私が大嫌いな表現は「自分へのご褒美」「自分を褒めたい」。聞くたびに、幽体離脱かよ!とツッコミ気分が湧くハナシ。 [雑感]

2023年6月。

札幌、小倉(福岡県)、天童(山形県)と旅が続いた5月が終わり、ほっと一息、来週の定期健康診断へむけ体調を整えておるワタクシであります。

さて、今日は、私が大嫌いな日本語の言い回しについて、であります。誤解なきようあらかじめ申しますが、どんな言葉を使おうと、どんな話し方をしようと、人それぞれの勝手ですので、言ってる方を非難・批判するものではありません。私はそれが嫌いなので使わんぞ、つうだけのハナシです。

その言葉とは、常套句になった感すらある「自分へのご褒美」「自分を褒めたい」であります。見るたび聞くたび、なんじゃあ、そりゃ?と思う。

自分って自分ですよね(うひゃ、なんという当たり前のテーゼ)。自分で自分にご褒美って、違和感ありませんか。そりゃ、私だってアホじゃないので言わんとすることは分かりますよ。ある目標に向かって賢明に努力し、それが報われた、実を結んだ、ああ、我ながら頑張ったなあ、そんな自分を褒めたい、そうだ今日は、自分へのご褒美にいっちょ奮発して高級ステーキでも食うか!・・・てなわけで、自分を褒めて、ふだんと違う何かを与えることで、明日も頑張るぞオ~と気力も湧く、ってね。

う~~ん、でも分からんのです、私には。

頑張った(過去の)自分と、いまの自分は決して「別人ではなく」、時間軸上で連続した「ひとりの私」ですよね。このプロジェクトでオレは活躍したぜ~、とか、商談がまとまって良かったあ~等等、主体的・一人称的に感慨を持つのは分かるけど、自分を客体化し、別人に対するがごとく、褒めるとか、ご褒美を与える、てえ心理がサッパリ分からない。

女子マラソンのオリンピック・メダリスト、有森裕子さんほどのスゴイ方が「自分で自分を褒める」のは分かるとしても、一般人が日常生活でそうそう自分を褒めるもんかね?(つうか、そんな必要あるのか?)

言語思考なんてしょせん他人からの借り物なので「流行りのタームで言っとるだけじゃん、目くじら立てなさんな」と言われればそれまでだけど、実に妙だ、と思うわけですよ。

あるいは、昨今多いらしい自己肯定感の低いヒト(←ネット情報です)に向かって、自分を褒めてご褒美を与えることで喜びと充実感をもちなさい、というアドバイスかもしらんけど、それじゃあ、まるでペット相手と同じじゃん、と思っちゃう。チャオチュールでニャンコは大喜び!ってかあ。

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自分が情けない、自分を叱咤する、つう言い方があるから、自分を褒める、自分へご褒美もアリやろ、つう発想かもね。でも違うんだなあ。自分を客観視することと、自分を客体化して行為対象にすることは話が全然違うのよね、と私は申し上げたい。

そもそもね、「自分(A)が自分(B)に褒美を与える」なんて、幽体離脱かよ!ドッペルゲンガーかよ!とツッコんでしまいますな。

ポーの小説「ウィリアム・ウィルソン」は、自分に対しもう一人の自分がご褒美ならぬ制裁を加えるし、映画「ファイト・クラブ」のエドワード・ノートン、映画「アイデンティティ」のジョン・キューザック、各人各様にご自分には手を焼いておるわけです。

流行りコトバに乗っかって、自分を客体化する思考グセをつけると、そのうちに制御できない自分が登場しちゃいまっせ、ホントですぜ、と大きなお世話的に申し上げたいです。そう、映画「エンゼル・ハート」のミッキー・ロークみたいにね・・・おお、怖い怖い。

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さて、ボロカスに書いておいてナンですが、実はワタクシにも極少ながら「自分を褒めたい」と強く思った経験がありました。あれは、1996年のアトランタ五輪、女子マラソンの・・・って、有森裕子さんのハナシじゃねえよ!

おっと失礼、余計なボケでした。

10年ほど前、東北出張でのこと。8月の猛暑日でメンバーは5人でした。仙台の食堂で昼飯を食べたんだけど、私を除く4人が、同じ定食をオーダー、つまり私だけが別料理を選んだわけです。

同日午後3時、私以外の4名が会議中、なんと食中毒を発症。地獄の苦しみの果てに、病院送りになってしまいました。私だけセーフ!どうすか、このシチュエーション。「別メニューをチョイスした自分を褒めたいと本気で思いましたなあ。

おや、なかなかいいじゃん「自分を褒める」って言い回し。意外にも、書いててしっくりきましたね。で、自分へのご褒美のほうは、念のための胃腸薬ですかね。そんなもんで食中毒、どうにもできんとは思うけど・・・。本日は以上!

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nimke

「自分を褒めたい、そうだ今日は、自分へのご褒美にいっちょ奮発」
とても共感のテーマです。
「自分へのご褒美」って、何かとてもヘンてこな違和感を感じてきました。世間ではしばしば多用されてますね。頑張った自分へ、だれもほめてくれないから、自分自身で褒める、ってことですかね。
ある課題を持って、努力して、それなりの成果があったと感じたとき、酒好きなら、一杯盃をぐぐっとあおり、満足感を満たす、ってことは日常茶飯事です。ただ、その行為を「自分へのご褒美」って捕らえ方は無いです。
というのは「ご褒美」とは、保護者やその他自身の上から監督している立場からもたらされる、って意味合いが含まれているように感じます。
それに対し、盃を傾けて、潤いを満たす行為は、他者が入り込んでは来ない。「自足」の行為であります。他者は関係無しに自分自身が満足できる、というポイント。ここに違いがあるのかなと・・・


by nimke (2023-06-02 17:56) 

門前トラビス

To nimke様、コメントありがとうございます。
「自分を褒める」「自分へのご褒美」のみならず、ヘンテコ言い回しは列挙にいとまがないですなあ。ジジイのワタクシ、地上波のTV番組など観てると言葉尻が気になって、内容がアタマにはいってこないくらいです。
「琴線にふれる」という美しい表現は、昨今「ささる」なんて下品な物言いになりました。
挙句のはて、「記憶に残す、成果を残す」=ポジティヴなニュアンスを、「爪痕を残す」と言うに至っては、災害でもあるまいし・・・と呆れてしまいます。
まあ、刺激的タームに食いつくワカモノの気持ちも分からんではないが、迎合もほどほどにね、と冷ややかにみるヘンクツなワタクシでした。
by 門前トラビス (2023-06-21 09:52) 

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