ステーキで失敗するも、ナイス古本入手に嬉しかった話。 [本]

どーも。新たな「美味」の開拓を目指し、東京中心に、良さそうな店探訪をしている私です。今回は、

川崎某ステーキ店ガックリするも、古本屋さんで大喜びの巻

であります。事件(?)は先週のこと。

神奈川県川崎市、仲見世通りに面するステーキ屋さん「あ〇〇〇」。赤いオシャレな外観に、昨年から目をつけていたのです。

外から店を眺めていても味は分からん!と、会社の後輩H君を誘って行ったのです、この店に!

定番ですが和風サーロインステーキ、150gを注文。ど、どーーーん。でお味は?

最悪だ!滑りまくりだあ!

油まみれのこの肉は何なんだ!?肉というより、油を食えって?ひえええ~~。

結論=川崎でステーキを食べるなら、美味しい店「エルム」に行こう。分かりやすいぜ。

気を取り直して、市役所通りの古本屋さん「朋翔堂」へ。

嬉しいことに、ステーキの大失敗を取り返す、ツボはまりまくる古本を次々に発見です!あれも、これもと、全部で8冊購入だ!家まで持って帰るのが重い重い!

で、買った本は下写真のとおりです。

古本1.JPG

 

古本2.JPG

 

8冊のうち、ただいま3冊目まで読んでいますが、ここまでで最高だったのは、

「自覚の精神病理、自分ということ」(木村敏著、1978年)

70年代の著作ゆえ、最新の精神医学にそぐわない点もありましょう。でも、この書物の価値は減じることはないでしょう。専門書でありながら、素人にも分かりやすく病例の紹介と分析を展開するのですが、その手法と文章の力強さは、ヘタな小説を読むよりも遥かに魅力的で感動できます。

この著作で取り上げているテーマは、

自分を失う精神病

である「離人症」「家族否認症候群」「自閉症」「精神分裂症(いまではこの呼称はない)」。

正常と異常という二元論で単純に人間は論じられないわけで、本著作は、日本人的自我や人生観、社会観にまで話を広げ、ついには、人間が生きるとは何か?というところまで切り込むのです。

久しぶりに「自分とは何か?」を考えさせられる、恐るべき衝撃本でした。

フロイトやユングでゲンナリして、精神医学系NGになった私ですが、「欧米の借り物ではなく、日本人的自我を見据えた分析の必要性」を訴える著者 木村敏さんに全面的に同意しつつ、本著を読みながら、久しぶりに「自分探し」をしております~~~。


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田中林太郎

はじめまして。

人間が生きて行く途上で、様々な試練や悩みがあります。
最近、「生きる意味が分からない。死にたい」という人が急増しているように感じます。


明日に希望が持てない不安な時代でもあるからでしょう。

しかし、こんな言葉を最近聞いたことがあります。
「あなたが”死にたい”と思って無駄に過ごした今日は、昨日死んで行った人が懸命に”生きたい”と思って努力した明日なのです。」

人は一体、何のために生きているのでしょうか。
人はどこから来て
何のために、勉強し、働き、生きて
どこへ向かっているのでしょうか。
なぜ、人は孤独なのでしょうか。
愛とは何か、生きる意味、死とは何かなどのことについて、ブログで分かりやすく聖書から福音を書き綴って来ました。
ひまなときにご訪問下さい。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(聖書)                   

「生きる目的は一体何か」
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/m/200705

「人生の目的と意味は何か」:
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/d/20060519
by 田中林太郎 (2009-01-29 16:38) 

Kelly

お~!記述の本(自覚の精神病理)、私も持っております。
ちなみに、ご購入された8冊のうちの4冊を私も読みました。(たぶん、本棚かどこかに潜んでいると思います)

最近は、生きる意味について自問自答するのをやめております。
体力と気力が尽きたのか?
はたまた「面倒くさくなった」のか?(笑)

インフルエンザでかなりの体力を消耗したせいかも知れません・・・。(笑)
by Kelly (2009-01-29 17:54) 

