アリーナ・イヴラギモヴァさんの弾く「ブラームス ヴァイオリン・ソナタ全集」の渋い色気にうっとり。。。 [クラシック音楽]

2019年11月。

本日は、書きそびれていたクラシック音楽CDの感想を書きます。8月15日に発売の

ブラームス ヴァイオリン・ソナタ全集(全3曲)

であります。演奏するのは、若手ながら世界トップレベルの実力と人気をあわせ持つデュオ、

アリーナ・イブラギモヴァさんと、セドリク・ティベルギアンさん

の美男美女コンビでございます。パチパチ。アリーナさんの陰影ある渋め音色のヴァイオリンに、よりそうようにセドリクさんのピアノがからむコンビネーションが、たまらん、のであります。

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本日のテーマCD「ブラームス ヴァイオリン・ソナタ(全3曲)」については、CD発売前の7月26日に、当ブログで採り上げました(記事は→ここクリック)。その時点で演奏未聴ゆえ、感想ではなく、勝手な期待のみ、つうお寒い内容でございました。

しかし!いまのワタクシは、こう断言できるのである。

このディスクは、文句なしに素晴らしい!と。

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その素晴らしさを語る前に、ちょいと前置きを書かせていただきます。お二人の演奏ではなく、ブラームスのヴァイオリン・ソナタという楽曲について、であります。

ブラームスといえば、交響曲や協奏曲など重厚で堂々たる作品が有名ですが、室内楽曲にも卓越した作品を多く残しておりますね。で、御大の室内楽曲の「感動ツボ」といえば、私が思うに、なんといっても、泣かせの美メロディ、ではないでしょうか。

これほどキャッチーで心に染み入る美しいメロディを、よく作れたもんだ、と呆れるほどの感動フレーズ。御大が心憎いのは、そのメロディを安っぽく連発せず、ここぞのタイミングでぶっこんでくるセンスなんですね~。

曲名を挙げるなら弦楽六重奏曲第1番(←鉄板ですなあ)、ピアノ三重奏曲第1番、ピアノ四重奏曲1番。クラリネット五重奏曲。クラリネット・ソナタ1番と2番・・・これらは、ブラームス作品の、とか、室内楽曲の、と限定をつけなくても、あらゆるクラシック音楽のなかで名作中の名作、と確信するワタクシでございます。

さて、ブラームスの室内楽曲には、そうした「美メロ系」と違う、ちょいと地味で、とっつきにくいタイプの楽曲群があります。チェロ・ソナタ、弦楽四重奏曲。そして今回テーマである「ヴァイオリン・ソナタ」も代表格だと思います。

美メロで聴き手をとろけさせないから劣っている、というのではなくブラームスさんがシンプルなヴァイオリン+ピアノという楽器形態で何を表現するかを考えた末の音楽なのでしょう。例外的に(?)、3曲のソナタのうち、第1番は美メロ系ですが、全体雰囲気はやっぱり渋い。。。

柱となる美しい主題をじっくり聴かせるより、曲の流れに乗って曲調や曲想が変化する、そのうつろいを味わう作品というべきか・・・。

それゆえプレイヤーにとっては、実にやっかいな楽曲と言えます。ベートーヴェンや、モーツアルトのヴァイオリンソナタとは違って、曲へのアプローチを絞っていないと、メロディを場当たり的に弾き流し、結果、とりとめのない演奏が出来上がる。エラソーに言わせていただくと、実際、有名ヴァイオリニストの録音でも聴き終えた感想が、嘆息のみ、ってことがありますもんね。(まあ、聴いているコチラの鑑賞力の不足なんでしょうけど)

まわりくどい前置きが続いてしまいました。すいません。

そんな扱いづらい曲に、アリーナさんとセドリクさんはどう向き合ったのか、てことです。CD開始し即座に「音楽に流されない、音楽を流さない」という彼らの決意がドカーンと表明されております。ソナタ第1番の冒頭の弱音部。ゴーンゴーンというピアノを背景に、待ってましたあ!と声をかけたくなる、アリーナさん独特の、かすれた木綿の肌触りの音が、繊細に第一主題が奏でます。そこにピアノがメロディをのせ、あれよあれよ、と最初の頂点がやってきます。

