忌み言葉を避けて、トホホな会話やスピーチになることについて。 [雑感]

会社の仲間と酒を飲んでいたら、彼は、ちょっと悩んでいる様子。どうした、と聞いてみると、後輩の結婚披露宴でスピーチを頼まれたそうで、気が重いとのこと。披露宴は、2カ月以上先だと聞き、「おいおい、今から悩んでどうするよ?前日に悩めばいいんだって!」と無責任に言い放つ私ですが・・・。

うーん、たしかに結婚披露宴スピーチとなると、会社の忘年会とは違いますなあ。新郎新婦のご家族、ご親戚、仕事関係の方々がおられる「おめでたい席」ですから、妙な事は言えない。

そのうえ、日本には、ご存じ「忌み言葉」があります。

この場面には使っていけない(という暗黙ルールになってる)NGワードのこと。結婚披露宴なら「切れる」「別れる」「割ける」など。ただ、そこにあんまり気を使うと、せっかくのスピーチが、無難ではあるが、魂のこもらぬ味気ないものになりますね。

祝いの席のスピーチとは、複雑でありますなあ。

私が過去に出席した結婚披露宴を思い出します。私のスピーチも大したもんではないですが、とにかく、「差しさわりのない」スピーチが多かった。お祝いの気持ちが素直に表出したというより、しかたなく、嫌な依頼をこなすみたいな・・・シツレイながら「心に響く」スピーチなどほぼ皆無でした。まあ、披露宴なんて文字通り「儀式」だから、心に響かせる名スピーチを披露されるのもビミョー、とは言えますが。

話を広げると、結婚からみ、だけでなく、公的会合の「あいさつ」「祝辞」って格式ばってますよねえ。いつも感じます。

たま~に意表を突くユニークなのもありますが、ウケ狙いだったり、品がなかったり、自分に酔うタイプだったり。(楽屋落ちや、下ネタ、という最悪なパターンもありますね)。あいさつ、スピーチって、意外に奥が深い、と思うのです。

こうゆう「アザトイ」スピーチを聞くと、こんどは「もっと普通にやれば?」と振り子は逆ブレになりますね。

だって誰しも、自分以上の「何か」になれないわけです。だから素直な気持を「失礼にならないよう」言えば良いだけ、ですよね。うまくしゃべろうとか、カッコよく見せようとかしなければ、スピーチやあいさつって、イキイキしてくるのではないでしょうか?

友人の結婚披露宴で聞いたスピーチで、いまだに心に残っているのがあります(というか、思い出せるものはそれだけです)。見方によっては、失礼かもしれないけど、語った方の雰囲気とあいまって、実に真摯にお祝いの気持ちがあらわれていると私は感じました。

そのスピーチの主旨は、こんな感じでした。

「結婚はおめでたいこと。人を愛することは素晴らしいこと。しかし、愛とは時とともに形を変えていくものです。私もそうだった。今のお二人(新郎新婦)の愛も、人生という『現実』の中では、形を変えていくでしょう。『愛を維持しよう』としてはいけない。愛は結果であるから。愛は容易に形を変えてしまうから。だから、お二人が持つべきものは『相手に対する敬意と、思いやり』です。敬意と思いやりは時を経ても変わらない。その気持を持てば、愛は結果として続くことでしょう。」

うーん、神父さんの説教が入ったような気もしますが、当たり障りのないスピーチの中にあって、自らのご体験も交えた、まさに人生の先輩らしい「愛にあふれた」アドバイスではないか。うーん、感動しました。

話は突然、変わりますが、忌み言葉でもっともナンセンスと思うのは、受験生と話すとき「滑る」とか「落ちる」は使わない・・・・こんな前時代的な気の使い方です。まったくバカバカしい。そのセリフの影響で、受験に失敗するなら、はなっから合格する実力がない、ってことですよ。こうゆう間違った気の使い方は、相手(受験生)をナーバスに、軟弱にするだけで、良いことは何もない。なぜその事に気付かないのかねえ?

他人への気づかいがゼロ、と指摘されがちな私より、さぞかし、忌み言葉を上手に避けて、ご丁寧な気づかいが出来る人のほうが大人なんでしょうなあ。全くバカバカしい、と私は腹の底から思いますがねえ~。

と、話が収拾つかなくなったので、今日はお終いっ。


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Cecilia

実は仏滅に婚約式結婚式をした私です。
キリスト教なので「関係ない!」を貫き、招待状に”吉日”も入れませんでした。
招待したある方(牧師の資格がある方)からは「一応気にしたほうがいいのではないか。」と言われました。

スピーチで言えば、夫のほうは会社の上司が主賓、私のほうはお世話になった音楽関係のある方でした。(クラシック音楽の世界では結構有名な方です。亡くなられましたが。)
その方は実は夫と同じ神戸出身、夫の出身中学高校に入ろうかと思ったけれど当事はいまいちだったので入らなかったと言う話(夫の同級生も当然多かったです。)、夫のと同じ大学で学科だという話、しかも夫の会社に一時在籍していたと言う話で非常に奇遇でした。
大学まではともかく会社までとは!
しかもスピーチでは「会社の上司が気に入らなかったのでやめた!」とおっしゃっていました。
夫の会社の上司はとにかく当たり障りのない一般的な話だったと思いますが、このスピーチはいまだに我が家で語り草になっています。
この方、当時すでに高齢でいらしゃいましたが、言葉に重みがありましたね~。

by Cecilia (2010-04-18 21:55) 

門前トラビス

To Cecilia様、nice&コメントありがとうございました。
仏滅に婚約式、結婚式とは、素晴らしいです。
私は仏滅の結婚式はしていませんが、あれも不思議なもので、いまや結婚する当事者側は、仏滅の(本来的な)意味など分かっておらず、形骸化しているのに、縁起が悪い、ということでおめでたい行事は避ける。
これもある意味、ナンセンスですよね~~。
じゃあ、その日に生まれた人はどうするの?つーと、それはOKなんですよね。
いにしえには、日による吉凶に、それなりの理由があったと思いますが、今の時代に固執する必要はないと思います。

不幸になる夫婦だったら、大吉に結婚しようと、仏滅に結婚しようと、結果は同じですもの。「日」のせいではありませんもん。

結婚式のスピーチですが、語る人の人間性、というか「その人らしさ」が出るほうが良いのでしょうね。
残念ながら、われわれ日本人は、「自分らしさ」を保ちながら、きちんとスピーチ(あるいはプレゼンテーション)をする教育を受けていないうえに、どうしても、他人の目(評価)を基準にしてしまうので、似たり寄ったりな無難なものになるのだと思います。
会社とか、組織という単位だとそうではないのかもしれませんが、少なくとも、「個人」のレベルではそうなってしまうと思います。

自己紹介、というパーソナルなスピーチにでさえ、この悪しき特性(?)が出てくるから不思議です。○○年入社して、○○を10年やって、それから転勤して○○年・・・・なんて、ハッキリ言って誰も興味ないよって。
もっと、「自分はこうゆう人間です」というアピールがあっても良いですものね。つーか、それが自己紹介ですものね。

つまり、「そのスピーチは何のためにしているのか?」、お祝いなのか、説明なのか、紹介なのか、和睦のためか、売り込みなのか、ポイントが不明確なのでしょうね~~。
と、自己反省もこめて考えてしまった次第であります。
by 門前トラビス (2010-04-19 05:08) 

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