♪atsu

自分は、「欲望する映像」とやらの本が何やら気になりましたゾ。
こちらの感想なんか、またお聞かせ下さいな。

それにしても油まみれのステーキとは、しくじりましたな。
それには赤ワインもさぞかし台無しですね。
ふっふっふっ
by ♪atsu (2009-01-29 21:53) 

門前トラビス

To 田中林太郎様、訪問いただきありがとうございます!
ブログを拝見させていただきました。
含蓄と愛にあふれた内容で感銘を受けました。現在、記事更新されていないのは残念です。

私も通っていた幼稚園(ずいぶん古い話です)がキリスト教系でして、日曜
ごと講堂でキリストにまつわる出来事のお話を聞き、帰りに”キリスト様出来事シール”を1枚づつもらってはノリで台帳にはっていました(半年か1年で、キリストの生涯が完成するすぐれもの企画です。今もあるのでしょうか)。
クリスマスには、イエス様の生誕場面の寸劇をやり、私の役は「羊」でした。---とそれは良いとして。

人生とは何か?生きるとは何か?人はどこから来て、どこへ行くのか?

このテーマには、無数の切り口と、意見があると思います。

作曲家マーラーが、常に口にしていた言葉と聴きます。功成り名を遂げた人でも(だからこそ)、人間とは?という問いに悩むのだと思います。

で、俗物の私は、かなり刹那的でして、目先の富を求めるもよし、俗世の楽しみを極めるもよし、で極論、他人に迷惑がかからない範囲であれば、各人のやりたいようにやればよい、というスタンスです(なんとなくすいません)。
ただし、それが、すなわち人生のあるべき姿でも、幸福でもないのは当然かと思います。

突然ですが、私の好きな哲学者は、中国の荘子、老子です。暴論かもしれませんが、彼らの思想は少なからず、キリスト教に通じていると思っています。老荘思想、かなり枯れていますが、意味するところは、人生、これひとときの夢のごとしである。大きな宇宙から見れば、人間の営みなど「わらの犬」に過ぎない、と。「足るを知る」こと、これが人間の平静なりと。

この考えは大好きなのですが、今を生きる人間にとって問題は、そんな哲学談義ではなく、その先の「各論」、だからどうする?とことですよね。

人間が、「永遠の幸福」「精神の平静」よりも、「刹那の快楽」に走るのは性というもので、人間全部が足るを知っては、それも幸せな社会ではない。
ここで葛藤が生まれるわけで、話はぐるっと回って、元に戻るのかと。

また、唐突ですが、みうらじゅん&田口トモロヲの脱力系共著「ブロンソンならこう言うね」の中に、下世話な幸福論や生き方論が展開されていて、最近ちょっとはまっているのですが、良い言葉だなあ、と思ったのは、

「楽で決めるな。好きで決めろ。」

というものでした。個人の幸福とは、現世価値や人生に対する「達観」より、自分のやりたいこと、を「苦労してでも」やり遂げる自己実現の過程にあるのだ、と思うのです。
哲学的にいうマクロな意味の「人間」論では、物欲が否定されやすく、精神的な面が強調されるように思うのです。
が、ミクロな意味での”個人”の幸福、は、「強く求めること」無しにありえないのではと思います。問題は、何を求め、そのために何をするのか?という事だと思うのです。
たとえ、求めたものを手にしたときに幸福ではなく、虚しさを感じたとしてさえも、「求めて、実現した」こと自体が、幸福ではないかと。
得たために発生する失う悲しみ、得たが故にさらに欲しくなる欲望、しかし、「得るための努力」をしたからこそ、その不幸もあり、その不幸が無かった方が幸せなのか?は微妙ではないかと思っています。
昨年観た映画のセリフですが、

「失うことを恐れて求めなかった人間は、求めて失った人間よりも、不幸である」

--これも、ひとつの真実と思います。
人生は理解するものではなく、歩むものであり、無為にすごすも有意にすごすもあり。
人生の目的とは何か?それは、究極、生きること自体、である、と思います。
(ちなみに前出の「ブロンソンならこう言うね」の中に、「過激とはなにか?」というテーマがあって、答え「過激とは、長生きすること」とあり、うむむ、と)