出鼻をくじかれた!やられた!と唸る間もなく、主題を出し入れしながら音楽は、加速・減速、上昇・下降を繰り返すわけです。アリーナさんのヴァイオリン、セドリクさんのピアノは決して勢いまかせになりません。歌心たっぷり、思い入れたっぷり、一音一音に陰影があります。主題が回帰する箇所では、厚い雲のあい間から、ぱあっと光がさすごとき陶酔感に浸り、もう、辛抱たまらんです!

ビロードのようななめらか美音を誇るヴァイオリニスト(←沢山います)より、いぶし銀の音色を駆使するアリーナさんがつむぐブラームスのほうが、なんと色気にあふれていることか!これぞ「渋い色気」・・・うーん、良いこと言った気になったけど、言った自分もよう分からん比喩やね。あ、有名な第1番について書きましたが、第2番、第3番も演奏テイストは基本同じです。

とにかくこのCD、掛け値なしの名盤です。泣くね、これは泣く。ワタクシが今年購入したCDのなかで圧倒的TOP1、だと申せましょう。

ちなみにこのCD。ソナタ3曲のあと、最後にクララ・シューマン作曲「3つの小品から、アンダンテ・モルト」が収録されているんです。ワタクシ、初めて聴きましたがチャーミングな曲ですねえ。ブラームス楽曲のアルバムに、クララの作品を添えるとは、なんと憎い演出でありましょう。うーん、あらゆる意味でオレは負けた!

以上、例によって、まとまりない記事だけど今日はお終いっ。

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コメント 8

nimke

「ブラームス、ヴァイオリン・ソナタ全集」のCD
にかんする情報、とてもありがとうございます。
これから注文して、ぜひ聴いてみたいと思います。
さて、本論からはスジ違いですが、
以下のコメントにかんして、若干の異論を・・・

「クラリネット五重奏曲。クラリネット・ソナタ1番と2番・・・これらは、ブラームスの、とか、室内楽曲の、という限定抜きで、あらゆるクラシック音楽のなかで屈指の名作と確信する」

っと述べられておりますけれど、
大事な一つをお忘れではありませんか。
「くらりねっと」とくれば「トリオ114」ではありませんか。
全体の構成もステキですが、終楽章の醍醐味は絶品と思います。
ユーチューブで聴ける生演奏が素晴らしい。
クラAndreas Uttenzauar、他の名演奏。
by nimke (2019-11-04 16:44) 

門前トラビス

To nimke様、コメントありがとうございます。
ブラームスのクラリネット三重奏曲は、当方3種類のディスクを持っております。忘れていたわけではありません。
が、あくまで「好み」の問題ではありますが個人的にいまいち食いつけない、という回答となります。理由は説明しようもないですが。(念のため、定番であるカール・ライスターさんのCDを聴きましたが、やはり・・・という感じ)。
同じことは、ピアノ五重奏曲にも言えますです。
by 門前トラビス (2019-11-24 07:51) 

nimke

当方も、若い頃はかぶりついて聴いていた時期もあったけれど、その後かなりの期間、ブラームス全体をあまり評価しないでいました。
最近になって、何かとエフエムで放送されたり、ユーチューブで聴いたりする機会が出て、感心する演奏に出会ってます。
つまり、昔の演奏は、カールライスターはんも含め、総じてヘタなのであります。
今活躍している演奏家には素晴らしく惹きつけるパッションがあふれていることがしばしば感じられ、それで「こんなにステキな曲想であったのか」と再発見があいついでいます。
ところで、
「カラスミ問題」はどないなってるんやろなあ。

by nimke (2019-11-26 15:08) 

