山田風太郎さんのエッセイ集「人間万事 嘘ばっかり」が、ツボにはまりまくるハナシ。 [本]
2019年8月31日。8月もついに最後の日を迎え、涼しくなるかと思いきや、いやはや関東の暑さときたらもう・・・。
さて、2週間の九州出張中、私が帯同して読んでいた本はこれでした。
山田風太郎さんのエッセイ集「人間万事 嘘ばっかり」。いやあ、楽しかった!
山田風太郎さん(1922年~2001年)は昭和を代表する娯楽小説作家です。奇想天外、といえば聞こえは良いが、荒唐無稽とさえいえるトリックやギミックを駆使したミステリ、妖術・忍術小説を多産した、いろいろな意味でスゴイ方であります。2010年からは功績をたたえた「山田風太郎賞」が設立されたそうで、ワタクシが愛する佐藤正午さんの長編小説「鳩の撃退法」が受賞したりもしてますな。
ここまで説明しといてナンですが、ワタクシ、御大の小説は(すべてを読んだわけではないが)、ちょっと苦手で、あのケレン味がどうも肌に合わない。いっぽうエッセイについては手放しで「好き・好き・大好き!」と騒ぎ立てたい大ファンであります。エッセイが、私のツボにはまる故人TOP3は吉村昭さん、内田百閒さん、そして山田風太郎御大なのであります、はいっ。
で、今回いっきい読破したエッセイ集「人間万事 嘘ばっかり」のハナシ。
御大が、トイレで大〇を出したあと、拭いた紙ではなく、メガネを便器に放り込んだ失敗談は、ボケ味といい悲哀感といい格別でした。たいへんにヨロシイですなあ。
いっぽう、「私の発想法」というエッセイでは人気小説「忍法帖」シリーズに登場する奇抜なアイディアが、どこから生まれたのかを語っておられます。いわく「発想の最大原動力は原稿の締め切りである」。うはあ、なんという潔いお言葉だ。「約束した以上は書かなければならない。その切迫感だけで、ほかにはなんのたねもしかけもなく、アイディアがころがり出してくるのである。」・・・うーーん、たしかに人間つうのは外部からの圧力や強制があってこそ、創造力がフル稼働するものかもしれませんな。自発的、などとカッコをつけてちゃいかん。あ、来週金曜が締め切りの投稿論文の件を思い出してしまった。いやだなあ。。。
ちなみに村上春樹さんの昔のエッセイ(30年以上前?)に「締め切りのある人生は速く流れる」というアメリカのどなたかのコトバが引用されていて、ふーん、なるほど、と思ったな。って、なんのこっちゃ。
さて、今回読んだ山田御大のエッセイのなかから、一番ツボにはまった文章を抜粋して今日は終わります。御大同様、ワタクシも、「死」に対して結構な関心があり、この歳(57歳)になると、それは他人の死ではなく、自分自身の死を意味するわけで、御大の死生観にひじょうなシンパシーを覚えるのですね(それがツボにはまる理由かな)。
==以下、エッセイ「新年の大決心」(1972年)より抜粋==
栄養をとれという。(その一方で)美食はいかんという。
日光浴をしろという。(その一方で)日光は皮膚を老化させるという。
規則正しい生活をしろという。(その一方で)自由自在こそ長生きの秘訣だという。
(中略)何を信じて食い、何を信じて動いていいのか見当がつかん。
そこで考える。----
何も信じちゃいかん。ただじぶんを信じろ。じぶんの好きなように、欲するままに、何でもやれ。
食いたいものを食いたいときに食い、やりたいことをやりたいだけやって---死ね。それが人生の達人というものだ。
(中略)そうだれもかれもが人迷惑をかまわず、やりたいことをやったら世の中はメチャクチャになるといわれそうだが、なに、大丈夫だ。そう思うだけで、何もやれない人間がこの世の99%だからである。
げんにこんなことを言っている僕自身がその一人なのだから。---が、これではいかん。
やった奴が勝ちだ。やりたいことをやれ。
====抜粋終わり====
よおし、こうなったら、やりたいことやるぞお~~!・・・って、いったいオレ、何をやりたいのかな。ま、いいか。とりあえず明日は、焼鳥を食べながら酒でも呑もう。わははは。
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