ジョイス・マンスールの詩を読んでしまう気分。 [本]
2009年7月。
ジャック・プレヴェールの詩「朝の食事」を先般ブログで取りあげ、プレヴェール・ファンが世の中にチョットだけ増えた様子。良いことした~と自惚れているワタクシであります。本日も、調子にのってまた「詩」を取り上げます。
そうなんです!(と急に熱くなる私)。現代の日本で「詩」ほど存在意義を失った芸術はない、と思うのであります。皆さんも、ふだん小説は読むでしょうけど、詩なんて読みますか?
詩が敬遠される理由、それは日本における国語教育だと思います。学校の国語の授業ときたら、毒にも薬にもならない有名(と世間で言われている)詩を、絶対的な基準として刷り込むわけです。宮沢賢治や中原中也がどんなに素晴らしいかを押し付けて、異を唱えた輩には、お前には詩を読む資格などない!くらいの勢いで、個人の自由な感性を否定し、一方向に誘導するのです。
教育の発想が、決定的におかしいんですよ。
詩とは散文以上に、自由な文学形態であって、それを受け取るには読み手の多様な感性こそが必要なのです。学校教育が詩に対して担う役割があるとすれば、独善的で陳腐な解釈を一義的に押し付けるのではなく、若者に多くの詩(選択肢)を読むチャンスを与え、共感力や感性をはぐくむべきなのですよ。
・・・と押し付けがましく始まりましたが、大上段に構えるのはやめて、ここで私が偏愛するジョイス・マンスールの詩を転記させていただきます。
私がマンスールさんの詩を知ったのは、25年ほど前のこと。学校の教科書に載ってる「文部省お墨付き作品」とは、明らかに異質の世界に、ぎょっと驚いたものです。独特な暗さ、死の空気に、ぞくりとし、感動しましたね。
アタマで普通に理解できなくても、生理的に感応できるといいましょうか。とにかく心にひっかかったのです。こうゆう理屈ではなく肌で感じる読み方も、詩へのアプローチとしてアリと思うんですが、そんなんは学校で決して教えてくれませんね。
ジョイス・マンスールさんはイギリス生まれの作家で詩人。写真を拝見するに知的な美人(お若い時でしょうが)でして、個人的にポイント高いっす。写真のセピア色が古風な雰囲気を醸して良ろしいですね。
さて、彼女の作品をふたつご紹介。どうです、ゾクッときませんか?
あたしは一つの手を植えました・・・・・・
ジョイス・マンスール/飯島耕一訳
あたしは子供の手をひとつ植えました
虱(しらみ)のうようよした病気の蒼白い手を
木々に花咲いたあたしの庭に
あたしはくさいにおいの土の中にそれを埋めてやりました
水をまき 熊手でならし 名前をつけた
あたしは知った 一人の処女(おとめ)がそこから芽生えてくるだろうと
生命と光にかがやく処女(おとめ)
古い土地のなかからもう一度
食べてはいけない・・・・・・
ジョイス・マンスール/飯島耕一訳
他人の子供たちを食べてはいけない
なぜって彼らの肉はあなた方のとても美しい歯もつ口の中で腐るだろうから
夏の赤い花々を食べてはいけない
なぜって花の汁ははりつけにされた子供たちの血なのだから
貧しい人々の黒パンを食べてはいけない
なぜってそのパンは彼らの酸の涙で肥やされているのだから
あなた方の長い長い肉体のなかに根をもっているはずだから
食べてはいけない あなた方の肉体は喪の大地の上に
秋をつくって
自らはしぼみ死ぬのだから
ぎゃお~、ぞぞっときました。
夏にふさわしいオカルトチックな詩ですね。
でもなんだかすごい迫力です。
知らない詩の芸術の世界を垣間見させていただきました。
by ピアノフォルテ (2009-07-10 11:32)
To ピアノフォルテ様、コメントどうもありがとうございます!
