霊界とは・・・・いえ、あのー、と多少絶句しつつのスウェーデンボルグ「霊界日記」 [本]

2009年8月。今回のテーマは微妙っすよ~。まとめきれるか心配であります。

2か月前購入したスウェーデンボルグ「霊界日記」を取り上げます。微妙なのは、本の内容を客観的事実ととるか、精神活動の表出ととるかで、受け取り方や評価が全然違っちゃう、という点です(ちなみに、私は後者の立場ですね)。

題名のとおり霊界を扱っており、内容はなかなか刺激的です。ただし怪しげな宗教家や自称霊能力者たちの書いた”マユツバ本”とは明らかに一線を画しています。引き合いに出して失礼ですが、丹波哲郎さんの著作などとは違うんですよね。

霊界日記.jpg

エマヌエル・スウェーデンボルグ(1688~1772)は、当時の理学/工学を極めた天才科学者だそうで、議員として政界でも活躍したとのこと。人生後半から神秘思想の著作が増えてきますが、敬虔なキリスト教徒、かつ科学者ゆえ、著述には真摯な視点が感じられます。

そもそも「霊界日記」は出版を目的とした著作ではなく、スウェーデンボルグが残したプライベート日記を、彼の死後、抜粋したもの。読み手を啓蒙しようといった意図はなく、日々、身の回りに起こった霊的体験の率直な記録、と考えて良いでしょう。

面白いことに、読者を想定していないだけに内容は、超・ラジカルとも言えます。一種の「幻視体験」といえましょうが、一読しただけで「こいつ、精神病んでるよ!」と決めつける方もおられましょう。

内容を一部紹介しましょう。 スウェーデンボルグいわく、1745年から心が形体的なものから、まったく離脱し、霊的な存在者や天的な存在者の社会にいることができる」ようになったという。「それでも、ほかの人と何ら異なることなく(地上の)人々とつきあうことができ」さらには「この事実に霊たちも驚いている」と言うのです。要するに、彼は、地上にいながら霊界(の人たち)と交信する能力を持った、と言っているのです。

彼は書きます、霊界にも地上と同じく、ロンドンがあり、アムステルダムがあり、ストックホルムがあると。「地上」と「霊界」は相似に対応しているのです。良き霊もいれば、悪しき霊もいて、徳のある霊たちと、神についての議論を交わしたと思えば、悪しき霊から不快な思いをさせらたりします。悪しき霊は地獄に放逐されたり、日記とは思えぬ、なかなかにドラマチックな展開が記されています。

もちろん、霊界(を含めた天上)を統治されるのは「主」(=神)と彼は断言します。

ここまでは、まあ、宗教者の精神論だね、と、ついていけるのですが、この後がもの凄い。

やがて彼は「あの世」で、古今の著名人(の霊)と出会い、活発に議論をしちゃっうのです。ローマの政治家・哲学者であるキケロ(紀元前の人です)と「知恵とはなにか?」について語り合い、科学者ニュートンとも数度、話をしたというのです。

さらに、イエス・キリストや、聖母マリア(!)にさえ会ったそうで、そうまで言われると、さすがにドン引きしてしまいますわね。ちなみに霊界は平和な理想世界ではなく、世俗と同じように、悪事、モメゴト、ハプニングがあり、「竜」と「ミカエル」が戦っちゃったり(!)するのです。見渡す限り綺麗なお花畑、という日本人的発想のあの世とは、かなり雰囲気が違うんですねえ。

本の内容について書き始めるときりがないので、この辺にしましょう。

スウェーデンボルグさん.jpgさて、日記の記載をどう思いますかね。”狂人のたわごと”と決めつけるのは容易でしょう。あるいは深い信仰心を持つがゆえに、彼は宗教的な夢を見たのだ、という解釈もあるでしょう。

私もそうした意見を否定はしません、しかしです。霊界あるいは、天上というものは「各人の内なる宇宙」とも言えるわけです。

認識する主体=我(自分)がなければ、それは存在しないというデカルトの言葉通り、思うがゆえにあるとすれば、「霊(界)」「主」「天上」「地獄」も、それを思う”我”の中にある、と言えませんか。

自己をとことん見つめた結果として生まれたヴィジョン(幻視)は本人の価値観/世界観を反映した「真実」とは言えないでしょうか?

極論、スウェーデンボルグの霊界体験が、読者に普遍的に受け入れられるかは問題ではないのです。たとえば「愛とは何か」という問いに対して、答えは人によって異なるでしょう。だからといって愛は存在しない、わけではない。それぞれの人のココロの中に、思想の中に、それぞれ”愛”は存在しているはず。

上手く表現できず、もどかしいのですが、スウェーデンボルグの精神世界(霊界体験)は、肯定/否定の二元論を超えた、哲学的・宗教的な思想の結実だと思うのです。

残念ながら、本著「霊界日記」はあまりにも邦訳が酷く(日本語がめちゃくちゃです)スウェーデンボルグの意図やニュアンスを正確に伝えていると言い難いですが、普段考えもしない別世界に思いをはせる動機付けにはなりますね。こうした神秘系の記述を「オカルト」という言葉でくくり、頭ごなしに否定する現代人らしい方々もいるでしょうけどね、決してキワモノばかりではないのです。たとえば、ウイリアム・ブレイクの絵画や詩作、ルドンの版画、ギュスターヴ・ドレの聖書挿絵などの、すぐれた芸術は「幻視」の所産ではないか、と、私は考えているのです。そう、型にはまった現実主義・即物主義こそ、何も新しいものを生み出しませんよね。

話が収拾つかなくなったところで、本日は以上!


