第44回 日本アカデミー賞。火野正平さんが、なぜ最優秀助演男優賞ではないのか!? [映画]

2021年3月。

本日は映画のハナシです。といっても、ワタクシこのところ新作映画に疎く、直近で観たのは1か月ほど前のホラー映画「樹海村」という体たらく。1年間に、映画館で新作を150本を観たぜ、と数自慢をしていた頃が懐かしいですなあ。

さて、1週間以上前の3月19日(金)夜のこと。ワタクシは、札幌のビジネスホテルで、ひとり日本酒を味わいつつ、北海道名物「やきそば弁当」を食べており、そこで何を見るでもなく、TVをつけると、

第44回 日本アカデミー賞

の授賞式をやってたんですね。2020年度の日本映画における優秀な作品、監督、俳優を表彰しましょう、つう恒例イベントですね。その式の、最初の賞が「助演男優賞」だったわけです。

おお!と食いつきましたね。昨年(2020年)観た映画のなかで、ワタクシがもっとも感激したのは、東北大震災で制御不能の危機に陥った福島原発を描いた「Fukusima 50」であって、特にココロに残ったのが、なんたって、

火野正平さん、だったから、であります。

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火野さんの役どころは、現場たたき上げの、誰からも一目置かれるベテラン・エンジニア。放射線量が増加する危険な原発建屋へ、若者を行かせず、自ら防護服を着て酸素ボンベをしょって向かう信念の人を、余計な重たさを出さずに、自然体に飄々と演じながら、その存在感たるや抜群なのであります。

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最優秀助演男優賞は火野正平さんで決まりだぜえ!と、私は確信しとったわけです。で、授賞式をTVで観て、いや、ビックリしましたね。

なぜなら、火野正平さんは最優秀賞どころか、候補の5人にもノミネートされていないからです。え?なにそれ?さらに驚くべきは、最優秀助演男優賞に輝いたのは、まさにその「Fukushima 50」で吉田所長を演じた、

渡辺謙さん、だったのです。そりゃないでしょう!と言っても、謙さんの演技がどうこうではなく、私が申し上げたいのは、渡辺謙さんは、

助演ではなく、主演でしょう!ということ。関係者(?)は、主演は佐藤浩市さん、とおっしゃるのでしょうね。でも渡辺さんだって、ほとんど出ずっぱりの主演であって、つまり佐藤さんと渡辺さんはシングルレコードでいえば「両A面」・・・という余計な譬え不要の「ダブル主演」でしょう。

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「ヒート」の主演はロバート・デ・ニーロか、アル・パチーノか、てなもんで・・・あ、話が散らかってしまった。今日のテーマはそこではなく、火野正平さんが優秀助演男優賞の5名にも入っていない件、でありました。

と、ここで急に反省モードです。すいません、賞がどうこうじゃないですね。原発事故というヘヴィーなテーマに真摯に向き合い「Fukushima 50」という力作を完成させた、映画人の努力と勇気こそが重要なのでした。

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さいごは強引にまとめに入った感がありますが、今日は、以上であります。ご安全に!!

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アンジェラ・ヒューイットさんの弾くバッハ「平均律クラヴィーア曲集(全曲)」がココロにしみる。 [クラシック音楽]

2021年3月21日。

ブログの更新を1か月ほどサボっていたら、一都三県の緊急事態宣言が解除されました。ワタクシが住む千葉県と、職場のある東京都に希望の光が・・・と書きつつ、来年の今頃も、日本のコロナ状況は、今とたいして変わらんかも、とシニカルな気分になったりもします。

私事ですが、2月前半から今月(3月)と、札幌の実家でいろいろなデキゴトがあり、回収作業のため、関東と北海道を行ったりきたりだったワタクシ。先週は札幌のビジネスホテルで6泊7日。やっと一段落して、今は、久しぶりに自宅のオーディオ部屋で、まったり音楽を聴いているのであります。ああ、落ち着くなあ。。。

さて、多少の精神的混乱などがあったあと、聴きたい演奏(CD)というとこれ、であります。

バッハ「平均律クラヴィーア曲集」全曲(1巻第1~24番、2巻第1~24番)、堂々のCD4枚組であります。あまたの著名ピアニストが、鍵盤音楽の金字塔たるこの楽曲を録音しておりますが、ワタクシが愛する演奏は、これで決まり!なのです。

カナダのピアニスト、アンジェラ・ヒューイットさんによる同曲二度目の録音(2008年)であります。

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芸能人の食レポっぽくてすいませんが、もう絶品としか言いようがないです。脳天がしびれます。たまりません!

