キスリング展を拝見。感動・感激・感謝・・・これほどの喜びがそうそうあるだろうか! [絵画]

2019年6月某日。

目黒にある東京都庭園美術館で、キスリング展(会期4月20日~7月7日)を拝見しました。

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大げさに聞こえようとかまうもんかつう勢いで言いますが、震えるほどの感動、とは、この展覧会を観たワタクシのためにあると申し上げたい。自分が生きている間に、これだけのキスリング作品をドドーンとまとめて展示いただけるなんて、なんとありがたいことか。「生きていればきっと良いことがある」という言説は、私にとって、まさにこの日、この展覧会を観たことにある、のでしょう。ああ、今日まで死ななくて良かった。

日本の「美術好き」のヒトたちは19~20世紀西洋絵画といえば口裏を合わせたように、ルノワールだモネだゴッホだセザンヌだとさえずるが私が愛する画家は彼らではなく、モローであり、ヴラマンクであり、スーティンであり、そして今回拝見したキスリングなのであります。

ワタクシのヴラマンクさんとキスリングさんへの偏愛は当ブログでも吐露してきました(2015年の関連記事は→ここ)。

今回の「キスリング展」はその偏愛を追認しつつ、ますますキスリングさん作品を深~く愛する展開となりました。山本リンダさん的に言えば「もう、どうにも止まらない」ってことですナ・・・ネタ、古っ!

展覧会ポスターに使われている高さ160センチの油彩「ベル=ガズー」。キスリングさんらしく、女性は無表情でありながら、瞳には、そこはかとない愁いをたたえております。存在感たっぷりなのに、夢の一場面ような不可思議な浮遊感覚。。。この絵の前に立つと、強力な磁力に引きつけられるかのように動くことが出来なくなりましたね。

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そう、キスリングさんの作品には私を虜にする、すんごい奥行きと深みがあるのです。描かれる対象が、人物でも、静物でも、風景でも、その深みはなんら変わりません。

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2年前に書いたヴラマンク展の感想と内容がモロにかぶりますけど、私の持論として、印刷技術がどんなに発達しようと、画集や複製ではなく、実物を観なければならない画家、というのがいて、それはヴラマンク、スーティン、キスリング、なのであります。

なぜなら画集ではただのベタッとした陰影にしか見えない箇所が、実物では想像を絶する深みを持っており、まさにそこが「絵のツボ」と思えるからです。たとえば裸婦を描いたこの絵の、重ねた脚の、すねの間の陰影。裸婦の肌と、黒い背景の境界線の明暗の対比。

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グラデーションの陰影にしても、バシッと明暗が区切られた端面にしても、それだけで堂々たる「美」なのです。テクニックで賄えるモノではなく、そこには哲学が、ひとつの「世界」の凝縮があり、バカにされるかもしれないけど時空への裂け目とさえ思えます。

その強烈なインパクトは画集では到底、味わえない(と思う)わけで、本物を観た人間のみのヨロコビなのです(自慢じゃ)。下に掲げた作品でいえば、人物の手の「指と指の間の陰影」ですね。画集では平面的ですが、本物作品ではブルッとくるような深い表現になっております。

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そして、キスリングさん作品の大きな見どころといえば「アーモンド・アイ」ですね。少々誇張ぎみに見開かれた魅惑的な瞳です。虚空を見つめるようなその瞳には、鑑賞者の視線を釘付けにする目力(めじから)つうか吸引力があって、これがワタクシのキスリング愛を、いやがおうにもかき立てるのであります。

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今回の「キスリング展」は画家の初期から晩年まで約60点が網羅的に展示され素晴らしい充実ぶりです。この機会を逃すと、今後30年間、日本でこれだけの作品をまとめて観るチャンスはありません。

作品を集中して凝視したため、疲れ切ってフラフラになって庭園美術館を出たワタクシです。しかし、まだまだ負けませんぞ。「キスリング展」は東京開催を終えたら、そのあと岡崎市美術館(7月27日~9月16日)、秋田県立美術館(9月29日~11月24日)を巡回します。

当然ですが、ワタクシ、岡崎にも行くし、秋田にも行きますぜえ!アイドルの追っかけ気分であります。新幹線料金など、名品に再会できる喜びに比べれば、安いもんですよ。

うーん、本日はテーマがキスリングさんの絵だったので興奮して文章がメロメロになってしまった。失礼しました。チャオー。。。

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