美しいヴィジュアルにほれぼれする、猛毒きのこ、ドクツルタケが今年も登場。 [きのこ]

2020年7月。

先週の記事で、本年の「きのこウオッチ本格化」を高らかに宣言したワタクシ(記事は→ここクリック)、その後も、出張の合間を縫って、きのこを求めて探索継続中です。

そして遭遇したのであります。ワタクシが愛する美しいきのこに。欧米で「破壊の天使(デストロイ・エンジェル)」の異名をもつ猛毒菌、ドクツルタケであります。ドーン!

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ワタクシは、毒性にはさほど興味はないのです。見た目の美しさにココロ惹かれるのですね。

湿った土中から生まれたと思えぬ純白の輝き。すうっと伸びた柄の表面のササクレがアクセントとなっています。そして、注目は、なんといってもカサ直下にある大きなスカート(つば)です。他のきのこの「とってつけたようなつば」ではなく、がっしりと肉厚。その重厚な存在感を見よ!

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蚊に刺され全身が痒くなろうと、ワタクシはドクツルタケの撮影を愚直に続けるのでありました。

おっと、対象物のサイズが分かるよう手を横に並べて1枚は撮っておかねばなりません。「観る(撮る)だけで、採取はしない主義」のワタクシには、画像記録が大切なんであります。

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嗚呼、わしゃあ幸せ者です。人生、最高だ、と踊りたくなる浮かれ気分。毒きのこでそこまで言うか、大仰なバカ者がっ、と叱責されそうですが、アナタ、これだけ良い形状、良い状態のドクツルタケに遭遇できたマイ・ハピネスを、いったい誰が分かるでしょうか。

ちょっと話は脱線します。きのこウオッチングの楽しみであり、悲しみでもあるポイントは「時宜を得ているか否か」なのです。タイミングが大切、ってこと。どんなに美しいきのこであろうと、美しさを維持できるのは短期間であり、その期間内に発見できるかどうかが重要なのです。

われわれウオッチャーは、サイズは立派だけど、朽ちかけ溶けかけヴィジュアルがピークを過ぎたブツに、よく出会うわけです。2日前、モノによっては(たとえばヒトヨタケ)1日前に出会えていれば・・・と、ほぞを嚙む思ひ、をすること多々なわけです。

それならば、毎日かかさず山野を歩き回れ!つう、革命家的暴論に走りそうになるが、わしも食うためには銭が無くてはならん、銭を得るにはシゴトに行かねばならん、とつう制約条件内に生きる小市民なのであって、毎日きのこウオッチング満喫は現実的ではございません、失敬、つう結論になるわけです。

ハナシをまとめると、きのこにとって時間は有限。ウオッチャーも時間は有限。その対立概念をいかにアウフ・ヘーベンし、両者ハッピーとなれるか、これすなわち、どう「時宜を得る」かでしてな・・・本テーマについては次回の考察としましょう。

ところでさあ、時宜を得る、なんて小難しいいい方せず、タイミングを見つける、って簡単に書きゃいいだろよ、バーカ。と一部の方は批判的むかつき気分かもしれんが、ほらさ、今の世の中なにごとも表現。「ふざけんな」つうと角が立つけど、「いかがなものか」つうと柔らかい。「抱きついた」らセクハラだけど「ハグ」は挨拶。タイミング、なんて軽く聞こえるじゃん。時宜(じぎ)つうと重々しいでしょう、令和に対する平成。平成に対する昭和。昭和に対する鎌倉時代。

「じぎ」という響きが、即座に「ジギー・スターダスト」を連想させるメリットも見過ごせません。デヴィッド・ボウイが1972年に発表した名作。ライズ・アンド・フォール・オブ・ジギー・スターダスト、アンド、スパイダース・フロム・ザ・マーズ・・・正式名称、長いなー。で、連想の玉突きでナンですが、ジギー・スターダストの歌詞に「日本の猫のように、顔をぺろぺろ舐める」という一節があります。我が家の飼い猫そらも、私が顔を近づけると鼻先をぺろりぺろりと舐めてくれます、嗚呼、日本の猫はいいなあ・・・って、今日は何の話だっけ?

ここまで読んだ奇特な方のココロには怒りしか残らないでしょうけど、書いた本人(私)は満足の体で、今日はお終いです。では、ご安全に!

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