一音一音の活き活きとした息遣い、音色にこもった楽曲への愛情、フレージングの自然さ、優しさ・・・音階が上昇するときは天国へ昇るような心地よさであり、いったいゼンタイ、どうしてこんな演奏が出来たのか?なんかの魔法ですか?と言いたくなるワタクシです。

そして、ヒューイットさんといえば、なんたって彼女の愛機、イタリアのピアノ・メーカ、ファツィオリ製の特注ピアノでしょう。シロウトのワタクシの耳をしても、繊細なニュアンスと音色にはウットリします。世界の老舗ピアノメーカが創業後かるく100年を超えるのに対し、ファツィオリは、1981年の創業、たった40年ですからね。後発メーカながら、ステージピアノの帝王スタインウエイを脅かす大躍進を重ねております。

ちなみに、ファツィオリのHPに、ヒューイットさんがファツィオリに送った感謝のメッセージが掲載されております(以下)。

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すいません、ピアノのメーカのハナシは、どーでも良いのでした。

ワタクシが言いたいのは、昨今、バッハ作品は器楽曲、管弦楽曲に関わらず「バッハが生きた時代の楽器や様式で演奏する」いわゆる古楽器(ピリオド楽器)演奏が業界を席巻しており、あたかも、それが唯一の正しい演奏、という誤解をする方々もいるわけです。鍵盤楽器なら、ピアノではなく、チェンバロ(ハプシコード)で弾こうよね、つう話です。

いっぽう、ヒューイットさんは、チェンバロではなく、もちろんバリバリのモダン・ピアノで演奏します。それゆえ、バッハの時代に不可能だった、音の強弱をつけることが出来るわけで、その意味で、演奏はまさしく現代風であります。

しかし、それが良いのです!音楽はチェンバロだから正しく、モダンピアノだから間違っているという楽器の論議ではありません。かっこよくいえば演奏にこめられた精神や音楽性が、どれだけ具現化されているかが重要なのですよ。ヒューイットさんの弾くファツィオリには、それらが満ち溢れているのであり、聴き手(の私)のココロをわしづかみ、なのであります。

ひいきの引き倒しと言われようと、ヒューイットさんの「平均律クラヴィーア」には、後の時代の作曲家であるメンデルスゾーン、ショパン、シューベルトさえ聞こえてくるんですね。これこそ、21世紀におけるクラシック演奏の醍醐味ではないでしょうか?妄信的に「当時(過去)に戻る」のではなく、モーツアルトを知り、ベートーヴェンを知り、マーラーを知った「今」の頭で演奏家はバッハを弾き、「今」の耳でわれわれはバッハを聴く。大河ドラマのような、そうした喜びを与えてくれる、ヒューイットさんのバッハ演奏なのであります。

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ここで、哀しいお知らせであります。ご存じの方も多いと思いますが、たしか昨年だったと思いますが、ヒューイットさんが、ほぼすべての録音で使用していたファツィオリ製のピアノが、輸送中、業者のミスで、落下し破損してしまったのですね。修復は不可能。2000万円超の特注の愛機は、天国へと旅立ったのです。

ヒューイットさんの悲しみ、無念は察するに余りありますね。それにしても、ピアノの輸送業者といえば特殊職でしょう、ピアニストにとって楽器がどれほど重要かは重々分かっていたはず。状況は分かりませんけど、ピアノを落下させる、なんて、一番やっちゃいけないミスですよね、サイテーですね。と、そこに憤ってもしょうがないのですが。

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外野の無責任発言かもしれませんが、ヒューイットさんが、新たなファツィオリの名機に出会い、その楽器とともに、今後も素晴らしい演奏を聴かせてくださることに期待しております。本日は以上!

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