還暦を過ぎ、自分の理系人生を、なんとな~く振り返るこの頃。 [雑感]

2023年1月。

うはあ、寒いっ!強烈寒波で、早朝の自宅内は冷えきっております。光熱費の負担が重たいご時世、暖房は控え、飼い猫そらを抱っこして暖をとりましょう・・・って、どんなサバイバルな家だよ!

本日は、2月の講義に使う資料(投影パワポ)を、ヘヴィメタルを聴きながら作った次第。全54シートの第一稿が出来たので3日ほど放置してから、最終チェックし仕上げます。おっと他人様にとって、なんの興味もわかない当方の日常を述べてしまった。で、どーでもいいネタついでに、以下、ふと頭に浮かんだ「自分の理系人生」(←なんとかっこいい表現だ!)について書くのであります。

ワタクシ、エライ学者さんでも社長でもなく、とりたててどーつうことのないエンジニアなので、人生に波乱万丈のトピックスはありません。ただ、60歳を過ぎ、ゆるく過去を振り返ると、人生って何が幸いするか分からんなあ、つう感慨を強くするのでありますなあ。

勢いがついたので、少し細かく説明します。

ワタクシ、社会人になる前、大学で「電気工学」を専攻しておりました。ちょい専門チックになりますが、大学院での研究テーマは「電力系統の過渡安定度解析(Transient Stability Analysis)」。ちょうど1980年代は、安定度解析の画期的手法「リアプノフ関数を用いた直接法(Direct Method using Lyapunov Function)」が注目をあびて、Pai、Anderson、Fouad、Kakimotoなどの研究者が、優れた論文や著作を出していました。私もそれに乗っかって、研究まがいをしとったわけです。手法は、大型コンピュータを使ってのデジタル・シミュレーションで、来る日も来る日もモニターとキーボードに向かって、パチパチと解析プログラムを作り、モデル系統で検証し、プログラムを手直し、その繰り返しなんですな。

で、コンピュータ相手に2年も格闘していると、私のような根気のないアホは、ウンザリしてくるわけです。こんな作業が何の役に立つのか、時間の無駄じゃん、とネガティヴ意識がアタマから拭えません。つうわけで、修士論文を書き終えたら、二度と解析がらみのシゴトはしない!とココロに誓ったのであります。はい。

就職先は「解析シゴトは無い(だろう)」という推定から、某・電機メーカに決め、オレはシステム・エンジニアだぜ!解析だのプログラム作りとはおさらばだぜ!とスカッと東京に出てきたのでした。

しかし。神様はワタクシの「逃げ得」を許しませんでした。おお、怖い。

部署配属後、早々に上司から「君は大学で系統解析をやってたんだよね」つう嫌~なタームが出たので、私は、ガチョーン!(←谷啓さんの体で)と声が出ました。それをやりたくないから、ここに来たのよ、なんだ、それ。勘弁してちょーだい!(←財津一郎さんの体で)。

周囲はワタクシを「コンピュータで解析シゴトが出来るひと」と認識しておって、そのあとは坂道を転がり落ちるようにずぶずぶ泥沼にはまるのであります。幸いにも解析スキルはそこそこ身についていたので、シゴトは可もなく不可もなく無難にこなしておりました。が、やがて解析の対象は、国内案件だけでなく、南米の電力系統などにも広がり、そのいっぽう「本来の」装置を作る仕事も増えてきてヘトヘトになったわけです。嗚呼、恨めしや、電力系統解析・・・。

これを例えるなら、地方がイヤ、という理由で東京に就職したら、配属先がド田舎の支店だった、とか。

人と話すのが苦手で動物園に就職したら、仕事は外回りの営業、関わる相手はゼンブ人間だった、とか。

ま、「イヤだ」「やりたくない」と思って対象から逃げるほど、その対象が追いかけてくるのはホラー映画の常道で、究極が名作「ファイナル・ディスティネーション」でしょうな・・・って、急に映画の話かよ

さて電機メーカのエンジニアになって15年ほど経ったころ。学会の委員会などで、他業種、他企業の方々と話す機会が増えてくると、驚いたことに(委員会のミッションにもよるが)解析スキルは、共通言語としてひじょうに有効だと気付いた訳です。あれえ、そうなんだ・・・とちょっと目からウロコ。

同じ対象も捉え方によって楽しくもなり不愉快にもなるわけです。それからは発想を転換し、解析スキルを活かして(つうほどの能力でもないけどね)1年に最低2回、学会発表(一般講演)をするようになりました。社内向けの勉強会の講師もするようになりました、とさ。

話はそろそろ終わりに近づいてきます。

てなわけで、自分の理系人生、何が不思議かつうと、あんなに嫌だった「解析シゴト」が、40年たってみると結果的に特技となり、その技能により認められ、人間関係が広がったこと。多少は給料アップに寄与したかもしれない。あげく、定年退職(昨年)した今は、その解析スキルが食いぶちなんだから、ちょっとした驚きです。

最初に書いたセリフ「人生つうのは、何がどう幸いするか分からんなあ」が、しみじみ実感となっている今日この頃なのであります。内容薄いのに文章長かったですな、スイマセンね。

ちょっと話がズレるかもしれないが、人生は、自分が最初に描いた一本道を貫くより、偶然に左右されあれこれと振り回されるほうが面白い、ってことでしょうかねえ。ちょうど今、故・赤瀬川原平さんの「偶然日記」を読んでいて、ツボにはまっていたのでした。例によって、まとまりないまま本日は以上!

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