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コメント 6

azm

ども。
やはりなかなか興味深い本のようですね。
私どもも五感を通じて外界を認知し、脳内に世界を作っているわけですが、スウェーデンボルグさんは、特異な脳内ワールドをお持ちだったんですね。
ニュートンさんも最後の錬金術師と言われたほどの人ですから、スウェーデンボルグさんとは話が合ったのではないでしょうかしらん。
見せないはずの日記が暴かれて、どう思っておられるでしょうねっ?!
by azm (2009-08-01 17:16) 

門前トラビス

To azm様、からみづらいテーマへのコメント、ありがとうございます。
「霊界日記」、企画は良いのですが、記事にも書きましたが、なにせ日本語(訳)が絶望的に酷過ぎて、興をそぐこと、このうえありません。
その点は出版社あるいは訳者に猛省を促したいところです。

日記にウソを書くとは思えませんので、書かれていること自体は、スウェーデンボルグさんの体験なのでしょうね。
ただし、一種のトランス状態のさなかでの、「意識のなかでの霊界体験」だろうと思いますので、真偽、と言われれば、苦しいものがあります。

いずれにしても、「そこ」が問題ではなく、スウェーデンボルグさんの世界観を知る、という点での意義はありましょう。
ご本人が死んだからといって、他人の日記を物色、あまつさえ、出版するとは「神をも恐れぬ」行為ですな。いけません、いけません!
by 門前トラビス (2009-08-01 22:38) 

azm

ども。
今回の記事で、昔読んだ瀬名英明の小説「ブレイン・ヴァレー」を思いだしました。神の存在を脳内ワールドの仕組みから解明しようみたいな小説だったと思います。映画「マトリックス」にも通じますね。脳内ワールド自体、ヴァーチャル・リアリティ!みたいな。

スウェーデンボルグさんは過去の人にも会えたのですから、未来の人にも会えたでしょう。日本語での出版さえお見通しだったかもしれませんね。スウェーデンボルグさんが現世の人だったら、実はブログで「ニュートンさんとの会話」なんて記事にしてたりして。
by azm (2009-08-02 09:01) 

博多ちわわ

スウェーデンボルグの著作、好きですよ。
同時代は科学業績で有名だったのでしょうけど、今は神秘思想家、幻視者の側面だけが強調されていますね。今も、その分野だけは、彼に追いつけない、ということでしょうか?

霊界日記、ですが、不満と言えば、日記の抜粋配列が時系列ではなく、編者の項目でカテゴライズされていることです。編者はそれが読みやすいと思ったのでしょうけど、大きなお世話ですよね。
こちらは、スウエーデンボルグの体験を(抜粋でもいいので)、時系列で追ってほしかったです。
そこから、彼の「思想」の変遷も現れてくるものだと思います。

こうした”思想書”を「オカルト」の名のもとに糾弾する現代風潮に対しては、私も門前様と同じような憤りを感じます。
そうしたオカルト批判をする人たちこそ、生まれた時代の「常識」にとらわれているのでしょう。生まれた時代が異なれば、地球は平面で四匹の象に支えられている、と容易に信じるのでしょうね。

地球が丸いことを、自分の”目”で見たわけでもないのに「事実だから」と言い切り、同じ視点で形而上世界を測るこの愚は哲学を退行させるものですよね。
by 博多ちわわ (2009-08-02 17:29) 

門前トラビス

To azm様、そうなんですよねえ~。スウェーデンボルグさんには、ブログを書いてほしいですよね。

ブログ名は、ずばり、「すーちゃんの、今日の霊界」。
そして、特集は、「あの人は今」。

って、そこまで軽くはなれません~!!!




by 門前トラビス (2009-08-02 21:15) 

門前トラビス

To 博多ちわわ様、コメントどうもです~。

まったく、おっしゃること、見事にそのとおりです。

「人間は理解できないものを軽蔑する」 by アーサー.C.ドイル

まさにこのお言葉通りですよね。
人知(人智)の及ばないことは、「存在しない」と決めつけることが、科学的であり、現代的である、と思いこんでいる人たちに、スェーデンボルグの著作の形而上学的価値などは分かりっこないと思いますよね。

いくら、フロイトやユングが人間の心を分析しようと、「超精神」の領域は、まだまだ未知ですよね。
by 門前トラビス (2009-08-02 21:27) 

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