話は戻りますが、どうも、幸福論というのは、人間が死ぬ間際に「幸福」と感じるのを是としているように思えるのです。
もちろん、それに越したことはないのですが、人生は定常・永遠ではなく、不幸もあれば幸福もある、その時々の幸福を感じられること自体が幸福であり、人生とは、「それも、これも受け入れながら、自分と向き合うこと」と思います。
自分と向き合えなければ、神と向き合うことも出来ないのではないでしょうか?
と僭越ながら、いろいろ書いてしまいました。。。。うわ、記事より長いコメントバックになってしまった!どひゃーです。失礼しました。
by 門前トラビス (2009-01-31 11:48) 

門前トラビス

To Kelly様、おお~インフルエンザですか~。立ち直りましたか~。
さすがは、文学姐御(?)だけあって、私の買った8冊の古本のうち、4冊を持っているとは!凄い!
実は、私も失敗。中野孝次著「セネカ 現代人への手紙」は、既に、家にありました。うわーーー、2冊もいらないようーーー。

記事にも書いた「自覚の精神病理」は、精神医学の専門書というより、もはや「文学」ですからねえ。学者とは思えない明晰、端的、直截、なパワフル文章。
病例紹介では「離人症」の女性がすごいですね。「自分が自分ではない感覚」という、想像つかない世界が木村敏先生の手にかかると、読んでいる自分のことのように切実に胸に迫ってくる。。。うわあ、これは辛いなあ。
ちなみに、木村敏先生は有名な精神医学者ですが著作集全7巻が出ているので(一冊7000円!)、少しづつ買っていこうと思います。

あと、ケネス・ブラナーの自伝はナイスです。
老齢でもない現役俳優の「自伝」が古本屋で?とビックリしたのですが、この自伝、なんと、彼が28歳の時に書いたもの。
いくら天才と言われていても、28歳で自伝って。。。。で本の冒頭に、自伝を書いた”理由”があって、「ずばり、金のためです。この本の原稿料のおかげで劇団もなんとか立ち直れました」って--おいおい!!
この開き直りっぷりが嬉しいじゃないですか!
では、良い本あったら、教えてくださいませ。

by 門前トラビス (2009-01-31 12:07) 

門前トラビス

To ♪atsu様、いやあ、川崎の「あさひや」のステーキには、やられました--って、店名を書いちゃってるし!
まあ、一度だけで判断してはいけませんので、もう一度挑戦はしますが(やめたほうがいいかな)。
「欲望する映像」も、なかなか思白い本ですよ。これ、映画論なんですけど、テーマと映画ごとに章になっていて、かなりマニアック。
帯のコピーが「正常という幻想を叩き壊せ!」で「ドイツ文学者が読むドイツ映画」。。。あー、これだけで雰囲気分かってもらえるでしょうか?
機会があったら是非、記事に書きたいと思います。
「ブリキの太鼓」「地獄に落ちた勇者ども」「カリガリ博士」--うーん、実にいじりづらい映画だ。。。

by 門前トラビス (2009-01-31 12:15) 

青兄

門前トラビス様、正に私の必要としている本のリスト、と感じてしまいました。先日の訓練校でのエゴグラムの結果、私に不足しているのは”大人の心”。もっと大人になる為に、「硬い本」を読む事を勧められました。

AZMさんからは「一万年の旅路」を勧めて頂きましたが、この「自覚の精神病理」も面白そうですね。候補に入れておきたいと思います。また、「水の音楽」も気になりますね。書評を見ると、「・・・ショパン、ドビュッシー、ラベルらを貫く驚きの文化論。」う~ん、これも候補に入れておきます。

参考になりました。ありがとうございます。
by 青兄 (2009-01-31 21:07) 

門前トラビス

To 青兄様、コメントありがとうございます。
乱読するなら、古本屋、ですよね!それもジャンルごとに整然と並んでいない小さな店で「おお」という本の発見が多いです。
昨年、大阪の心斎橋の古本屋で、ユイスマンスの著作がどーんと数冊あり、「ルルドの群衆」以外を購入しました(「ルルドーー」はあまりにも重い本なので、断念)。いやあ、嬉しくて嬉しくて!!!

