「昔はよかった」のオヤヂの言いぐさが、クラシック音楽にいまだにはびこるのはなぜだ。 [クラシック音楽]

2018年8月。ニンゲン、歳をとると、現実逃避パターンとして、過去を過剰に理想化し、やたら「昔は」「昔は」を連発、思い出に逃げ込むオヤヂが多くなりますな。ずばりのこんなタイトルの本も出ているくらいです。

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本の帯のセリフが的を射てます。昔は「安全だった」「絆と人情があった」「みな礼儀正しかった」・・・でもさあ、昔だって、強盗や殺人事件はあったし、薄情なヤツはいたし、無礼なヤツはいたわけです。そもそも「昔」の良し悪しを一般論でくくること自体に無理があるわけです。当たり前だけど。

さて、チョット話は違うんですが、先般こんな場面に遭遇しました。某オヤヂ(といっても私より若い)が、20代の若者たちに昔(30年前)自慢をはじめ、当時の武勇伝(?)を得々と語るわけです。そこまでは良いとして、このオヤヂ、当時が良い時代だった証拠として、こんなネタを持ち出したのです。

いわく、30年前はインターネットなどなかった。調べものは本屋で関連本を探したり、図書館に行ったり、知見のある人に聞いてまわったり大変だった。で、オヤヂの言い分は「苦労して調べるほど、調べたことがしっかり身につく」というのである。PCやスマホでチャチャッと検索し、苦もなく「答え」を見つけてちゃあイカン!と、まあ、要するに「今どきの若者は楽をし過ぎてダメになる」つう、そうゆう論旨であります。

まったくもう・・・と、拳が固くなります。「マッチを使うと、石と木で火を起こせなくなる」と同じ暴論じゃないか。不便信奉=「不便をありがたがる」メンタリティに過ぎず、「不便には、なにか良い教育効果がある」というバカげた思い込みですわね。

こうしたアナクロ・オヤヂは、新しく登場する便利ガジェットを否定し憎むだけなんですね。自分が上手く使いこなせないゆえの嫉妬もあるのでしょう。昔、自分が苦労したことをあっという間に解決しちゃう、そんな道具が、まるで自分を否定するようで腹立たしく不愉快なだけ。じゃあ、お前はコピー機やプリンターを使わずに、ガリ版や青焼き(死語ですな)を使い続けろよと言いたいですね。

こうゆうしょーーもないオヤヂたちが、いまだにはびこる日本。お客が「見積書をメールで送ってよ」といくら言っても、「見積書は、相手のお手元に『持参』するものだ!」と厚紙カバー付きの紙(見積書)をハンドキャリーする。本人は礼儀を通したつもりで悦に入ってるが、単なる時間の無駄。なんとかしてよ、と言いたいす。

あれ?ワタクシは今日、こんな話を長々と書くつもりはなかったのでした。

唐突ですが、クラシック音楽のハナシなのです。

クラシック音楽雑誌で過去のベスト演奏(録音)ランキング企画があると、1940年代や1950年代のレコードに一定の高評価を与える批評家(?)がけっこういる、というハナシ。

たとえば、フルトヴェングラーが指揮するベートーヴェンの交響曲。ブルーノ・ワルターの指揮するマーラーの交響曲。パブロ・カザルスの弾くバッハの無伴奏チェロ組曲。コルトーの弾くショパンのピアノ曲・・・。いや、良いんですよ、聴き手が「良い」と感じ、その演奏に感動しているのでしょうから、他人様の好みにケチをつけるつもりはございません。

しかし、です。

そうした古い演奏は、いかにリマスター技術が向上しているとはいえ、音質の悪さ(酷さ)は否定できず、昨今の録音音質に慣れたわれわれの耳で、良さを感じるのは難しいと言わざるをえません。こうした「名録音」に歴史的存在意義を認めるのはやぶさかではありませんが、その後、50年以上も経過するのに、当時を超える演奏が本当に出ていないのだろうか?といぶかしく思います。

批評家(たぶん老人)の意識のどこかに「昔は良かった」という例の過去信奉があるのでは?と思うんです。いにしえの個人的感動を、その演奏(録音)に重ね合わせて美化し、新しい演奏を拒絶し否定する・・・そんな気がするのです。

と批判的に書いたものの、ワタクシがクラシック音楽を聴いて泣いた初めての体験は、コンサートではなく、レコードで、それはフルトヴェングラーが1945年にウィーンフィルを指揮したブラームスの交響曲2番(ライブ録音)でした。

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音質は劣悪で、オーケストラの音は団子のように固まっており良いも悪いもあったもんじゃない、のですが、恐ろしいことに演奏から吹き出す鬼気というか、暴走というか、とくに最終楽章のぶっ壊れぶりがめちゃ感動的なんですね。涙ボーボーものなんですね。私がこのレコード(CDではない)を聴いたのは37年前ですが、しかし、それ以来、一度もこの演奏を聴いてないし聴こうとも思わないです。ああゆう感動体験は一度で良いのであって、同じ対象をなぞるものではない、と思うから。

ブラームスの交響曲2番をオーディオで聴くなら、音質の良いジュリーニ指揮ウィーンフィル、カラヤン指揮ウィーンフィル、小澤征爾さん指揮サイトウキネン管、ヤンソンス指揮ロイヤルコンセルトヘボウ管・・・あたりですね。

古い演奏(録音)でもムラヴィンスキー指揮のチャイコフスキーや、ヨッフム指揮のブルックナーなど大好き。音質がそれなりに良いですからね。。。

その点で、ブラームスのピアノ協奏曲2番。ワタクシ、頑固にこれが一番良いと思っております。ウィルヘルム・バックハウスさんがソリストで、ベーム指揮ウィーンフィルの1967年録音。驚くほど音質が良いのです。さすがはDECCAのエンジニアだ!

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あとはハンス・クナ―パーツブッシュさんが、ミュンヘンフィルを指揮したワグナーのオペラ序曲集(1962年録音、2枚組)です。いわゆるウエストミンスター盤です。疑似ステレオ(?)と思いますが、音質はけっこう良くて、1940年代、1950年代のクナさんの録音をありがたがるより、私は絶対こっちだろ!と思う。

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拍をしっかり確かめるように打つので粛々と進むかと思いきや、ここぞというポイントで思いっきりリタルダンド(減速)してからドーンと全奏する古色蒼然スタイル。いやあ、心底、痺れるわ。昨今の演奏に比べると、淡泊で、劇的にあおり過ぎないノーブルな味わいがたまりません。マイスタージンガーにしても、タンホイザーにしても、聴くほど夢見心地になって、クラ~ッとしちゃうのであります。

こーゆー演奏を聴くと、昔は良かった!と言いたくなるのも無理ないか。

・・・って、主張がめちゃくちゃになったところで今日はお終い。酒を呑みながら文章を書くと、こうゆう惨状に陥るという悪例でした。ちゃんちゃん。

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