門前トラビス

To nimke様、コメントありがとうございます。
ブラームス問題?はさておいて、えぞからすみはアップ完了いたしました!
12月は九州出張が多いので、本家?の、長崎のからすみを味わおうと思っとります。
by 門前トラビス (2019-12-03 03:10) 

nimke

先週、注文していたCDが手に入り、イブラギモバはんのブラームスバイオリンソナタを聴きました。
ピアノは文句無く良い演奏でしたが、バイオリンの音が小さすぎて、まるで「蚊の鳴くよう」な感じで、なんとか明瞭に聴き取りたいのですけれど、音量を上げるとピアノばかりが唸って聴こえてしまうんです。
オーディオのAI的な進化により、「バイオリンの音量」だけを大きくする装置ができるとエエなあ、っと思ったしだいです。
by nimke (2019-12-18 01:49) 

門前トラビス

nimke様、コメント拝見しました。
さきほど当該CDを聴きなおしましたが、とくにヴァイオリンの音が蚊の泣くようとも、不明瞭とも思えませんので、たぶん主観的なものかと思います。
あるいはアリーナさんのヴァイオリンに、60年代の巨匠的な堂々たるものを期待されているか、はたまたオーディオとくにスピーカーの特性なのかもしれません・・・。少なくとも我が家のスピーカー(ソナス・ファベール)で聴く限りはバランス、音色とも良好でなんら問題を感じません・・・。まあ、それも主観の違いですね。
話は多少ズレますが、クラシック音楽の録音傾向には「時代の流れ」が影響していると思います。
良い例(悪い例ともいえるが)は、フォルテピアノによるピアノ協奏曲です。もともと音が小さく弱い18~19世紀の楽器では、どうしてもオーケストラに負けてしまうため、モダン・ピアノに慣れている耳にはそれこそ「蚊のなくような音」に聞こえてしまいます。そこで、鍵盤の音を、録音により強める加工を施すことが行われていました。
しかしインマゼールのようなオリジナル重視の演奏家は、それを良しとぜず「現場で聴こえるまま」を尊重するので、結果、鍵盤の音がいまいちパッとしません。インマゼールからすれば、それこそが作曲者の求めた響きだ、という意見なのでしょう(もちろん、鍵盤だけでなくオーケストラもピリオド楽器を使用)。
そもそも、1960~1970年代のレコード時代、室内楽曲や協奏曲は、主役楽器の音を前面に出すよう、なんらか加工調整した録音が多かったわけです。
しかし前出のように、それは作曲者の意図とは違う響きだよね、ステージの「実演」とは違う響きだよね、という、ある意味、まっとうな意見により、結果、1980年代以降は、実演に忠実な音量バランスに近い録音が多くなっています。
当方の耳は、一昔前のバランス調整された音より、実ステージに近い音に慣れてしまいました。ましてやアリーナ・イヴラギモヴァさんとセドリク・ティベルギアンさんのコンビの演奏はモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトと複数回リサイタルで聴いてきたため、今回のブラームスのCDは、まさに「彼ららしい」バランスを絶妙にすくい取った録音だ、とポジティヴに評価さえしています。さすがは、ハイペリオンだなあ、と感心したくらいです。
いろいろ書きましたが、結局、音には個人の「好み」(求めている音質やバランス)があるでしょうから、僭越ながら、CDの場合は、そうゆう音だと諦めて耳を慣らすか、好みにあった音になるオーディオ(周波数帯域ごとに調整するイコライザーを含めて)の購入を検討されるのがよろしいかと思います。
話が戻りますが、エマニュエル・アックスさんが、日本のオーケストラとモーツアルトのピアノ協奏曲を演奏したコンサートをずいぶん昔に聴きました。会場はたしかサントリーホールだったと思います。アックスさんはフォルテピアノ、いっぽうオーケストラはモダンでしたので、鍵盤の音がオケにかき消されて、蚊のなくどころか、消えてなくなっていました。私が楽章の合間で席を立って帰ったコンサートは、後にも先にもあれ一度だけです。いやあ、あれには参ったなーー。ちゃんちゃん。
by 門前トラビス (2019-12-22 20:39) 

