内田百閒さんの短編小説「サラサーテの盤」を読んで、ゾーーッとした日。 [本]

2018年3月。

前回記事で内田百閒(うちだひゃっけん、1889年~1971年)のエッセイ集「うつつにぞ見る」について書きました。やがて映画「ツィゴイネルワイゼン」(1980年、鈴木清順監督)へと連想が飛び、そういえば、と、映画の原作(のひとつ)と目されている内田百閒さんの小説「サラサーテの盤」を読みたい、と書いたわけです。その翌日のこと。自宅近くの図書館に、借りた本を返しにいったさい、ふと小説コーナーの棚を眺め、この本を発見したんですなあ。

百閒さんの短編を集めた岩波文庫「東京日記 他6篇」であります。

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もしや、と思い、頁を繰ると、まさしくワタクシが読みたかった「サラサーテの盤」が収録されているではないか。やったぜえ!

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ある小説を読みたい、と思った矢先に、それに遭遇すると、大げさですけど運命的なものを感じますなあ。東野圭吾さんや浅田次郎さん、村上春樹さんのような現役の売れっ子作家や、夏目漱石さん級の大御所なら、どんな作品も比較的簡単に読めるでしょうけど、今回のターゲットは、内田百閒さん、ですぜ。こんなにうまくは遭遇できますまい。

などという前段のハナシはどうでも良いのであります。

ワタクシ、図書館から自宅に帰ると、さっそく小説「サラサーテの盤」を読みました。

映画「ツィゴイネルワイゼン」との共通点といっても、映画を観たのが36年前なのでイマイチ、ピンときませんでした。ただ作曲者サラサーテ本人が弾く、ヴァイオリンの名曲「ツィゴイネルワイゼン」のレコードに、なんらかの手違いで、サラサーテの肉声が混じっている、という会話は、たしかに映画の冒頭にありましたっけ。

小説「サラサーテの盤」は、そのエピソードをからめつつ、日常のなかの、非日常、といった薄気味悪さがたまらないのでした。死んだ友人の未亡人が、夜、唐突に家にやってきては、「主人があなたに貸した物を返してくれ」と無表情に要求する、その、どうってことのないようでいて、なんだか気色が悪くって、気持ちがザワザワ落ち着かず、しまいに悪寒が走るような感じ・・・が、もう何とも言えないのでした。

ああ、内田百閒さん。

エッセイでは日々の出来事をユーモラスかつ自虐的に語り、読み手をニンマリさせておきながら、小説では読み手をいやな気持にさせたり、ゾッとさせたり、こりゃあ、どうしたわけですか。

あなたのご面相、だてじゃないってことですか・・・とプチ文句を書きつつ、むしろ、内田百閒さんワールドにはまってしまいそうなワタクシです。

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こうなったら、ちくま文庫の「内田百閒集成、全24巻」を、どーーーんと、まとめ買いするしかないかあ、とまで思いつめるのであります。

全24冊を購入したら、それを抱え、百閒さんの「阿房列車」に倣い、山形県あたりへ無目的の列車旅に出ようか・・・うわあ、完全にオレ、「百閒毒」に侵されてるわ。いかん、いかん、と覚醒したところで今日はお終いっ。ぞぞーっ。

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