラウス御大のこちらでしょう。いわく、

教養人が、おのれの教養外の問題について発言するとき、その教養の程度が露れる。

あるいは、ロシュフコーさんの残したこちらの箴言かなあ。

最も賢明な人びとも、どうでもよいことにおいては賢明だが、彼ら自身にとって最も深刻な事柄において賢明であるためしは、まずない。

・・・というわけで、今日はこれでお終いっ!(オレも、コメンテーター連中を見習って、言いっぱなしだぜえ、わはは)。

突然話は変わり、本日聴いたCDの紹介!

   

キング・クリムゾンの2002年のミニアルバム「しょうがない」です。

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なんじゃ、この「しょうがない」つう邦題は!?と、お怒りの御仁に対しては、ではジェネシスのアルバム「怪奇骨董音楽箱」(原題Nursery Cryme)は、いいのかあっ!と反論をしておきましょう・・・って、プログレの泥沼か、ここは。

すいません、話を戻しますと、「しょうがない」は日本のプロモーションが付けたわけではなく、原題なのであります。欧米でも「Shoganai」のタイトルで売られているのです。

当時のインタビューでロバート・フリップさんはこう申しております(BARKS 2002年10月28日の記事より転記)。

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「タイトルを日本語にした理由のひとつは、キング・クリムゾンの日本のファンがいかに大切かを示す証なんだ。で、もうひとつには、言葉のニュアンスというものの受け取り方は、その国の人たちによって変わる、ということがある。
交通渋滞に巻き込まれたときの“どうしようもないな”という気持ち、それが“しょうがない”に当たるのだが、そういう微妙なニュアンスの違いを表わすために、外国の言葉を使ったんだ。何人かの日本の友人から聞いたんだが、この“しょうがない”という日本語の中にも、さまざまな意味が含まれているということは承知しているよ。
人生とは非常につらいもので、もう駄目なんじゃないか、と思うこともある。実はこの『しょうがない』というミニアルバムは、次のフルアルバムと対のような形になっているんだ。この『しょうがない』は、もうどうしようもない、できることはほとんどない、という意味なんだが、次の『The Power To Believe』には、そうした中からでも何かができるんじゃないか、という希望がある。だからこの2枚は対だ。一方は望みがあるも、一方には望みがないもの、というね。」

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アルバム・タイトルの解説をしつつ、次のアルバムのPRもしちゃう、このちゃっかりさんがあっ!

というわけで、話は冒頭に戻り、ワイドショーのコメンテーターは「しょうがない」、コロナ禍でわれわれの置かれている現状も「しょうがない」と、割り切り&諦念気分で、まとまりなく今日の記事はお終い。

・・・あれ、肝心の、アルバム「Shoganai」の内容へのコメントを忘れていました。ずばりキン・クリのファンなら「しょうがないかあ・・・」、ファン以外の方なら「しょうもない・・・」と言ったところでしょうか。ご安全に!

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