マンスール女史の、オカルトチックともいえる、この芸風、なかなかツボにはまりますよね。抽象的なイメージなのに、なにか、色彩的、絵画的。
訳者の飯島耕一さんは、マンスールの詩を「暗いエロチスム、狂気、ユーモアに彩られている」と表現されていますが、然り!ですね。
ちょっと文学知ったかぶりみたいで、いやらしいのですが、私は、ジョルジュ・バタイユの哲学思想に通底するものを感じます。
「正」と「負」、「陽」と「陰」、これを公平にとらえる感性というのでしょうか。
腐った土(負)にまいた、病気の手(負)から、生命と光(正)の処女が生まれてくる・・・・だが、負と正にあるのは優劣ではなく「向き」である、と。
バタイユは、シュルレアリズムに全面賛同していなかった、らしいですが、マンスールはまさに、バタイユ思想の昇華を体現した詩人だと思えます。
このテーマ、おいおい記事のほうで・・・・
うーーーん、だんだん、このブログもマニアックになってきたなあ。いかんいかん。。。。
by 門前トラビス (2009-07-11 11:58)
門前様、こんにちは!
出ましたね、門前様が、ノウイング的に「予言」していた記事が。
ジョイス・マンスールの詩は良いですね。頭よりも、肌で理解、とおっしゃる意味も分かります。
日本語訳にも、絶妙のリズムがあって、詩の良さを引き立てているように思います。
さきほど、ネットで検索したのですが、ジョイス・マンスールの生い立ちや、本はあるのですが、詩にヒットしません。プレヴェールのときも伺ってしまいましたが、門前様は、いったい、どこから、この詩を転記されたのでしょうか?詩集を持っておられるのでしょうか?
教えていただけますか?
日本の国語教育ですが、おっしゃるとおりで問題は多いと思います。
ただし詩に関して言えば、授業で取り上げる都合、①分かりやすいこと(複数の解釈が成立しないこと)、②教師が説明できること、が必要なので、ラジカルな作品は出しづらいのだと思います。
結局は、「詩を愛する」人間ではなく、「受験で点数を取れる」人間を育てるのが学校の教育という限界でしょうか。
by 博多ちわわ (2009-07-11 13:07)
博多ちわわ様、コメントありがとうございます。
九州は、今年は雨が多くて大変ではないですか?再来週は、福岡経由で五島列島に出張です。出張に「レンタルサイクル」ははじめてです。
さて、ジョイス・マンスールの詩へのコメントいただきましたが、私が抜粋したのは(実はプレヴェールの詩も元ネタ本は同じです)、思潮社の「シュルレアリスムの詩」です。
次に、マンスールの詩集ですが、国内で入手できる本は、現在売っているものはなく、古書で入手するしかありません。
あとは、アンソロジーの形で、生田さんや飯島さんの本に載っているかもしれません(未読)。
散文であれば、80年代に出版された「充ち足りた死者たち」が容易に手に入ります。ただし、この作品は、シュルレアリスムの自動筆記にもにた、イメージの羅列であり、小説のように普通には読めません。
アンドレ・ブルトンの「ナジャ」のほうが、まだ小説の体をなしている、という感じです。したがって、ジョイス・マンスールの詩から得られる印象とは、全く違っています。
次に、平成になってから変則サイズで出版された、銅版画入りの重厚装丁の限定本、詩集「女十態」があります。
これも絶版で、古本サイトで入手するしかないのですが、恐ろしいことに、稀少本でさえ軒並み売れないご時世にあって、この本は、どんどん値がつりあがり、現在入手しようとすると、「10万円」もするのです。
これは個人的に非常に、重大な問題であり、詩集1冊に、10万円を払うかどうか、という葛藤と、ただいま闘っているところです。
最近、8万円という値もありましたが、たいした差でもないかな、と。
まあ、本は、投機の対象ではなく、読む側がそれだけの価値を認めれば、100万円だってアリなので、ここで試されているのは、私のジョイス・マンスールの詩に対する、愛情の深さ、であると。
さて、3日ほど考えて、どうするか決めることにします。
うーーーん、たぶん、私は買いますね。10万円ならば。
by 門前トラビス (2009-07-12 10:50)
ども。
さん、初めて知りました。いやぁ、シュールですねぇ。きっと理屈ではないんでしょう。思うがままの感性。
最初の手を植える詩を読んで(読み始めてすぐ)昔書いた絵が目の前に浮かびました。高校の時の美術の時間でした。教育実習で来ていた若い先生が自分の手をモチーフに絵をかけというお題を出したんですな。