nimke

懇切なる解説をいただきありがとうございます。
たぶん「バイオリンソナタ」に期待する響きの性質が貴兄と当方とで魔逆に異なっているのかも知れないと感じています。
当方が期待するのは、例えば「コパチンとファジルサイ」が演奏する「クロイツェル」の事例が典型的なんですが、コパチンは「あたいに付いて来られるもんなら付いてきなさいよっ」っと暴走しまくり、それをファジルサイはんは、実にケナゲにも、必死で追随、追いかける、って構成なんです。このスリリングな快感。これがワテが求めるバイオリンソナタ像。
他の室内楽の各種楽器の組み合わせにあっても、基本的に「バトル」を希求してます。
by nimke (2020-01-04 18:11) 

門前トラビス

To nimke様、気乗りしませんが、コメントを返すとすれば、貴論は「話が混じっている」と思えます。
音楽演奏そのものと、録音の技術(どのような音に録るかという方針含む)は別のハナシです。もちろん録音エンジニアとか音楽専門家からすれば、両者は分かちがたく結びついているのでしょうけど、こちとらドシロウトで、そんな面倒な話は考えたくないし、考える能力もありません。
まず、貴コメントの「期待する響き」というタームが、演奏として、なのか、録音として、なのかとが不明瞭・・・というか時を経て、ポイントがずれているように感じます。
なぜなら、最初の貴コメントの主眼は「ヴァイオリンの音が蚊の鳴くように聞こえる」ことへの不満であり、ゆえに演奏ではなく音量(バランス)の話と解し、当方がコメントバックしたところ、今度は、暴走するようなウンヌンと「演奏」について書かれており、それだけならまだしも、「あなたとは好みが違うのだろう」と、どこからどう引き出したのか分からんアテ推量が飛び出すにに至っては、頭の悪いワタクシは「???」、何をおっしゃっりたいのかがサッパリ分からない体たらくです。
深読みすれば、自分はこうゆう演奏が好きなんじゃあ、というご自身の好みの表明(?)とも思いますが、そうだとしたら当方の記事にからめられてもなあ、という不思議な気持ち。だって、〇〇が好きです、という意見に対しては「あ、そうですか」としか言いようがないわけで・・・。
そもそも、スリリングな演奏、全然アリと思います。コパチンスカヤさんの演奏は、ひじょうに高く評価しており(当ブログの過去記事を読めば、十分に分かることでしょう)、それに比べイヴラギモヴァさんのほうが良い、などとも思いません。
AにはAの良いところがあり、BにはBの良いところがある、だけであって、内容にもよりますが「Bを否定することで、Aの良さと語る」という論法(1970年代に多かったですな)は当方の良しとするところではありません。
今一度、記事を読んでいただければわかるでしょうけど、ヴァイオリニストについての、当方の「好み」でいえば、「ビロードのようと評される、なめらかで美しい音一辺倒よりは、ラジカルで汚い音であろうが、聞こえないくらいの弱音であろうが必要とあらばぶっこんでくるセンス(&勇気)」なのであり、その意味でまさにコパチンスカヤさんの演奏は大好きです、同時にイブラギモヴァさんの演奏も大好きです、という話です。
念のためですがブラームスであろうと、シューベルトであろうと、プロコフィエフであろうと、「こうでなくてはならん」という演奏の基準のようなものは、私の中にはほとんどなく、前述のようにAにはAの良さがあり、BにはBの良さがある、だけです。もちろん「好み」の差はありますが、オリジナルの楽曲が素晴らしければ、目くじら立てるほど酷い演奏なんてそうめったにあるもんじゃないでしょう。
どこが「的」だったのか、いまひとつ私には分からない一連のコメントに、こちらのコメントバックも「ボケ」ちゃっているでしょうけど、以上です。
by 門前トラビス (2020-01-13 07:12) 

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