高橋アキさんの弾く、シューベルト 後期3大ピアノソナタの素晴らしさについて。 [クラシック音楽]

4月4日のマーラー交響曲2番のコンサートから、1か月以上がたちました。私の中の「ライブを聴きたい虫」がウズウズしてきましたが、確定している次回のコンサートは5月下旬。ま、それまでは、CDを、iPodに取り込んで聴きまくることにしましょう。

さて、最近、ヘヴィーローテーションのCDはこれです。

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高橋アキさんの弾く、シューベルトのピアノソナタ

第1集(09年7月発売)には21番と13番が、第2集(09年12月発売)には19番と20番が収録されています。

高橋アキさんは、異色のピアニスト。武満徹、ジョン・ケージ、フェルドマン・・・といった、20世紀以降の「現代音楽」演奏の第一人者として有名です。一般的なクラシック曲(ベートーヴェン、モーツアルト、ショパンetc・・・)は、録音はおろか、ステージレパートリーにも入っていないのではないでしょうか?

そんな高橋アキさんが、昨年、「普通の」クラシック曲を録音すると知ってビックリしました。そして曲がシューベルトの後期ソナタと知り、さらにびっくり!ついでに、使用ピアノがベーゼンドルファーと聞いて三度びっくりです。

話が脱線しますが、古今のピアノ・ソナタのうち、もっとも素晴らしい作品は何か?と問われたら、私は即座にシューベルトの20番と21番を挙げます。ベートーヴェンのような綿密な構築性も、モーツアルトのきらめきも無いでしょう。しかし、シューベルトのこの2曲には、他の作曲家にはない、生々しい息づかいと感情が存在します。シューベルトの描く「人」は、マーラーが大仰に語る「人類」ではなく、孤独な個人です。不安を抱える弱々しい存在。それでも人生に立ち向かう。

シューベルトの後期ソナタには、悲しみ、喜び、孤独、逡巡、絶望、希望・・・人生のさまざまな要素が、ごった煮のようにあふれかえり、ドラマを織りなしているのです。

高橋アキさんは、音楽の「ドラマ性」を重視されるピアニストだそうで、シューベルトを弾くには、うってつけじゃないか!と、素人考えで喜んでしまう私でした。

実際、2枚のCDを聴いてみると、期待以上にすばらしいのです。

奇をてらうような”あざとさ”は皆無です。落ち着いた、むしろ、地味とさえ思える語り口でありながら、ドラマがわきあがってくる、深い精神性をたたえた名演です。

ピアノ演奏を超えた、語り、いや、悟り、というべきでしょうか。

ソナタ21番。シューベルトが完成させた最後のピアノソナタ。「とりとめがない」とネガティブに評価された時代すらあった、長い第一楽章。歩んでは立ち止まり、戸惑いながら、また歩き出す。絶望、そして、かすかな希望を見出す・・・・この、グダグダな感情の振幅こそが、人間じゃーーー人生じゃーーーと、改めて意を強くする、そんな、高橋アキさんの演奏なのであります。

ベーゼンドルファーを使ったこともプラスに働いています。バドラ=スコダさんも愛用のピアノメーカーです。ステージピアノの代名詞ともいえるスタインウエイが、エッジが立った明確な音を出すのに対し、ベーゼンドルファーは輪郭がぼんやりした柔らかな音色が特徴。悪く言えば、もっさりした不明瞭な音ですが、シューベルトの後期ソナタの心情を描くのに絶好の楽器、ともいえましょう。

いやあ、聴くたびに、新たな発見と感動がある、高橋アキさんのシューベルト。ここまでやっていただいたら全面的に脱帽です!大きな感動を、ありがとうございました。


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