私は、地面からにょきにょき手首から上がいろんな恰好でまさに生えている絵を描きました。我ながらちょっと気味の悪い、でも結構良くできた絵になった記憶があります。ブツとして手をしげしげと眺めるのはなかなか不思議な感覚です。
飯島耕一さんは有名な詩人ですね。中学の時通っていた塾で息子さんと友達になりました。今はどうしているかな。
by azm (2009-07-12 14:40)
ピアノフォルテさんのところから来ました
コメントが深い…僕は詩についてはほとんど知らないです
でも
>負と正にあるのは優劣ではなく「向き」
この表現は僕は気に入りました 好きです
僕は 音楽の業界の片隅にいる者ですが
断を下すような聴き手が増えてきて 悲しいのです
その聴き手たちは熱心ですし
ときに激烈なまでな聴き手であるのですが…
「正しい」「正しくない」
「上手」「下手」
といった巧拙の2言論的な聴き方が多くて
「向き」。僕には新しい表現です
by ヒデキヨ (2009-07-13 19:12)
門前さま
はじめまして。
マンスールってだれ? とおもって検索していたらこちらのブログが。素敵な詩ですね。すっかり魅了されてしまいました。
わたしもバタイユが好きなのですが、シュールレアリスムの作品はしっくりこなくて、どう違うのだろうと思っていました。そんな話題が出ていてちょっと嬉しかったです。
by ryu (2009-07-20 02:37)
To azm様、コメントバックがすっかり遅くなってしまいました~スイマセン。
おお、手頸(手首?)にょきょにょきょ・・・のイメージとはエキセントリックな発想力ですねえ~。すごいです。
よいしょ、と引っこ抜くと、ギャーーと叫んでしまう人間植物、「マンドラゴラ」を思い出してしまいました。ギャーーー。
飯島耕一さんの息子さんと中学でご一緒とは、奇遇な(という表現も妙ですね)。
飯島耕一さんご自身の「詩集」ですが、これもまた絶版・・・・丸の内の丸善本店に注文していたら、先日、店員さんからすまなさそうに「絶版で、かつ増刷予定なしです」と電話が。。。
ううむ、やはり詩は滅んでいくのでしょうか。いけませんないけませんな。
by 門前トラビス (2009-07-20 09:56)
To ヒデキヨ様、コメントありがとうございます~~。
まったくおっしゃるとおり。最近は(昔からかな?)、音楽でも映画でも、「好き/嫌い」と、「良い/悪い」の二元論が横行していて、なんというか、ワビサビ(?)というか味わいにかけますよねえ。
とくに、好き=良い、嫌い=悪いという、おまえの主観が絶対かよ?という評論が多くて困ったものです。
ですから映画の話などがなかなか続かない・・・・「○○の映画観た?」「あー、観たけど、あれ嫌い」・・・・以上、ってなもので。
しょうもないけど大好き!とか、めちゃいいんだけど嫌い!という「客観」と「主観」の区分けができると、もっと会話も楽しくなるのですが・・・。
あの、「ぐずぐずでしょうもないんだけどいとおしい」、とか、そこがモノの楽しいところですよね。
「向き」という表現は、自分でも好きですが・・・・スイマセン、すでに先人の発明でして、私は受け売りですいません。
発明したのはジョルジュ・バタイユ、ですね。
彼の有名なたわごとで「美しい花も、花びらを取ると、中央は醜悪な生殖器官が残る。美しい花弁も花なら、醜い生殖器官も花である」という。
また、彼氏、よほど植物ネタが好きなのか、「上に向かう美しい花の一方で、地下に向かう醜い根の存在がある」という言い方もしています。
これ、ヘーゲルが築いた「昇華」とは違った、「向き」(という表現ではありませんが)という概念を語っておられるようです。
うまく表現できませんが、理学的な「バランス」とは違った、形而学的な平衡というか・・・・どうもこの感覚は大好きです。
by 門前トラビス (2009-07-20 10:15)
To ryu様、コメントありがとうございます!
ジョイス・マンスールを検索されるとは、かなりコアなご趣味で・・・(私も人のことはいえませんが。。。)
彼女の邦訳本は、「充ち足りた死者たち」も「残酷な物語」も、ついに絶版となりました。とほほーーー。
いよいよ、10万円の古本「女十態」に出を出さねばならないのか・・・と厳しい状況であります。(とりあえず、神保町の古本屋をめぐってみますが)
彼女、フランス人、と紹介されていることが多いのですが、国籍はエジプトらしいです・・・イギリス生まれのフランス人で、エジプト国籍なのか?
うーーん、謎は深まりますねえ。
by 門前トラビス (2009-07-20 10:23)