古本屋って、ターゲットの本が決まっているなら、神保町のようなジャンルごとの店も面白いですよね。
本郷にある「医学書専門」の古本屋、「法律書専門」の古本屋、も立ち読み始めたら半日くらい居ついちゃいますね。
後者の店で、題名は忘れましたが、アメリカと日本と中国の「死刑制度」の比較をしている専門書があったのですが、もう、やめられません。日本がなにかと欧米の「借り物」法律なのに対し、中国は自国の国民性、国民感情をベースにした死刑制度なのです。独自というか、そりゃ無茶だろう、って言うか(現在の中国ではさすがに変わっていると思いますが)。
日本と中国の、どちらが良いとは言えませんが、ここでも、日本は欧米追従なんだなあ、とちょっと悲しくなる体験でした。

「水の音楽」、いいですよお、青柳いずみこさんの文章は、気品があって美しいです。ただ、すらすら読むには微妙かなあ?音楽と文学の関連を論じている本では、喜多尾先生の「ムーサの贈り物」がやっぱり素晴らしい。レコード芸術の連載で1か月おきに読むのも良いのですが、まとめて読むと感動ひとしお!これも、古本屋にはけっこう売っています(私も古本屋で買いました)。
by 門前トラビス (2009-02-01 11:06) 

Kelly

門前トラヴィス様、

上記コメント、全く同感です。
中国という国、何かと問題は多いものの、あの死刑制度には凄いものがありますね。
先日も、食品偽装(だったかな?)で、死者を出した企業(工場)の責任者などを3名ほど死刑宣告しましたよね。
冤罪や陥れられ死刑になる人も少なくないでしょうが、あの国の法律(?)というか国家制度というか、日本にはないものをつくづく感じてしまいます。

法律も政治も何もかも、日本は米国追従主義であるのは、間違いないと思います。

それは、日本文化が昔から民主主義で成り立っている国ではなく、主従の関係で成り立っていたからなのではないかと思うのです。

つまり、主人に忠誠を誓って従じることが日本人の気質とするなら、それはDNAにしっかりと焼き付いていて、終戦の後、その主となったのがアメリカ。

アメリカがくしゃみをすれば、日本が風邪をひく…と言うのも、実は日本人の体質だったのかもしれないですね。

最近、いつまでたっても独立できない日本のことをあれこれ考えているうちに、ここへ考えが行き着いたのであります。(遅い?(笑))

日本が大日本帝国と言って、大和魂を持っていた時代、日本人の主は、日本の中にあったから、日本は日本という独自の国家を維持できていたのではないかな・・・と。

日本の主を否定され、アメリカが日本の主人に治まって以来、大和魂は少しずつ、崩壊の一途を辿りはじめたのではないのだろうか?と。

ただ、Made in Japanが世界一の品質を誇れる(た)のは、きっと主従の関係と同じくらい、「職人気質」という気質が日本人には備わっているからなのではないかとも思います。
職人は、主を持たず(師匠はいたとしても)、己の技と努力のみでその力量を発するから・・・。

まとまらない割に長くなってしまいました。すみませ~ん
by Kelly (2009-02-04 12:58) 

門前トラビス

To Kelly様、どーもですー。ま、戦後民主主義自体が、欧米からのパクリという悲しくも切ない日本でございますから。
どうしていいか困ったら、とりあえず「欧米に合わせる」というルールですからねえ、ヘタに「日本はここが良いんだ!」などと声を張り上げると、ウヨク、と呼ばれかねませんもの。
一部上場企業の社長、会長の年収が1億円に満たないという「こじんまり」な日本。ドラマチックにスマートに行かない訳ですよ。
つーか、日本人には、スマート、という感性はもともとないわけだからして、やっぱり実直に、地に足をつけた、Kelly様ご指摘の「職人気質」こそ、日本が世界に誇れる特質かもしれませんねぇ。

おや、私もまとまりないコメントバックになってしまった~すいません~。

by 門前トラビス (2009-02-06 01:46) 

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