飼い猫そら(4歳半)の家庭内ストーカーっぷりが加速しているハナシ。 [家の猫]

2023年12月26日。

2023年は残すところ、あと5日となりました。人類終末時計がカチカチと着実に時を刻んで・・・って、無理やり深刻なほうに話に持っていくなよ!

とまあ、人類のコトは置いといて、ワタクシ個人の件。昨年還暦を迎えたので、今年は61歳となり、来年は62歳となるのであります(当たり前ですね)。で、この歳になると、♪ もういくつ寝ると~お正月~ ♪ つう浮かれた気分は皆無であって、現時点で、強いて頭に浮かぶのはこの句でしょう。

「門松は冥土(めいど)の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」(一休宗純)

う~ん、あとは死ぬだけかあ、トホホホ・・・。さて無職プータローのワタクシ、今年1年の生活を振り返ると、技術コンサルタントのバイトをしながら、基本、暇を満喫してました(日本語が変?)。散歩して、猫を撫でて、映画館で映画を観て、酒を呑んで、銭湯にいって、たまに旅行して、夜9時に寝る。あまりにも生産性のない日々、良いのかそんなことで?という問いには、良いんです!と、川平慈英さんの体で即答しましょう。

16世紀フランスの哲学者、モンテーニュさんは名著「エセー」のなかでこう申しております。

「われわれは大変な愚か者である。なぜなら『彼は人生を無為に過ごした』とか『今日は何もしなかった』などと言うではないか。馬鹿げた言いぐさだ。あなたは生きてきたではないか。それこそが、あなたの仕事の基本であり、さらにいえば、もっとも輝かしい仕事なのだから。」

う~ん、エライ方のお言葉で、自分を正当化したワタクシ、意を強くし、来年(2024年)もこの調子でユルユルと生きていくぞ!と気合が入りました(←言葉のアヤで、とくに気合は入れてません)。ちなみに、エセーのなかには、こんな文章もあります。こっちのほうが私のツボにはまりますな。

「わたしの人生における主たる関心は、みごとな最期をとげること、である。すなわち、静かにひっそりとこの世を去ることである」

というわけで、以上が前置きです・・・って、前置き長っ!

4歳半の飼い猫そら(女の子)であります。1カ月ほど前に、私と家の者が、2泊3日の九州旅行に出かけていた間、そらは家で留守番をしていました。そのときのひとりぽっちが、あまりに寂しかったようで、以来、そらのストーカー的「つきまとい行為」が加速しているのです。とにかく、ず~っと、くっついてくるのでした。

お前からは片時も目を離さない!とばかりに、朝は私の布団のうえで、じ~っと私を見つめる。

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PC作業をしようと私が椅子に座れば、すかさず膝にのってくる。

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PC作業を始めると机のうえの、キーボードと私の間に無理やり入り込んでくる。

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私が居間に移動すれば、ついてきてソファの上でクネクネ・・・。

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24時間、そらから逃れるすべ無し!う~ん、来年もこんな調子で、飼い猫との共存が続くのであろうか・・・。恐るべし!本日は以上です、にゃおおお~~。

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ねこ好きのS

今年もあとわずか。一年が早いですね。
膝の上に載ってくる猫の心境は何なのですかね?
暖かいからなのか、自分の居場所の確認なのか、はたまたその場所を独占したいからなのか?そらちゃんに聞いてみたいです。
それにしても膝に乗る猫は絵になりますよね~。トラブスさん羨ましいです。

by ねこ好きのS (2023-12-27 16:28) 

nimke

「私と家の者が、2泊3日の九州旅行に出かけていた間、そらは家で留守番をしていました。そのときのひとりぽっちが、あまりに寂しかった」

「そら」そうなんなんなんでしょうね。
実は、先般のブログ記事「私と家の者」さまの旅行記を読みつつ、
ワテは、「ネコが一人になってるんだな」と、その点ばかり気になっていたのでありました。
まあ正確には、「ネコが一人」ってことはありえへんさかいに、「ネコが家族から放置されて、寂しい思いに耐えられなくなったはるんやな」ってことなんだすけど・・・・・
その結末が、今回、明らかに描写されましたんで、ワテとしましては、納得シゴクであります。
良かった、良かった、って、ワテの納得の状況を表明する意味なんだす。
ことほど左様に、このネコちゃんは、あらゆる意味で、特異な人間性がきわめて濃厚な、稀有な性癖に恵まれた、家族なんだすさかいに、今後は「家のもの」さまとの二人とも不在、は劇避けですな。
っちゅうか、ネコ同伴での車旅行にするとか・・・。
ちなみに、今回お題に上げられてます、「人生いかに生きるべきか」にかんして、ひとこと申し述べるとすれば、最近ワテが発見したことですが、「人生、ひまつぶし論」。
つまり、ヒトは日頃、セッセと働いているのは、「ひたすら「ヒマ」を生み出すため」であるにもかかわらず、いったん「ヒマ」がもたらされたその瞬間に、「ヒマ」をもて余し、ひたすら何とかその「ヒマ」をツブそう、と苦心する。
こういった悪しき習性のかたまりなんであります。
ところが、「ネコ」ちゃんを観察すれば、たちどころに明らかとなる真理は、腹がくちくなったネコは、ヒマを持て余すことも無しに、ひたすら寝ているのであり、ここがヒトとの大きな差異なんです。
さて、ここで「そら」という特異なネコに注目すれば、上記のネコにかんする一般的な定義が当て嵌まらず、腹が満たされた後、生み出されたヒマを消費するために、ヒトとの多彩なコミュニケーションを強く要求するのであります。
なんでこないなけったいなネコになってしまっているのか、その答えは、飼い主が、一般的な「ヒマを持て余すヒト」では無しに、「ヒマを有効活用する手法を多彩に開発、保持・日々実践している」が故に、自然のうちに飼い主の作法を身に付けてしまった、ということなんでしょう。
「ニャン生、いかに生きるべきか、それは、飼い主が日頃、実に面白おかしく多彩に楽しんでいるその作法を、ニャンとしても共有しないではおかぬ・・・・」ってことなんでしょうね。
by nimke (2023-12-27 17:42) 

門前トラビス

To nimke様、詳細な分析、ありがとうございます。
まあ、そらの飼い主(ワタクシ&家の者)が考えるに、そらが子供のころ、ちょいと甘やかしすぎて、結果、甘えん坊になっちゃった、ということかな、と単純に考えているところです。
人間でいうところの「スポイル」といううやつでしょうか。
ヒトに甘えれば可愛がってくれる、という刷り込みが、そらの頭のなかに出来ているので、ぐんぐんからんでくるようです。
猫にしては、物覚えがよく機転が利くので、nimke様の言うように、飼い主を観察し、生き方へ応用している可能性もありますね。にゃんとも不思議なそらであります。
by 門前トラビス (2023-12-29 07:22) 

門前トラビス

To ねこ好きのS様、コメントありがとうございます。
そらは私の膝にのると、私の顔をじ~っとみて、納得→安心→そのままウトウト、というパターンが多いです。「くっついていれば安心じゃ」という感じですね。
体のどこを触られようと平気な猫なので、全身をぐにゅぐにゅマッサージしてやると、ますます喜びます。とにかく、なつこいですわ~。
by 門前トラビス (2023-12-29 07:27) 

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